2013年3月20日水曜日

ちょっと重いですが


骨董市のKコレクションさんの店頭に、何故か中国のお弁当入れが、どーんと置いてありました。
Kコレクションさんは、夫人の集めたセルロイドのおもちゃ、だんなさんの集めたブリキのおもちゃ、和ガラス、伊万里など小さめなものを並べていて、いつもは民具などは置いていません。
「どうしてこれを?」
「これには事情があって」
だんなさんから、手に入れた「事情」まで聞いてしまいました。

慶弔時に料理やお菓子を入れて運ぶ籠は、中国国内で使われただけでなく、中国移民によって東南アジア各地にももたらされました。タイ、ラオス、カンボジアでよく見た中国籠、シンガポールや香港で見つけたなど、広い中国ですから、地方によってさまざまな形があります。

ところが、日本でシンガポールで見たのと同じ籠を見つけたところに書いたように、今ではお菓子を贈るには、引換券を送るだけで事足りるようになり、またビニール袋の普及など包装事情も変化して、籠は見捨てられるようになってしまっているそうです。山積みにして、燃やしているところもあるとか....。

この手のついた容器は、その木工版なのです。
中国の桶と同じつくり方です。桶がつくられたのと同じ地方、たぶん竹の採れない地方でつくられたものだと思われます。


容器部分は、木を貼り合わせた、いわゆる「桶」になっています。


持ち手と容器との接続は?
なんと持ち手が桶の一片と一体になっていて、そのまま立ち上げてあります。そして、途中でてっぺんの部分のパーツと継いであるのです。
すごい技術!
桶の箍(たが)を外さない限り、持ち手の接続部分はしめつけられて外れないよう、中で組まれているのでしょう。持ち手はしっかりしていて、びくともしません。


桶の板には溝が彫ってあり、そこに底板をはめ込んで、太い針金で締めています。
桶のそれぞれの木片は、太いのや細いのがあり、並べている規則性もないので、一つずつ合わせながら、手持ちの大小の木を自在に使ったことがわかります。


そして蓋は、無垢の木をくり抜いてつくってあります。
手間も材料も必要ですが、蓋をふくらませれば、平らな蓋をかぶせるより、中に背の高いものを入れることができます。

立ちあがった持ち手が、蓋を固定する役割を果たしているところも、すごいところです。


中国では、気の遠くなるような見事な細工の高級家具などは大切にされているものの、庶民のつくり、使った民具が、注意を払われずどんどん失われていくのは残念なことですが、それはかつて日本に起こったことでもあります。

この菓櫃(勝手につけた名前)を見ていると、村のたくさんの人が、同じものをぶら下げて行きかっていた、ちょっと前までの良き時代が偲ばれます。
ちなみに、木製ですから重くて、2.5キロあります。


4 件のコメント:

kuskus さんのコメント...

うわー、素敵ですねぇ。シンプルな形なのに重厚感と力強さを持っていて。なんといっても把手がグーンと
大きく弧を描いてるとこが魅力的ですね。
手元にある材料で工夫されて作られたものには、きちんとそろった材料で作られたものにはない個性がググンと出てきますね。
長い旅の末、春さんのとこにやってきたのも偶然じゃないのかもしれませんねぇ。

さんのコメント...

kuskusさん
ありがとうございます。お元気でしたか?
すごい持ち手ですよね。この手のもの、中に入れるお料理が崩れないように持ち手は固定して、しっかり持って歩いたのでしょうね。紐でぶら下げると、ずっと簡単だと思われるのですが。
お寺などにお供えした時は、みんな蓋を取って、供物台にずらっと並べたのではないかと、勝手に想像しています。壮観ですね。
布とか平面的なものだと、端布をはぐ想像ができますが、立体、しかも合わせて丸くならなければならないものを複雑な形に彫っていくのは、考えられません。本当にお見事です。

kuskus さんのコメント...

はい、ご無沙汰でしたが元気に過ごしています。
日本人なら収納を考えてこんな大胆な把手はつけないだろうし、器自体ももっと薄くしてしまいそうですが、大陸的というかアジアのおおらかさというか、民族性の違いも見えて
おもしろいですね。

さんのコメント...

kuskusさん
よかった。
使う場面が違いますが「おかもち」とか、お花見重箱のようなもの、日本だったらきっと、軽くつくりますね。
感じが違うのですが、細い竹でできて、赤と黒に塗った、まるっこい竹の菓籠を見たことがあるような気がします。そんなものを参考に、竹のない地方でつくったのではないでしょうか。結婚式のお菓子を入れて、一堂にずらっと並べたりしたら、あの持ち手が目立ってかっこよかったので、どんどんエスカレートしたとか(笑)。まあ、家の中にものがあふれていたとは思えませんので、数少ないものの中で、一つの象徴的な調度品だったかも知れません。だから、しまうというより、そこいらに飾っていたのかもしれません。