2016年9月4日日曜日

『世界の民芸』


古今東西、さまざまな地でつくられたものの中から、好きなものを選び出して愛でている本に、『世界の民芸』(浜田庄司、芹沢銈介、外村吉之介著、菅野喜勝写真、朝日新聞社、1972年)があります。

『世界の民芸』は、1970年から71年にかけての二年間、『週刊朝日』の連載されたものを本にしたものです。
当時、両親の家では毎週のように『週刊朝日』を買っていたので、訪ねたおりに、巻末のグラビアページを開いて、世界の民芸と出逢うのは楽しみでした。
美しい写真とともに、浜田庄司、芹沢銈介、外村吉之介という、「民藝運動」を推進してきた三人が、自分たちの探してきたものを熱く語っているのが印象的で、三人のわくわく感が伝わってくるような連載でした。


中でも、一番思い出があるのは、この袖なし上着です。
民族衣装には関心があったので、週刊誌を切り抜かせてもらって、この写真をノートに貼って持っていたのですが、渋谷にできた西武デパートの骨董屋さんで、これによく似た上着を見つけてしまったのです。
骨董屋さんとはいえ、そこにあるのが、唐突な上着でした。今考えても、どうしてあれがあそこにあったのか、不思議なくらいです。


週刊誌に連載当時に、取り上げられたものの中で、私が持っていたのはこのメキシコの入れ子の鉢くらいのものでした。


ところがその後、エチオピアのイコン、


ロシアの土人形、ルーマニアの土人形などに出逢いました。


他にも、イギリスのガーデントラッグやボビン、ボリビアの曲げわっぱ、インドの馬などなど、集まってきていて、当時と比べると地球は狭くなりましたが、手仕事も消えていきました。

本のあとがきで、浜田庄司は、面白いことを書いています。
「博物館で見るだけでは駄目です。安いものでも買わなければ身につきません。そして、身についてからも、育ての親として正しく使い込むのが大事な仕事です」
また文中に、
「使わなくて、飾ってみるだけでも十分なものもある」
とも書いてあります。
なんと、私に都合のいい言葉を言ってくれているのでしょう!

さて、『世界の民芸』に取り上げられたものの中から、三つだけあげると言われたら、どれが欲しいか、欲張りな私が選んでみました。


まずは、文句なくパキスタンの団扇です。
惚れ惚れしてしまいます。こんなのを手の中でくるくる回して涼を取る、何と優雅なのでしょう。バングラデシュの団扇も素敵ですが、パキスタンの団扇にはかないません。


次は、フランスのガラスのジャム容器です。
いろいろな色が混じったガラスといい、補強のために足した縦のガラスの筋といい、手元にあったらどんなに素敵でしょう!
 

ところが、第三位は決めかねました。
二股の枝を活かして丁寧に編んだフィリピンの手籠が素敵です。二股の木は、縁として編みこんで、先で丁寧に合わせているのです。


ところが、トルコの飾りものも美しい!
「どっちにしようかなぁ」
トルコの飾りものは平面なので、やっぱりフィリピンの手籠にすることにしました。

この連載は二年と決まっていたので回数に限りがあり、当時の日本に馴染みのあった中国、韓国、日本など東アジアのものは取り上げなかったそうです。
浜田庄司や芹沢銈介が、東アジアのどんなものを取り上げるか、それも見てみたかった気がしますが、外村さんの選択だけは、『少年民藝館』で知ることができます。







2016年9月3日土曜日

『物物』

ずいぶん前になりますが、我が家のフランスの土のビー玉を見て、友人のタムタムさんが、同じような土の玉の写真の切抜きを持っているからと、雑誌『ミセス』(1978年)の切抜きを送ってくれたことがありました。画家、猪熊弦一郎のコレクションの写真でした。

猪熊弦一郎(1902-1993)が愛でていたものの写真を、画家のエッセイとともに雑誌『ミセス』に連載した「現代玉手箱」は、その後、『画家のおもちゃ箱』(猪熊弦一郎著、大倉舜二写真、文化出版局、1984年)という、美しい本になりました。
『画家のおもちゃ箱』はAmazonの古書にも出てきますが、2013年に50,000円していたのが、今では86,000円もします。思い切っても買えない値段です。
その後、タムタムさんは、他の切り抜きもコピーして送ってくれました。

