2016年11月8日火曜日

竹の青大将


骨董市で、馴染みのない骨董屋さんの100円均一の箱の中に、竹の蛇を見つけました。
決して蛇のおもちゃが好きなわけではないのに、竹細工の蛇を見ると気になるのはどうしてでしょう?


たぶん、竹の蛇が中国で生まれ、中国人たちが移り住んだ東南アジア諸国でもつくられ、日本各地でもつくられた、その背景がおもしろいと思っているからです。
 

竹の蛇は、竹をぶつぶつと切って、それを針金でつないでつくります。
竹の切り方によるのか、穴を開ける角度によるのか、黄色い蛇は伸ばしたら平面にはならず、 頭と尻尾が跳ね上がりますが、緑の蛇は長々と平面になって横たわります。


黄色い蛇を強いて平面にしようとするとこんな形になります。
どちらも笛になっていて、日本での「お土産物」の竹の蛇は、笛になっていたのが定番のようです。


中国にも、絶対同じものがあるはずと、『中国のかわいいおもちゃ』(島尾伸三、潮田登久子著、平凡社、1997)を開いてみたら、蛇はなかったけれど、龍がありました。
龍と蛇はシンクロしているというか、本当に紙一重の違いしかなかったのですね。
 







2016年11月7日月曜日

益子の陶器市

kuskusさんのブログより

今秋の益子の陶器市はお天気にも、気温にも恵まれて、さぞかし大変な人手だったことでしょう。

私たちは、初日(11月3日)に行きました。
私たちの行動パターンは決まりきったもの、お隣のくみさんの店でカレーを食べ、kuskusさんの店をのぞき、たろうさんの店は相変わらず長い行列なので横眼で見ただけ、ゆみさんの店は初日だったというのに棚にはもう何も残っていない、異常な売れっ子ぶりで、それでも遅れてきたお客さんが食い下がっていたので、遠くから声をかけただけ、それだけで帰ってきました。
たくさんのお店が出ているのだから、もっとじっくり楽しめばいいのに、年々、訪問先は同じで、ちっとも広がりを見せません。


kuskusさんの店で、新しいお皿を買いました。直径25.5センチです。
じつは、大いに重宝していたkuskusさんの薄いお皿を、古い友人に差しあげてしまったので、代わりのお皿が必要になったのです。
友人には新しく買ってあげればよかったのに、急いでいたので手持ちのお皿を差しあげてしまいました。もちろん、気に入らないものをあげるわけにいきません。しかたなく気に入ったのを差しあげたのですが、後々まで悩ましい、困ったものです。

さて、益子に行ったらたいてい、古道具と古本の店「内町工場」にも寄ります。


「内町工場」で、形に惹かれて、統制陶器を買ってしまいました。
これまで、浜辺で統制陶器の陶片を拾ったことはありますが、買ったのは初めてです。


これは直径18センチ、厚手の磁器なので、割った銀杏や、冷めた揚げものを入れて、電子レンジで使うのに、ぴったりです。

星印ですから、陸軍用のものです。


底には、「名陶」の呉須印がつけられています。
名陶、名古屋製陶所(現在は鳴海製陶)の起こりは、1911年に設立された帝国製陶所、後に名古屋財界の資本が入って、名古屋製陶所と名前を変えました。
名古屋製陶所は、大規模で近代的な焼成窯を導入しましたが、戦争の影響により苦境に立たされ、名古屋の鳴海工場は住友金属工業に買収され軍需工場となり、統制陶器をつくりました。
戦後も鳴海製陶所として今に至っているそうです。
通常、統制陶器には、統制番号がついていますが、名古屋製陶は、日本陶器(ノリタケ)とともに、統制番号を持たない会社だったそうです。







2016年11月6日日曜日

「廣島一夫さんの仕事」展

昨日は、「廣島さん一夫さんの仕事」展を見ることと、小川鉄平さんのお話を聞くために、東京白山のギャラリーKEIANに行ってきました。
小川鉄平さんは、宮崎県日之影に住みついて籠づくりをされていて、晩年の廣島さんと交流があり、廣島さんの仕事や籠師の心意気を引き継ごうとしている人です。

会場が狭いので、お話会の定員は23名でしたが、その日は、1994年にアメリカで廣島さんの展覧会を催した立役者の、スミソニアン博物館のルイーズコートさんが来日されたとかで、竹細工関係者が多数集まっていて合流され、会場はもうびっしりの人でした。


お話会は、鉄平さんに、熊本県人吉で籠づくりの修業をされた稲垣尚友さんがインタビューするという形で行われました。
後の壁にかかる籠たちは、左の二つは、廣島さんが生涯の目標とされてきた、籠づくりの名手「うしどん」がつくったもの、そのほかは、廣島さんが編まれたものです。


「うしどん」は、2013年に88歳で亡くなられた廣島さんが、籠師としての修業を始めて間もなく、一度か二度だけ会ったときには、すでに60歳を超えていたそうですから、この籠たちは100年も昔につくられたものです。

