眠る前のひととき、本を読むのが日課でしたが、今は腕が思うようには動かせないし、疲れやすいので、しばらくは読書を諦めていました。
昼間にはときおり、それまでに読みかけていた本を開いてみるのですが、どうも根気が続かず、すぐ飽きて読み続けることができません。
そんなおり、Kokeshi Wikiで武井武雄(1894-1983年)の娘さんが書いた、『父の絵具箱』(武井三春著、六興出版、1989年)という本を知りました。
絵は知っていても武井武雄については、何も知らなかったので、買って読んでみました。
長椅子に寝っ転がって読んでいると、隣に越して来たM+MのMちゃんがやってきました。
「武井武雄って誰?」
わぁ、知らないんだ!
Mちゃんは『キンダーブック』で育たなかったのかしら?
『父の絵具箱』の帯は飯沢匡さんが書いていて、
「これをたたき台にして、今後武井武雄の研究は一段と進むことになろう」
と結んでいますが、一世を風靡した武井武雄は、今では遠い人になっているのが現実です。
長野県岡谷の旧家に一人息子として生まれた武井武雄は、小さいころから絵がうまく、絵描きになりたいという初心を貫いて、上京して東京美術学校に入学、油絵を描いていましたが、卒業後は、日本初の童画家として、多くの作品を残しました。
水彩画だけでなく、木版画、エッチングなどでも表現、独特の画風は、多くの人を魅了しました。
また戦前は、郷土玩具を精力的に集め、蒐集家としても知られました。
しかし、東京大空襲ですべての作品やおもちゃは灰と化し、戦後は二度と集めることはしませんでした。
武井武雄同様、すべてのコレクションが東京大空襲で灰になった河上目呂二とも深い親交があり、戦前は、自転車隊をつくって、あちこち訪ね歩いています。
三春さんによると、武井武雄は彼が描いた絵のいろいろなところにこっそりと自画像を忍ばせていて、あんなにたくさんの自画像を描いた人は他にはいないのではないかということです。
余談ですが、武井武雄の誕生日と夫の誕生日は同じ日でした。
8 件のコメント:
最大の東京空襲は1945 3月9日から10日で本所深川は殆ど
全滅で隅田川の火が対岸に渡りました。
昭ちゃん
駐留するアメリカ軍の通訳をしていたアフガニスタン人たち、その家族たちが、米国ビザは申請できず、難民認定も行われず、行き場を失くしています。
トルコにはシリア難民に続いてアフガニスタン難民が押し寄せているとか。ビルマ、パレスチナ、南スーダン、イエメンなどに安穏な日が訪れるのはいつなのか、何もできないのですが。
私も東京最後の空襲で失いました。
昭ちゃん
命が残っていてよかったですね。それから、楽しいこともいっぱいあったでしょう。
武井武夫懐かしいです。武井武夫の「いろはがるた」で子供のころさんざん遊んだ覚えがあります。
多分私たちに買ってくれたかるたではなく、母が持っていたかるただと思います。子供心にも強烈な絵で、今でも幾種類かは思い出します。
初山滋も結構特徴的な挿絵でしたが。
karatさん
今、その復刻版が2種類売られています。買いたいと思ったこともありますが、どうせ遊ばないだろうと(笑)。
武井武雄をネットで見ると、刊本ばかりが出てきます。精魂込めて刊本を作っていた時代、相手は子どもではなく大人だったとしても、武井武雄が好きな人が欲しがっていただろうに、今では投機の対象のような気がします。残念ですね。
私は、もっとつまらない普通の犬棒かるたで遊んでいました。でも、今でも空で言えますから、ずいぶん遊んだものです(笑)。
武井武雄は童画家たちを束ねていたので、初山滋とも親交があったようです。初山滋も素敵な絵でしたね。
そのあとの気球隊が命がけでした。
昭ちゃん
みんないろいろありましたが、今は差し迫った命の危険がないところに住んでいます。
でも、そんな生活ができている人ばかりではありません。日々、危険と隣り合わせの人たちに思いを馳せたいです。
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