そんな猪熊弦一郎の集めたものが、『物物』(猪熊弦一郎集、ホンマタカシ撮、岡尾美代子選、ブックピーク、2012年)という本になったと知り、買ってみました。

最近の古本にはよくセロファンのカバーがかかっています

そんなものかとも思いますが、正直、失望する内容でした。
巻末の、堀江敏幸さん(編者の菊池敦巳さんを含めて、この本をつくられた四人のお名前は初めて知りました)のエッセイにあるように、猪熊弦一郎にとって、それぞれのものは、どれもその背後に物語を秘めたものでした。他人から見て骨董的に価値のあるものもあれば、ガラクタにしか見えないもの、路傍で拾ったものもありました。猪熊弦一郎は、それらを等しく愛でていたのです。
 
巻末のエッセイによると、『美術手帖』1949年11月号の「アトリエ訪問」で、辰野隆と土門拳が猪熊弦一郎のアトリエを訪れていますが、辰野隆の問いに対して、猪熊弦一郎は、自分をコレクターではないと言っています。
コレクターとは往々にして、希少なもの、名のあるものを求め、それが手元に来ると、傷つかないように厳重に包装して、押し入れの奥深く閉まったりします。
でも、猪熊弦一郎は、自分が見つけたものを目につくところに散りばめて、日々愛でていたかったのです。


そんなものたちを、こうやって単体で取り出してみても、あまり意味が感じられません。
確かに、本の表題のように、「物物」になってしまっています。


それに比べて、猪熊弦一郎のアトリエを撮影した大倉舜二の写真を見ると、ものだけでなく、その周辺からも、様々な物語を読み取ることができます。
古いビンと古い缶の置き方一つにも、「いい間」と「しっくりこない間」があって、猪熊弦一郎はきっとこだわったことでしょう。
丸いものを集めた中に、四角い缶を一つ置いたのも、きっと意味があったに違いありません。


『物物』では、一枚一枚の写真に、スタイリストとカメラマンの会話がついているのですが、それがさらにこの本を薄っぺらいものにしています。
二人の、軽い、深みのないものへの対峙の仕方が、文に見事に現れてしまっているのです。間違った発言も見られます。


猪熊弦一郎のもとに集まったものたちは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に収蔵されているそうです。どう飾られているのか、見たい気もするけれど、見ない方がいい気もします。
まずは、タムタムさんの送ってくれたコピーで楽しむのが一番よさそうです。


これは、我が家にあるもので、この本に載っていたものと、同じか、よく似ているものの一部です。
猪熊弦一郎はアメリカ東海岸に住んでいましたが、私も住んでいました。そこで、胸躍らせて手に入れた、メキシコの飾りものやおもちゃたちです。





2016年9月2日金曜日

小引き出し

庭仕事が忙しくて、あまり大工仕事ができませんが、それでも少しずつやっています。
まだ、大工道具や消耗品を入れる場所が十分ありません。
大工道具や消耗品を収納する場所ができたら、ヘッジトリマー、チェーンソー、スコップ、鍬などなど、かさばる庭仕事の道具の収納が控えているし、シート、ペンキなどもあり、きりがなく「収納を待っているもの」が控えています。


釘入れの箱引き出しとは別の方法でつくるため、まず引き出しを受ける部材をつくりました。
今回、見えるところは杉を使いますが、引き出しの奥のような見えない部分とか、受ける部材は、杉よりは堅牢な1×4を再利用します。
1×4は、スプルース(マツ科、トウヒ属)ではないかと思います。
 

道具を入れる引き出しは浅くしかつくれない場所に設置するものです。
というか、浅い方が都合がいいので、奥行きはわずか125ミリくらいしかありません。


引き出しを開けて中のものを取り出すには、覗くと見える、胸の高さくらいまでが限界です。
それでも、その上も有効利用したいので、上部は、細々したボルト、ナット、ワッシャーなどの消耗品を入れて、必要な時には取り出して使える箱引き出しにします。そのため、久々に木を組みました。
接着剤を使って組めば、縦横均等割りでも構わないのですが、接着剤は使わないで組むだけなので、荷重がかかってもいいように、垂直方向の切れ目を深くして、水平方向の切れ目は浅くしました。


組んだところ。
 

いやはや、箱引き出しは必要ですが、ちょっと数が多すぎました。
でも、実際は箱引き出しはこのくらいの大きさでちょうどいいし、数は必要だし、これはこれでよかった。ただ、たくさんつくらなくてはならないだけです。

