2021年3月12日金曜日

招き猫 ミニチュアコレクション

しばらく前に、今戸土人形制作者のいまどきさん(吉田義和さん)のブログに、いまどきさんのつくった丸〆猫が、招き猫ミュージアムの手によって、フィギュアになることが紹介されていました。
いまどきさんは、全然喜んでなくて、「あれは復刻し始めた初期のものだから、別のモデルにして欲しいと頼んだけど、聞き入れられなかった」と、残念がっていました。

そんないまどきさんの思いを知りながらも、私は招き猫を代表したフィギュアセットをつくるなら、その中に招き猫の元祖ともいえる今戸焼きが入っているのは当然なことだし、いまどきさんの丸〆猫が広く知られることも、とてもよいことだと思いました。


そして、もちろん買ってしまいました。


招き猫ミニチュアコレクションは5体セットですが、付属の解説書の写真には、丸〆猫が真ん中に配置されていて、これもいいなぁと思ったものでした。惜しむらくは、全体の大きさのバランスがなんとなくちぐはぐに見えることです。左から二番目の旭土人形がもう少し大きくて、一番右の常滑焼がもう少し小さかったら、もっとバランスがよくなる気がします。

以前、日本招猫俱楽部の坂東+荒川夫妻の企画で招き猫のフィギュア12種類が発売されたことがありました。
この時は、すべてが郷土玩具の招き猫でしたが、今回はいわゆる郷土玩具は旭と今戸の2体だけです。


九谷焼の招き猫は、おもには輸出向けにつくられていた(いる?)もので、大型で、全身が模様で埋め尽くされているものもあります。前垂れの模様に見えるように、釉は盛り上げてあります。
フィギュアは、脚を崩して横座りしたのをモデルにしています。

九谷焼の招き猫と言えば思い出すのは、つくばにあったメガネ屋さんです。店内のガラスケースの、手が届かないような高いところに、いくつもの九谷焼のお皿を飾り、りっぱな招き猫も2体飾ってありました。九谷焼の招き猫は小さいものでもかなり高額ですが、メガネ屋さんのはどれも30センチほどあり、暖色系の色と寒色系の色の2体で、九谷の招き猫が好きではない私が見ても、なかなか素敵な招き猫でした。
ところが、つくばでは1988年に大きな地震があり、地震後しばらくしてメガネ屋さんに行ったおり、九谷焼のお皿も招き猫も、ほとんど割れてしまったことを知りました。がっかりなさっていたお顔を、今でも思い出すことができるほどです。
あのころは、地震も多くはありませんでした。


愛知県三河地方の招き猫は、大きな耳が特徴です。三州瓦の鬼瓦職人の影響を受け、90センチもある大きなものもつくられていました。
これは、高山八郎さんの旭土人形をモデルにしてつくられたものです。


今戸焼の丸〆猫。いまどきさんの丸〆猫をモデルにしてつくられています。


本物の丸〆猫と並べてみると、そっくりで、私の丸〆猫も、いまどきさんが復刻し始めた、ごくごく初期に手に入れたものだとわかります。いまどきさんご自身が恥ずかしがられるのはわからないでもないですが、初期のころのものには、初期のものの良さがあります。


そして、瀬戸の磁器の招き猫です。
瀬戸は、明治後期に、日本で初めて招き猫の量産をしたところです。
これは、招く手が控え目な大正時代の招き猫をモデルにつくったものだそうですが、なんだかなぁ、磁器猫としては目がもっと小さい方が、私にはしっくりきます。


そして、愛知県常滑市で、昭和20年代半ばに誕生した二頭身の招き猫です。
招き猫としては後発ですが、戦後の経済高度成長の波に乗って、小判を持った招き猫はあっという間に日本中に広がり、開店祝いの定番品となりました。
誰もが招き猫と言われて思い浮かべるのは、この猫です。わが家にもかつてはたくさん棲息していましたが、3.11でずいぶん壊れてしまいました。
常滑焼の招き猫としては、私は小判を持っていない方が好きですが、代表的なものといえば、小判を持っているものに落ち着くのもやむを得ないことでしょう。


解説書には、丸〆猫の写真だけ、2カ所に使われていました。


我が家にいる、同じ型だけれど違う絵つけの丸〆猫。お顔がちょっと違います。


どの後ろ姿もかわいいけれど、丸〆猫がやっぱり素敵です。






 

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