奈良時代に大陸から持ち込まれた疱瘡(天然痘)は、種痘が行われる近代まで、千数百年にわたって日本人を苦しめ続けました。老若男女、貴賤を問わず誰でもかかりましたが、とくに幼い子どもたちが多くかかりました。
疱瘡は、「疱瘡神」が訪れると発病し、その訪問は断れないものと思われていました。そこで、疱瘡にかかると「赤」で病人の枕もとを埋め尽くし、赤の呪力によって早々に退散してもらうことを願いました。赤は疱瘡の発疹の色、疱瘡神がより赤いものの方に乗り移っていくと考えられた、と言われています。
そんな、疱瘡除けの玩具の中に張り子のミミズクがあります。
江戸でつくられたのですが、これはそう古いものではなさそう、さりとて新しいものでもない、いつごろ、誰によってつくられたものか不明です。
大きく見開いた眼は高熱による失明除け、ミミズクにしては長い羽角は、兎の耳のようですが、それはまた兎のように元気に飛び跳ねて欲しいという願い、兎の肉を食べさせると疱瘡から回復するとも言われていました。
そして、土人形ではなく中が空洞の張り子なのは、病気が軽くすんで欲しいという願いも込められていたのだそうです。
ミミズクはたくさんつくられ、親が子のために買い求めるだけでなく、親せきや近所の人たちが競って贈りものにするため、買い求めました。
千葉惣次さんの『江戸からおもちゃがやって来た』(晶文社、2004年)には、同じく江戸でつくられた練りもののミミズクが紹介されています。
一度、骨董市が開かれる「栗の家」で、千葉さんのコレクションが展示され、拝見したことがありました。すべて江戸時代につくられたおもちゃですから、染料・顔料は植物・鉱物由来のものばかり、とくに赤が何とも言えず美しかったのを覚えています。そしてミミズクたち、とっても素敵でした。
残念ながら、全国を回って集められた千葉さんのコレクションは火事にあい、茅葺き屋根のお家とともにすべて焼失してしまいました。
4 件のコメント:
春さま
素敵なミミズクをお持ちですね。芝原人形の千葉さんの民家には、古道具坂田さんのas it is がオープンした頃に一度伺いおもちゃを見せて頂いたことがありましたが。民家ごと火事にあわれたとは存じませんでした。たしかに千葉さんの本にある江戸時代の玩具コレクションは、玩具の変遷を見る上でも貴重な存在でしたので、消失してしまったことが大変痛ましくおもいます。
フナコレタロさん
私も骨董の誠屋さんからうかがったときは言葉を失いました。『江戸からおもちゃがやって来た』の帯には、「よくぞ、ここまで残っていたね。」と書かれていましたし、兵庫の日本玩具博物館の井上さんのように、日本中のお蔵のある家などを訪問して、足で集められたようでしたから。
しかし、千葉さんが気持ちを切り替えて、『東北の伝承切り紙』を出されたのが、2012年、火事はそれより前のことでした。それまで、定期的にお家での見学会もなさっていて、行きたいと思いながら行けないままになってしまいました。
形あるものは、いつかは失われますが。
春さま
『東北の伝承切り紙』ですか。たしかに宮城あたりの正月飾りの切り紙には、鯛や宝袋、小判に福枡などのおめでた物をかたちどった、凝ったものがありますね。千葉さんと一度お会いしたときは、ずいぶんと癖の強い方とかんじましたが。揺らぎのない審美眼は、特出されておりますものね。日本玩具博物館も四半世紀前に一度観ただけですが。郷土玩具の多くに関しては、やはり古いもののほうがどこか表情が豊かに感じますね。『うないの友』の木版画も味があって好みです!
フナコレタロさん
『東北の伝承切り紙』は、しっかり読んでないので(笑)、もう少ししっかり見てから、いつか紹介しようかと思っています。
私が自分の目で見た切りこは、素朴でしたが素敵でした(http://koharu2009.blogspot.com/2014/01/blog-post_30.html)。
武井武雄はコレクションを焼失して(こちらは不可抗力)から、郷土玩具に二度と関心を寄せなかったと言われていますが、千葉さんも気持ちを切り替えたとはいえ、お気持ちは察するにあまります。
古いものの方が豊かなのはなぜでしょう?かつてだってつくるとき、生活がかかっていただろうからお金に換算しなかったわけはないはずですが、手は抜かなかったのでしょうね。素材は自然素材だけだし。だるまの真空成型など、効率を優先した最たるものですね。でもそうやってつくらなければこたえられないほど需要があるというのも、いいことだとは思うのですが。
コメントを投稿