下部の引き出しの引手は、名札を差し込むものをつけます。でも、箱引き出しの引手はどうするか?たぶん、指の入る穴を開けたものに落ち着くと思います。


設置したところ。


引き出しは、一般的には底板が薄くても組むことによって強度を出すのですが、そう時間を掛けられないので、また、大きさから極端に重いものは入れないので、底板と前板の取り合いは、接着剤を使いました。


あと一つ、一番下の段を除いては形ができたところです。
今日も庭仕事、あと一つですが、今日中にできそうにありません。






2016年9月1日木曜日

エチオピアの木枕


我が家の玄関は左右対称になっていて、扉を開けて入ると、両側に戸棚があります。
入って右側の戸棚の上には、友人のくまいさんの彫刻を真ん中にして、エチオピアの木枕などが置いてあります。
コンゴの占いの道具と見られるものもここに置いてありますが、何気なくエチオピアの木枕のことを書いた古い記事をさがそうとしたら、見つかりませんでした。
UPしたつもりでUPしていなかったようでした。


この木枕は、2013年1月の記事にちらっと出てきています。そこに、
「髷も結っていないのに、どうして首に当てる木枕を使っていたのか」
と書いてありますが、誤り、認識不足でした。

その後、エチオピアに通い詰めている友人が来たので訊いたところ、木枕を使うのは南に住む人たちの中の男性で、髷とまではいかないけれど、髪を結いあげているので、それが崩れないように、枕を首にあてて眠るのだそうです。
彼らは、家畜の放牧にも、市場にもどこにでも木枕を持って行きます。

髪を結うのはバンナ人なので、バンナの木枕の可能性が高いのですが、オロモ人やアリ人も使っているのかもしれません。聞き忘れました。


私の持っているのは、ごくごくありふれた形のものばかりですが、どれも単純で美しいものです。


木を切り倒して、よく切れない(失礼)鉈のようなもの一本で削り出し、誰もが自分の木枕は自分でつくったのです。


上から見たところ、


そして、底を見たところです。
底が、なかなかかわいい形をしています。








2016年8月31日水曜日

占いの道具?

アンタイディーのブログを覗いたら、コンゴの占い用道具がUPされていました。


コンゴのバクバ人(あるいはブションゴ人)のつくる、架空の動物で、この上で占いをするそうです。
あれっ、この姿、我が家の枕だと思っていた木彫りと、ちょっと似ています。
 

これが、我が家の枕だと思っていたものです。
さあて、これはどこのものだったか。記憶(記録)しておくべきでしたが、まったく覚えていません。もちろん、アフリカのものです。


顔は、どう見ても鳥です。


しかし、脚は四本あるので、架空の動物と言えば架空の動物です。


アンタイディーのものも、そこに引用されている1961年の日本での展示会でに出展されたイスラエル所蔵のものも、側面に彫刻がありますが、これはありません。
占いに使うなら、彫刻は必要な気もします。

上の面で占いをするそうですが、もしかすると、これを枕にして眠ってみた夢で占うのでしょうか?
それだったら、私は占い師失格です。夢を見て、目が覚めたその瞬間はどんな夢だったか細部まで覚えていても、起きようと身体をちょっと動かすと、すべて忘れてしまいます。


エチオピアの枕と比べると、低目ではあります。
これも占いの道具、イトンブアなのか、あるいは、アフリカの誰かが似せてつくったものか、たまたま似てしまったのか、よくわかりません。

それにしても、ユダヤ人の所蔵品とはいえ、1961年に日本でアフリカの工芸品の展示会が催されていたとは驚きです。
それから5年後の1966年にガーナに行きましたが、当時アフリカと日本の関係は果てしなく遠く、ガーナ在住の日本人は、単身赴任の大使館員3人、ガーナ人と結婚した女性、私たち夫婦の5人だけで、ときおりカツオ、マグロ漁船の乗組員がいたり、商社マンが短期で来たりするぐらいでした。








2016年8月30日火曜日

藤戸饅頭


弟が、叔父の法事で岡山に行ったからと、藤戸饅頭を送ってくれました。
弟と二人で叔父のお葬式に行ったのは二年前、その帰りに岡山駅で藤戸饅頭の店を探したのですが見つからず、列車の時間が来て、岡山まで行ったのにあえなく買えなかったものです。

