2013年3月29日金曜日
武井武雄
これまでに、画家武井武雄(1894-1983)の名前を意識したことが、三度あったと思います。
一度目は年の離れた妹たちが幼稚園に通うようになって、『キンダーブック』を定期購読するようになった時です。
私は高校生でしたが、『キンダーブック』をのぞいて、他の画家たちとは全く違う画風の武井武雄の絵に、ちょっと違和感を覚えました。
また、黒崎義介、林義雄、初山滋など、ふんわりした「かわいい」絵が好きな母が、個性的な武井武雄の絵もまた大好きだということが、以外でした。
武井武雄の絵は、『キンダーブック』にほぼ毎号、一枚ずつ載っていました。
不思議なことに毎月見ていると、だんだん違和感がなくなり、やがて、
「次号はどんな絵かしら?」
と、心待ちにするようにまでなりました。
時には特集で、全部が武井武雄の絵の号もありました。
籠の美しいこと。
お皿の美しいこと。
犬のかわいいこと。
こんな絵を見て育った子どもたちは、幸せでした。
次に武井武雄の名前を意識したのは、学生時代に郷土玩具を集めるようになって、彼が戦前からの、日本を代表する郷土玩具のコレクターであることを知った時です。郷土玩具の素晴らしさを広める運動もしていて、『日本郷土玩具』 (地平社書房、1930)という本も著わしていました。
1926年に郷土玩具の収集が一万点を超えたというのですから、当時の情報事情、交通事情、運輸事情など考えると、驚異的なことです。
郷土玩具は、一年のある日、決まった日にしか手にできなかったものも多かったはずですから、日本国中の地域在住の人との物々交換で得たものだと思われます。
そして三度目は、『季刊銀花』に載っていた、武井武雄の刊本の記事でした。本を丸ごとデザインしたいと、一回ごとに趣向を凝らした豆本を300百部限定でつくり、会員に実費で頒布しているという記事でした。
刊本の欲しい人はたくさんいて、空きを待っている人たちが、空きができないので、とうとう「我慢会」を結成し、その人たちのためにさらに200部つくり、特別に頒布していました。
刊本は、いろいろな試みがされていて、パピルスの紙をつくるために数年がかりでパピルスを栽培したこともあったそうです。また、絣で絵を織り出してもらおうとしたら、お目当ての職人さんに、
「絣は着るもので、本にするものではない」
と捨て置かれ、とうとう本にできなかった号もあったそうです。
そんな刊本は私には無縁でしたが、夫の母が亡くなり、週末の家を処分した時に、本棚から二冊出てきました。
『平和白書 』(1970年発行)と、『瓢箪作家』(1972年)です。
これは『平和白書 』ですが、限定300部、外に我慢会特頒200部と書かれ、NO.445とあるのは、この本が我慢会用の一部だったことを示しています。
これは、紙ではなく、布に印刷されています。
『瓢箪作家』は単色刷りです。
手書きの文字の美しいこと。
表紙は、紙を瓢箪の形にくり抜いて、重ねてありました。
夫の母が我慢会に入っていたとは思えませんし、古書屋さんで買ったとも思われませんので、どなたかにいただいたものだと思います。
母も出版の仕事をしていて、豆本は好き、本は好き、こけしや郷土玩具の本も出していたので、そんな関係の方にいただいたものでしょう。
残念ながら、生前にそんな話をする機会はありませんでした。
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10 件のコメント:
春さん我が家にもあります。
長女(私のブログにくるばるたんです)が3っぐらいの頃から取っていました。
今手元にあるのは(昭和38年9月号60円)です。
「おつきみのえんそく」武井さんの絵ですが猿と兎の絵です。
ちょっと構図が異なるのでいろいろなバリエーションがあったのでしょうね。
当時書店ではなく毎月販売者のおばちゃんがもってきます。
この本も林義雄・黒崎義介の絵があります。
子供向けの絵ですが植物や昆虫でも図鑑並みの絵なので役にたちました。
この本で育った「ばるたん」は詩とメルヘンに進みました。
春さん朝から有難うございます。
昭ちゃん
私の手元にあるのは、飛びとびですが、昭和35年から38年のものです。もちろん妹たちの本ですが、どちらも欲しがっていないので、妹の子どもたちが楽しんだあとは我が家に来ています。
