2011年1月8日土曜日

あと一ヶ所! 天井張り



自分で家を建てていると、一応住めるようになったら、なし崩し的に入居してしまうものです。
そのため、家はいつ完成したのか、あるいはいつまでも完成していないのか、はっきりしません。

我が家の母屋は、大工仕事はほぼ終わっています。と言っても、完成しているわけではありません。
特にドアは、やっと二枚できているだけで、少なくても、あと四枚はつくらなくてはなりません。




小さな面積の天井張りが、三ヶ所残っていたのは、昨年暮れから、ぽつりぽつりと手をつけていました。
天井の上を物置にしている、お手洗いの天井は、厚さ30ミリの板を張りたかったのですが、使ってしまってありません。仕方なく、残っていた、厚さ40ミリの板を張りました。小面積だからいいものの、ちょっともったいない、贅沢な厚さです。
ここは、お相撲さんが乗っても、びくともしないでしょう。




その隣の、裏の出入り口の天井は、天井板用の、厚さ7ミリの板を張りました。
こちらは、猫も乗れないような薄さです。
見上げても、お手洗いの天井板と、裏の出入り口の天井板の厚さの違いが、まったくわからないのが、おもしろいところです。




天井張りは、台所の天井の一部を残すのみとなりました。
この天井を張るには、ぴったりと収めている、冷蔵庫を引っ張り出さなくてはなりません。
だから、一日で張り終わるよう、あれこれ段取りをしなくては、手もつけられません。

コンクリートにも釘を打たなければならないのか、壁を止めている木に釘を打つだけで十分か、時々見上げながら、張り方を考えているのですが、まだ着手する決心がつかないでいます。



2011年1月7日金曜日

ジャワ島のご飯籠



熱帯林の研修に参加させていただいたときのことです。

インドネシアのジャワ島で、バスで移動していたのですが、あるとき、昼食のために、街から離れたレストランに立ち寄りました。バスを降りて、街道からは細い田んぼ道を歩いて行くような、ひなびたお店でした。確か、ジョクジャカルタの郊外ではなかったかと思いますが、違っているかもしれません。

レストランは川のほとりにあり、靴を脱いであがるお座敷でした。
美しいジャワの農村風景が広がり、広々と素敵なレストランでは、たくさんのボーイさんたちが、テーブルのあいだを、きびきびと動き回っていました。




テーブルに着くとすぐ、私はご飯を入れた籠に、釘づけになりました。どのテーブルにも、足のついた籠に入ったご飯が配られているのです。
ラオスやタイの東北料理店では、籠に入ったもち米を見ますが、インドネシアで、しかも普通のご飯が籠に入れられているのは、後にも先にも、このお店だけでした。

やがて、私たちのテーブルにも、川魚料理と、籠入りのご飯が運ばれてきました。お料理は美味しく、籠のご飯ももちもちした、美味しいお米でした。
籠に夢中の私は、ボーイさんに、「この籠はどこで売っているのですか?」と聞きました。

帳場まで、どこで売っているか聞きに行ってくれたボーイさんは、「お一つどーぞ」と、空の籠を持ってきてくれました。お金を払うと言ったのですが、受け取ってはくれませんでした。




籠はラタンで編んであり、ヤシの葉柄か太いラタンを裂いて板状にした足が、簡単に止めつけてあります。

この籠を見るたびに、何十個もの籠が積み上げてあった、あのレストランの情景が、懐かしく思い出されます。

敷いた布は、東ティモールのイカット(絣)です。





2011年1月6日木曜日

テレプシコーラ





子育てのころは、子どもたちにつられて、漫画をよく読みました。
『ブラックジャック』、『じゃりんこチエ』、『ドカベン』、『パイレーツ』、『Dr.スランプ』などなど。
でも、年をとってからは、漫画はまったく読みたくなくなりました。絵と字の両方を追っていくのが、おっくうで、読んでいられなくなったのです。

かつて夢中で読んだ、手塚治虫の『火の鳥』や、小山ゆうの『がんばれ元気』でさえ、読み返そうとして、めんどうくさくてできませんでした。




そんな私に、10年ほど前、息子が山岸涼子の『テレプシコーラ・舞姫』を2、3冊くれました。彼は雑誌『ダ・ヴィンチ』を読んでいて、それに連載されていたので、単行本も買ってみたようでした。

バレエ漫画ですから、息子とはミスマッチですが、私とも大いなるミスマッチ、バレエの「バ」の字もありませんが、以後、自分で買って、続きを読んできました。

『テレプシコーラ』第1部は、「10」で、思いもかけない悲惨な結末で、突然終わりました。
「なんてことだろう」と思っていたら、しばらくして息子から、第2部がはじまっていると聞き、また読みはじめました。




その第2部も、昨日手にした「5」で完結しました。
今度も突然の終わりでしたが、明るい結末で、ほっとしました。
なんだかんだで、10年間も楽しませてもらったことになります。