廣島さんの籠のうち、稲垣さんの後ろに見える大きな籠は、赤ん坊を寝かせるための籠で、昭和30年代に使われたものだそうです。
ちなみに、ほとんどの籠は、日之影に住む人たちが持っていらっしゃるもの、鉄平さんたちが駆けずり回ってお借りしてきた籠だそうです。
 

日之影や高千穂地方には、独特の背負子「かるい」があります。
これは、鉄平さんが廣島さんのかるいと、かるい一筋で、一日に十近くも編んでしまうという伝説のある飯干五男さんのかるいの違いなどを説明しているところです。
また、その昔は、籠師さんでなくても、農閑期にかるいを編める人が日之影にはたくさんいたこと、子どもたちはみんなランドセルの代わりにかるいを背負って学校に通ったことなど、かるいにまつわるお話は、なかなか興味深いものでした。


この日竹細工関係者の集まりがあったため、奇しくも、水俣で籠をつくっている井上克彦さんとも、お会いすることができました。
ずいぶん前からメールのやり取りしていて、共通の友人、知人もいるのに、お会いしたのは初めてでした。

シタミ(魚籠)

廣島さんの籠はどれも、とっても端正です。
廣島さんの言葉に、無心で編んでいると、ときおり籠の方が自分を超えるという言葉があります。鉄平さんも、ときおり籠が勝手に編めていくというか、自分の力以上の籠ができたのを感じることがあるそうです。


中でも、私がとくに心惹かれたのはこの籠でした。大きくて使用感いっぱいのこの籠は、イダヒビ、イダ(ウグイ)のヒビ(筌、うけ)です。


メシカゴ。



これは廣島さんの仕事場にあった、ご家庭用につくられたもの、何度も洗われ、陽にさらされすっかり深い色になっています。


小川鉄平さんのお話で気がつかされたのは、もっとも一般的で、何の変哲もないと思われる丸い籠(ショウケ)が竹細工の基本であり、また難しいものだということでした。
経緯(たてよこ)に、太さの違うひごで編んできたものを立ち上げて丸くするのですが、正円と感じられる姿にすることが難しいそうです。


そして、立ち上がり方の丸みが無理なく、美しく、そして真横から見たら、縁の線が一直線に見えるように仕上げたのが、美しい籠だそうです。
ほかにも、縁巻きの竹の使い方などなど、竹細工の奥の深さを垣間見せていただきました。











2016年11月4日金曜日

道具入れ分解


これは15年前、家を自力で建設することを決めて、まず最初につくった道具入れでした。
扉があって、屋根を閉めていたときに写真を撮っておけばよかったのに、わずかに残っていた中のものを取りだし、扉は跳ね上げたあとの写真です。

この地に家を建てることになったとき、8キロほど離れた小さな町でアパートを借りました。
そして、軽トラックを購入、毎日草刈り機や大工道具を持って、敷地まで通いました。やがて、草を刈っただけの、何もないところに、大工道具を常設するために、この道具入れをつくったときは、家づくりの一歩を踏み出したような気がしたものでした。

 
お弁当をつくって通うのは、時間やガソリン代のロスだし、アパートの家賃もかかるしで、一年半後には、家賃一年分の資金で、敷地内に鉄パイプとビニールで仮設小屋を建てました。


その後は、仮設の物置や作業場もつくったりして、この道具入れに大切なものを仕舞って鍵をかけておくということもなくなってしまいました。


増築のとき、ここに移動させてからは、すでに傷んでいたこと、他にも道具をしまう場所があったことなどから、さらに重要性は減りましたが、それでも鉈や、剪定ばさみ、鉄切りばさみなどを入れていました。


といっても、あまり使っていなかった証拠に、アシナガバチの巣が三つもありました。


分解完了、屋根(蓋)を除いてすべて燃やしてしまいました。
次は、その左隣の、シートを入れているのも取り壊し、木工室だったビニールハウスも取り壊す予定です。





2016年11月3日木曜日

時代考証

考えてみるまでもなく、「見なけりゃいい」のですが見てしまって気になります。
NHKの朝の連続テレビ小説のことです。
「べっぴんさん」は、戦後間もないお話の展開ですが、昨日、占領アメリカ軍人の家のテーブルクロスをどうしたらよいかということで、
「パッチワークにしたらどうか」
一人が提案していました。
言っている人は、英語を解さない設定、当時、日本に「つぎはぎ細工」は存在しましたが、「パッチワーク」という言葉はありませんでした。

 
昭和29年(1954年)に初版が発行された村岡花子訳の『赤毛のアン』では、「パッチワーク」は「つぎはぎ細工」、「キルト」は「さしこのふとん」となっています。そのいずれも知らない日本人にどうやって知らせようかと思った、村岡さんの気持ちが伝わってきます。


日本に「パッチワーク」や「キルト」という言葉が紹介されたのは、1970年初頭です。
それまでも、私の母にしてもつぎはぎ細工はつくっていましたが、パッチワークという言葉はありませんでした。

朝の連続テレビ小説には、太平洋戦争前後がよく出てきます。
戦後まもなく、みんなモンペを脱ぎ捨ててスカートになったのに、どのお話でもみんないつまでもモンペを履いているのが、何度も書きましたがいつも気になっていました。
しかも戦中につくったもんぺとしたら、目立つ派手な色は禁止されていたはずです。それなのに、赤いモンペを履いているの人がいつも出てきます。赤い色は、派手ということだけでなく、B29からも目立つということでも禁止されていたのでしょう。
また、戦後間もなくから、大人の女性はほとんどパーマネントをかけていたはずです。長い髪をさらさらさせている大人の女性はいませんでした。もっとも男性だって、七三に分けた刈り上げでしたが。

それだけで、けっこういらいらするのに、パッチワークなどと言われては、気がそがれます。


そして今朝、西欧のパッチワークの伝統模様を下書きしているのも見ました。
「無理無理、無理だよ」
と思いながら見ている私はなんでしょう?

