梅は、咲くのが遅かったと思ったら、一気に花盛りとなりました。コブシも咲きはじめました。桜の開花も間近です。
そして、一年中あるとはいえ、桜のお菓子がおいしい季節です。
近所のお菓子屋さんの桜饅頭です。
いただきものの桜饅頭。
同じく、いただきものの桜饅頭。
桜饅頭もおいしいけれど、桜の葉でくるんだ桜餅はまた格別です。
小さい頃暮らした倉敷では桜餅といえばこれでした。ところが、中学生の時から住んでいた東京では桜餅は別にあり、これは道明寺という名前のお菓子でした。
東京の桜餅はこれ、桜色の薄く焼いた皮で、餡を巻いてあります。
桜餅の極めつきは隅田川の長命寺の桜餅です。
江戸時代から親しまれた味で、今は高速道路の下になってしまいましたが、向島の隅田川沿いの、桜並木のそばにお店があり、年中賑わっています。
葉を一枚めくってみると、白っぽい皮で餡を二つ折りにしてあります。
桜餅は葉も一緒に食べるのが好きですが、長命寺の桜餅は一つの桜餅に桜の葉三枚を使っているので、しょっぱい葉は、二枚くらいしか食べられません。
今暮らしている茨城では、桜餅と道明寺の区別はどうでしょう。桜餅にわざわざ関東風桜餅と断り書きをしてあるものもあります。
10 件のコメント:
春さん戦後九州にきたので戦前は大福もちの記憶だけです。
手は洗わない、生水(井戸水)は飲むので買い食い
はご法度でした。
美味しそうですね香りまで届きます。
昭ちゃん
そうですか。食べるものにも事欠いていた時代でしたね。桜餅屋さんのすぐ近くには、関東大震災でたくさんの人が犠牲になった公園もあります。
何気ない日常のすぐ陰に、いろいろなことが隠されていますね。
これから隅田川の堤はお花見でにぎわいます。
下から3番目の桜餅、綺麗なデザインですね。こちらでは、丸いのが通常です。私達は何気なく春の香りを楽しみながらいただいている桜餅ですが、戦時中には桜にまつわる辛い思い出をもった方もいらっしゃるので桜餅を食べる事ができない方もみえるのでしょうね。桜は日本人にとって特別な木ですから。
先日のホワイトデーのお返しにと息子は饅頭屋で春の和菓子を買っていました。はじめは自分で作るといっていたのですが面倒になったようです。ところで春さん、一日でこれだけのお饅頭を食べたのですか?
hattoさんヨコレスごめんなさい、春さんいいでしょー
私はダンゴ汁(九州では)関東ではスイトン(関東大震災で流行したとか)
食べられません。
これにまつわる思い出が多すぎるので。
今度の災害でも現状を残す、残さない賛否両論ですね、
直前まであった生活の音すべてが瞬間から消えたのですからね。
桜で同じですね。
hattoさん
下から三番目の写真は、両端を抑えてあるので四角く見えますが、楕円形の薄皮で、丸めた餡子をくるりと巻いたものです。
九州にお住まいだけれど東京生まれの昭ちゃんが以前、ご自身のブログで道明寺を桜餅としてUPなさっていました。「えっ、東京生まれなのに?」と思って、長命寺の桜餅の話をしたらご存じありませんでした。東京と言っても下町と昭ちゃんの生まれた六本木(当時は辺鄙なところ、失礼!)では違うと思い、長命寺の桜餅を買ったら桜餅のことを書こうと思って、桜のお菓子を食べるたびに写真を撮りためていました。土曜日に、やっと東京に行ったので、向島の桜餅屋さんに寄って、目出度くUPとなった次第です。ははは、いくらなんでも一日では食べませんよ(笑)。
昭ちゃんは桜餅は大好きなようですよ。といっても道明寺の方ですが。私も道明寺の方が好きです。あのもち米の触感がいいですね。
昭ちゃん
ありがとうございました。サツマイモが食べられない人、ジャガイモが食べられない人、かぼちゃが食べられない人、いろいろありますね。今でも、輸入食品がストップしたら、即食糧難です。
実は私桜がそう好きじゃないんです。どこかに書いた記憶があるのですが、美しい韓国のおばあちゃんが、刺繍の時間に朝顔の刺繍をしたら、非国民と呼ばれて連れて行かれて、そのまま従軍慰安婦にされたという話を聞いてから、あんなにおばあちゃんになってもきれいな人だから、難癖つけて連れて行きたいと、最初から狙われていたんだと思い、それから桜を見るたびにその話を思い出し複雑な気持ちになります。
というわけで、文句なく好きな「日本」は富士山だけです(笑)。
春さん国全体が一定の方向に向かうとき、
好むと好まざるに関わらづつっ走ります。
従わない者は非国民のレッテルを、、、。
「今だから話せる」と命や平和の話をするのも、、、、。
喋れない組織もできるわけで
近くの国のことをあまり言えない68年前があります。
まだ歴史が生乾きで語り継がれて100年300年後にどう判断するか、(私の独断と偏見です)
昭ちゃん
おっしゃる通りです。でもあの近い国だけではなく、この国だって、原発反対ですら表立って言えない日がすぐそこまでやってきているような気がします。「それで経済が停滞したらどうするの?」と袋だたきにあうような...。
経済が鈍っても、みんなで心身健康に生きようと、どこかで覚悟しなくてはならない時はすでに来ているような気がします。破滅してから気がついても、遅すぎますよね。
春さんはいろいろお判りだからお話しますと、
報道にはプレスコードがありオフレコも存在します。
学校を卒業〇〇省に入省報道関係の部署に、
(1941年)
情報は記者に流しても記事にできないのが鉄則で、これがオフレコです。
(情報は世界からはいりますからね・短波や雑誌で)
現在でも同じですね。
アッ!
これ以上書くと暗殺されます。(笑い)
当時の本音と建前は今でもつづいております。
くどくどごめんなさい。
昭ちゃん
年をとると、なんとなく裏が読めることがたくさんあります。でも読めないこともあるし、少しでも真実に近い情報を得られるよう、努力することしかありませんね。
あと自分自身の、真実は苦いのでできたら直視しないでいたいという気持ちとも、戦わなくちゃならないし(笑)。
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