どうして息子が、『テレプシコーラ』を私に勧めたのか、以前聞いてみたことがあります。
「だって、山岸涼子の『日出処の天子』を持っていたじゃないか」。
う~ん。『日出処の天子』は、全部読まないで、途中でやめたような...。

でも、『テレプシコーラ』が、最近の唯一の愛読漫画であるということは確かでした。




2011年1月5日水曜日

水入れの籠



西アフリカには、汁気のものを大量に運ぶには、ひょうたん(かんぴょう)という、便利なものがあります。

お酒も、醸すには粘土を焼いてつくった甕を使いますが、それを市場で売るには、軽い、大きなひょうたんに入れて、頭に乗せて運びます。
ひょうたんを何段も重ねて、自分一人では持ち上げられないほどの高さと重さになったものを、他の人に手伝ってもらって頭に乗せ、何キロもの道を歩いて行く人もいます。

他の地域ではどうでしょうか?
タイ北部(ランナー)や、ビルマでは、運搬容器として、籃胎(らんたい、竹の籠に漆を塗ったもの)を使いました。籃胎は材料が手に入りやすく、丈夫で容量を大きくしても軽いので、持ち運びに適していました。




この籃胎の鉢は、直径が38センチあります。
この鉢に売りたいお菓子や飲み物を入れ、お盆のような蓋を被せ、




ラタンで編んだ、このようなものに乗せて、




天秤棒で担いで、売り歩いたり、道端でお店を開いたりします。
鉢自体が軽いので、たくさん持って歩けます。

1981年にビルマに行ったとき、ラングーンの路上で、籃胎の鉢をいくつも見ました。道端に置いて、一杯5円ほどの、お汁粉のようなお菓子などを売っていました。
タイではその当時、似たお菓子を売るには、ホウロウの容器やガラスビンなどを使っていました。天秤棒で担ぐ籃胎の鉢は、お寺の壁画などでしか見たことのなかったので、普通に見られたことに、感動してしまったものでした。

もう、ビルマでも、こんな素敵な容器は消えてしまっているかもしれません。
どれも、根来(赤漆の下から、ところどころ黒漆が見えている状態)になった、本当に美しい鉢でした。




ちょっと傷んでいますが、カンボジアの水入れです。

籃胎はインドから東南アジアに、ヒンドゥー文化とともに伝播したのでしょうか?それともその後に、仏教文化とともに伝播したのでしょうか?
カンボジアには、ランナータイやビルマのような繊細な籃胎は見られません。水漏れを防ぐには、一般的には漆より、別の樹液を使う方が広くいきわたっていたのではないかと思われます。

これは、直径が25センチのボウルです。天秤棒で担いで行くには小さすぎますから、家庭で使ったものでしょうか。




カンボジアの水入れは、なぜか籠の底の中心が中に盛り上がっているのが特徴です。




もっと小さい、直径17センチの鉢です。
これは、水を入れた大きな鉢や素焼きの甕などに浮かべておいて、コップとして使ったものと思われます。




もしやと思って水に浮かべてみましたら、底が引っ込んだボウルは、底が平らなボウルより、安定して浮き易いことがわかりました。
タイでも、水飲み容器や、水浴びの桶(今はステンレスやアルミ製)は、よく甕などに張った水に、浮かべたままにしています。水に浮かべておかないと、置く場所によっては泥がついたり、ところかまわず置くと、見あたらなくなったりするからでしょうか。



2011年1月4日火曜日

葉っぱの水汲み



井戸水を汲むための、水汲み容器です。
一枚の葉っぱを畳んで、つくっています。


何の葉っぱでしょうか?しっかりと固いつくりです。

しかし、これが棚に納まっているのを見るたびに、残念な気がします。


というのは、ヤシの葉でつくった、別の水汲みが行方不明になっていて、見つからないからです。上の写真は、本の写しです。

もう、地下室もほとんど片づけてしまったというのに、いったいどこへ雲隠れしているのでしょう?かなり大きいものなのに、なくなったのでしょうか?

二つともタイ南部のものです。

確か、沖縄にも、ヤシの葉の水汲みにそっくりのものがありました。
かつて、東南アジアとは頻繁な往来のあった沖縄ですから、船の水をかい出すために乗せられていた、水汲みのつくり方が、遠い昔に伝わったものなのでしょう。



2011年1月2日日曜日

お椀



おせち料理はつくりませんでしたが、お雑煮はいただいています。
我が家のお雑煮は、瀬戸内海の現水島工業地帯のあたりの漁村で育った、私の祖母の実家風のお雑煮です。子どもたちはそれで育ったのですから、「おふくろの味」の行方には、興味深いものがあります。

もっとも、結婚した次男はどんなお雑煮を食べているのでしょう?