包装紙は、私が小さかったころと同じで、「名物藤戸まんぢゅう」と右から書いてあるので、もしかしたら父が小さいころからこの包装紙、百年も変わっていないのかもしれません。


そして、箱にかけている紙も。
紙の絵の、左は藤戸寺、右は藤戸橋です。藤戸橋は汐入り川だった吉岡川にかかっていますが、その昔、源平合戦のころは一帯は海、小さな島がいっぱいあって入り組んでいました。そして、祖母の家は吉岡川のもう少し上流にありました。
藤戸寺では、毎月のように(あるいはもう少し少なかったか)縁日が開かれました。その仏縁日は、「おだいっさま(お大師さま)」と呼ばれ、近隣の人たちは三々五々、途中で塚やお地蔵さまに寄ってお供えをしながら、徒歩で藤戸寺を目指しました。
藤戸寺に着くと、広い境内や門前は出店で埋め尽くされて、賑わっていました。そこでは、縁日につきもののおもちゃや食べ物ではなく、台所道具とか下駄とか、必需品のお店が多く出ていたように記憶しています。
そして、藤戸寺の近くの藤戸饅頭の店で、ときおりお饅頭を買ってもらって、蒸かしたてのをいただきました。


箱を開けると、竹の皮に包んだ、むき出しの薄皮饅頭が並んでいるはずですが、一つ一つ包まれていました。
弟からのメールによると、
「2年ぶりに新幹線岡山駅&駅地下に行ったら、その活気にあふれる賑わいに圧倒されてしまいました。2年前には残っていた田舎臭さはもうどこにも見当たらず、東京とか横浜の街を歩くのと変わらない洗練が感じられました。恐るべし岡山県人の進取の気性でございます。
その中にあって藤戸饅頭はよく孤塁を守っていると感心しますが、20年くらい前からでしょうか饅頭をプラスティックの袋に包むようになってから昔のあのむき出しの饅頭の素朴な味わいが少しばかり消えたような気がするのは、守旧派の愚かなこだわりによる、ないものねだりにすぎないのかどうなのか自分にもわかりません。
人間の五感のうち、味覚、臭覚などは記録ができませんので、今と昔を比べるのは困難なのですが何だか昔のものの方がありがたく感じられるのは不思議な心理ではあります」
ということ、私も同感です。


藤戸饅頭は、たっぷりの餡を薄皮で包んだお饅頭で、その薄皮が柔らかいうちに食べるのも美味しいのですが、日が経って、薄皮がちょっと固くなったのを食べるのも、また別のおいしさだったのでした。










2016年8月29日月曜日

靴下をどう畳む?


洗濯した靴下はいつも、


二つ合わせてかかとで半分に折り、


片方のはき口を裏返して、全体を中に入れ込むようにして畳んでいます。


二つ折りにするところまでは同じで、


そのあと、はき口のゴム編みの部分だけひっくり返す畳み方をしていたときもありました。
母は、「ゴムが伸びるのが嫌」と言って、こんな畳み方をしないで、二つ合わせてただ、ごろっと結んでいました。でも、近頃はゴムの品質がよくなったのか、きついと感じる靴下はあっても、ゴムが伸びる心配はないような気がします。


さて、facebookで、靴下の畳み方を見かけました。
まず、靴下を甲の部分と足の裏の部分がわかれるように、押しつぶして畳んだものを十字に置きます。


下に置いた部分をつま先の方から畳みます。


上に置いた部分も畳んで、


ひっくり返して、中に、はき口の部分を折り込んだらできあがりです。
 

慣れないせいもあって、最初はちょっと時間がかかりましたが、慣れればどうってことないし、洗濯して、まだ乾いてないうちに平たく伸ばして干したら、もっと簡単に畳めそうです。


しかし、かかとから上が短い靴下は、どう頑張ってもこの畳み方では畳めません。


女性ものの靴下は、四角く畳むには、かかとから上が短めなものが多い気がします。
かかとから上があまり長くない靴下は、十字に交差させる場所をつま先寄りに寄せて、最後に挟み込める部分を確保していますが、不安定で触ると崩れそうなのもあります。


引き出しが薄いなら、四角く畳んだ靴下が並んでいるのを見るのは素敵だと思いますが、他の下着と一緒に衣装ケースに入れているのだから、四角く畳むメリットはありません。
ちょっと遊んでみただけ、これからも今までどおりに畳むつもりです。