家の息子たちの頃は『こどものとも』や『かがくのとも』で、もっとずっとおしゃれになっていましたが、『キンダーブック』にはまた、別のよさがありました。
ちなみに、私の親しんだのは『講談社の絵本』でした。従妹がいっぱい持っていたのでほとんど読んだと思いますが、我が家には数冊しかありませんでした。孝女白菊の顔とか、ガリバーの顔とか、今でも覚えています。真似て描いて、紙芝居をつくったりもしました。昔の挿絵は豪華でしたね。本は祖母に全部捨てられてしまいましたが(笑)。
講談社の絵本の出始めを覚えていますが、
男の子なので冒険小説や少年倶楽部も親が買ってくれました。
「ウイリアム・ビービの深海探検記」など小学校時代よみましたが、戦後の復刻版を購入やはり今でも同じところで感激しましす。
自然史が好きな「私の原点」でくどくどごめんなさい。
昭ちゃん
講談社の絵本はいろいろなバージョンがあったようですね。今でも復刻版があるようですが、私が親しんだのはタイトルのところが赤いものでした。
それに、いくらなんでも私は戦後読んだので、『孝女白菊』はないですね(笑)。単に『白菊物語』でしょう。おばあちゃんと暮らしていると、これだから困ります(笑)。
私が印象的なのは、西洋の物語の主人公のお父さんたちが南方でよく高熱で死んでしまっていたこと。小さい頃はかわいそうにと思いましたが、単に植民地に金儲けに行っていたんですね(笑)。
春さんそれに類似した問題は日本でも同じですね、
大陸で一旗揚げようと行ったくせに、、、
こちらで食い詰めたくせに、、、。
内地より羽振りがよかったくせにいまさら、、、。
どこも戦後の苦しい時代にいろいろな話があります。
戻らないと判らないし戻れませんね。
昭ちゃん
あはは、言い過ぎていません?
私もわけがわからないのは、今頃になってあの空襲で被害をこうむったのは政府のせいだと訴えている人たちです。どうやれば、「自分は全然責任がありません面」できるのか不思議ですね。話がすっかりそれてしまいました(笑)。
ばるたんさんは、長女さんだったのですね。
私も幼稚園のころ(そういう可愛い時代もあった!)、キンダーブック見てました。武井武雄さんの絵は目が印象的でよく憶えています。もっとも名前は大人になってから知ったのですが。たしかチャイルドブックというのも同時期に見ていたような記憶があります。
kuskusさん
キンダーブックもチャイルドブックも今もあるんですね。チャイルドブックは知りませんでした。
幼稚園児では「武井武雄」という名前に関心を持つのは不可能だったでしょうね(笑)。私は大きかったし母がいろいろ名前で絵を比べたりしていたので、すぐ覚えました。変な名前だと思ったし(笑)。よしだよしこ(実在)さんとか、たかぎたかし(実在)さんとか、すぐ覚えちゃうけど、外国に行くとどっちが名字でどっちが名前かこんがられるみたいです(笑)。
春さま
ここに載っている武井武雄のキンダーブックのお話、「むかし ちゅうごくに はなの だいすきな おじいさんが いました」をずっと探していました。そして、春さんのブログでやっと見つけました!
小さい頃に家にあって、いつも読んでいたお話です。ぼたんの花が女の子になるところ、大好きでした。
載せてくださってほんとうにありがとうございます。
このお話のタイトルと、載っていたキンダーブックが何年の何号なのか教えていただけないでしょうか?
どうかよろしくお願いいたします。
花穂さん
コメントありがとうございました。
本のタイトルは「はなじいさん」で、『キンダーブック』第15集第12編3月号です。昭和36(1961)年3月発行となっています。見つかるといいですね。今はネットもあるので、見つかりやすいでしょうか。
「はなじいさん」は元々は妹たちのものですが、妹たちにはそう思い入れはなかったようです。
誰にも懐かしい、でも手元からなくなった絵本というのが、一つや二つはあるのでしょう。私にも、『講談社の絵本』の中の一冊があります。親たちが処分するとき、ひとこと訊いてくれればよかったのにと思うこともありますが、自分自身もそれに価値を見出さない時代もあったりして、そうものごとは簡単ではないですね。私も息子から預かった本やビデオ、収納場所がなかったせいもありますが雨にぬれたりして、たくさん処分しました。他人のものは処分しやすいです(笑)。
また、何かあったらコメントください。
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