ちなみに、夫の亡き母は、東京の甘味処で頼むと出てくるような、江戸風のお雑煮をつくっていました。




我が家でもっとも使用頻度の高いお椀です。
欅に拭き漆で、縁と糸敷きには布が張ってあります。大ぶりなので、味噌汁、お雑煮、なににでも重宝します。中国製で、値段は、1500円ほどでした。
「そんな値段じゃあ、木地代にもならないから、とうてい太刀打ちできない」というのが、隣に住む木工家たちの意見です。
益子のお店で見たとき、二つしかなかったので、もっと買いたいと思いましたが、以後、目にしませんでした。そのお店は、陶芸家たちの話によると、商品の5割から6割の値段で仕入れているそうですから、仕入れ値は800円くらいということになります。
いったい中国の生産者たちは、いくら手にしているのでしょうか?




木曾の小学校の給食に使われている、漆の食器セットです。
「これさえあれば、最小限の食器で、とても豊かな生活ができる!」と、熟考のうえ購入したものです。しかし、わりとよく使っているものの、これだけで生活するなんて、夢のまた夢。最小限生活をするのには、煩悩が多すぎます。

子どものお客さんが来たとき、取り皿としてよく出しますが、漆があまりにもきれいに塗られているし、木に狂いがなくてゆがんでもいないので、お母さんたちは、「器を割らないように、子どもにはプラスティックをあてがわれたんだ」と、勘違いしているかもしれません。
もちろん、漆のお皿やお椀であることを、聞かれないのに説明したりはしません。




仁城義勝さんのお椀です。小ぶりで浅いので、そばちょこの代わりに使ったりもします。
仁城さんの器はどれも素敵ですが、自分で木地を挽くところからつくっているとか、一時にいろいろな形のものをつくらず、できるだけ同じ形のものをつくるようにして、値段を抑えているとか、その制作態度にも惹かれます。




実家にあったものです。
汁椀ではなくて、おひら椀と呼ばれていたものです。お大師講の集まりなどのとき、甘辛く煮た厚揚げを大きいまま乗せて、真ん中にすりおろした生姜を置き、汁をひたひたに張って出します。
たくさんあったので、妹たちと分けましたが、底がひび割れたりして、いくつかだめにしました。同じ漆といっても、昔の漆と今の漆では違うのでしょうか。それともご先祖様が安物を買ったのでしょうか。




これも、おひら椀でしょうか。こちらは、骨董屋さんで買ったものです。
大人数で集まったとき、豚汁をつくったりして、お椀がたくさん必要になるときがあります。そんなとき、お椀は勢ぞろいしますが、普段はお汁粉を食べるときくらいしか出番がないものです。

でも、漆の器が食器棚に並んでいるだけで、心が豊かになってしまう私です。



2011年1月1日土曜日

切手のうさぎたち






新しい年が明けました。
私の、貧弱な切手コレクションの中から、うさぎの切手をさがしてみました。

うさぎの切手といえば、日本の切手では、「年賀切手」でしょう。干支の年に、郷土玩具のうさぎたちが描かれています。
左は1963年、右は1987年の年賀切手です。

あいだの、1975年の年賀切手には、うさぎの模様はありませんでした。72年から75年までの4年間、なぜか、年賀切手に干支が使わていません。
1976年になってから、干支が再び登場しました。




1999年の年賀切手です。

私は、熱心な切手コレクターではありませんでしたが、毎年お正月前後に、忘れていなかったら中央郵便局に行き、その一年間に発売された切手を一枚ずつセットにしたものを買っていました。1990年代には、一年分で2000円から3000円ほどでした。

2003年に郵便局は日本郵政公社となりましたが、その前後から記念切手は華やかになり、頻繁に発売されるようになりました。
一年に発売される記念切手は、総額で1万円近くになり、買うのがためらわれるようになりました。
切手そのものも、十枚セットのシート中心になり、切手帖に工夫して並べる楽しみもなくなったので、私はとうとう、切手を買うことをやめてしまいました。




私の切手帖から、年賀切手以外で見つかったうさぎの切手は一枚だけ、1976年のアマミノクロウサギの切手です。




外国切手は、持っている数そのものが少ないのですが、一番うさぎの切手が多いのは、ヨーロッパではないかと、想像していました。
ところが、ヨーロッパには意外と少なくて、たった一枚だけ、ハンガリーの切手が見つかりました。




まったく期待してなかったのですが、中東からは、オマーンの切手を見つけました。




南北アメリカからは、合衆国の切手が一枚見つかりました。




意外に健闘したのが、アフリカです。しかも、コレクター向けの特殊切手ではなく、全部普通切手です。
ガーナの切手は、1960年代のものです。




左が南アフリカ、右がジンバブエの切手です。どちらもなかなか素敵なうさぎです。




そして、この装飾的な香港の切手は、1987年のうさぎ年の、干支の切手です。
今年も、よい年にしたいものです。