しかも今朝、その前の時間帯で再放送している「ごちそうさん」で、戦前の設定なのに、「あげナスとオクラ」の味噌汁などという言葉が出てきました。
「ごちそうさん」では、せっかく、トマトのことを「赤茄子」と言っていたくらいだったのに、いきなりオクラがどうして出てくるの?
私は、ガーナで初めてオクラを見ましたが、日本の市場に出回り始めたのは、ずっと後、たぶん1980年代ではないかと思います。
やれやれ。

追記:

『赤毛のアン』を読み返してみたら、「つぎはぎ細工」ではなくて、「つぎもの」でした。縫物があり、編み物があり、そして継物というわけです。
その昔は、外国語をすべて日本語をつくってあてはめました。それも、カリキュレーターを電子計算機と訳したあたりが最後だったのでしょうか。今はそのままになりました。むしろ日本語で言えるのに、「コンセンサス」だの「ミッション」だのと、英語をはさむ人も多くなりました。




2016年11月2日水曜日

『たんぽぽのお酒』

夏休み前にラジオを聴いていたら、夏休みの子どもたちにお勧めしたい本を紹介していました。
その中に、『たんぽぽのお酒』(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、晶文社、1997年、アメリカでの最初の出版は1957年)があり、古本で買ってみました。


ページを開いて、戸惑ってしまいました。
いつも、文学っぽい本はなんとなく敬遠していましたが、これはまさにそんな本で、言葉が躍っていました。

他に読む本があるとき、『たんぽぽのお酒』はいつも後回しになりました。何も読むものが見当たらない時だけ、しかたなく手を伸ばし、布団の中で開きましたが、言葉が頭に入ってきません。数ページも読み進まないうちに眠くなって、閉じてしまいました。

最初のうち、同じページに、パパとお父さん、ママとお母さん、おじいさんとおじいちゃん、おばあさんとおばあちゃんが入り乱れていることに、いらいらしました。
翻訳ものですから、実際のところはどう書かれているのか、原書と突き合わせてみるしかありませんが、それでも本文の中だけでなく、会話の「」の中でも乱れているのだから、訳者が気にしていなかったとしか思われませんでした。
というわけで、あちこち引っかかって一向に読み進まず、夏がとっくに過ぎてしまいました。

それでも少し慣れてきたと思ったら、こんどは、内容が重くなってきました。
物語は、1928年のひと夏が、アメリカのイリノイ州の小さな町に住む12歳のダグラス少年を中心に描かれています。
夏の楽しさを、たんぽぽを摘んでつくったお酒に閉じ込めて、それを陰鬱で長い冬に口にすることによって、楽しかった夏を甦らそうという物語ですが、全文にあふれているのは、生の歓びよりも、「死」ばかりにみえました。
そして、最高に楽しい夏の間にも、「孤独の人」に忍び寄られた人たちが、たくさんの思い出とともに死んでいき、ダグラス自身も死にそうになります。

全編、あまりにも「死」の色が濃いので、
「これは、一体誰のための本だったかしら?」
と思わず本を閉じて表紙を見返したこともありました。
と、帯には、「少年ファンタジー」と大きく書いてあり、子ども向けの本に違いありませんでした。
そんなわけで、本を閉じて寝ようとすると、とたんに眼が冴えてしまうようになりました。寝る前に読むには全然適していない本と言えるかもしれません。

ところが不思議なもので、三ヶ月も仕方なく開いたというか、渋々つきあった『たんぽぽのお酒』も、読み終えるころには、わりと親しいものになっていました。


そして、もう一度読み返したときは、物語に集中できて、パパとお父さんの混在すら、そう気になりませんでした。
一度目は、私に抽象的、詩的な言葉を読む素地が、まるでなかったということでしょうか。
あるいは一度読んで全体像がつかめたので、言葉の端端から、やっと物語を映像として思い浮かべることができるようになったのでしょうか。





2016年11月1日火曜日

素敵なお菓子は素敵なうつわに

神戸では、旧知のY.Sさんたちとお会いすることができました。


そのY.Sさんからいただいたお菓子の箱です。
 

凸凹のある紙が、底にまで貼ってある、とってもきれいな箱でした。


そして、中に入っていたのは、「めで鯛もなか」、
 

鯛の背中が開いて、きりっと餡が入っていました。
 

同じお店の「丁稚羊羹」は、いまどき、本物の竹皮で包んでありました。
Y.Sさん、ごちそうさまでした。