2024年6月23日日曜日

今宿のお雛さま


縁あって我が家に来た、福岡の今宿人形の2代目、大橋重雄さんの土雛です。
端正なお顔、豪華ながらも鄙びていて、土人形の良さが損なわれていません。

土人形は陶工の余技としてつくりはじめられたもの、江戸時代には子どもの節供祝いに土人形を贈る風習が盛んになり、土人形づくりは日本中に広がり、各地でその地の色を加えて発酵しました。
今宿人形は博多人形の流れをくんだ土人形で、明治38年(1905年)に、
福岡城下から肥前国唐津に通じる「唐津街道」の宿場町今宿で、大橋清助によって創始、「人形屋清助(人清)」が開業されました。今宿は宿場町として栄え、今津湾に面していた土地柄、良質な粘土(白土)が採れたことから、土人形は今宿に根づきました。
さて、明治から大正・昭和と世の移り変わるにつれて、素朴な土人形の需要が減り、博多土人形は時流に乗った美術的なものに姿を変え、新型がもてはやされるようになりました。
そんな中、人清こと大橋
清助は古い博多人形の型にこだわって、古型の博多人形を守り通し、その技と精神を養子(孫、甥?)の大橋重雄に受け継ぎました。


女雛は高さ約35センチある大きなものです。


そして、男雛は高さ約32センチあります。
今宿の土雛は型が素晴らしいこともさることながら、絵つけもすばらしく、土人形なのにまるで錦の衣装を着ているように見えます。


今宿土人形は重雄さん亡き後、一時は存続も危ぶまれましたが、運よく姪の佐藤由美子さんと夫の好昭さんが土人形の製作をしており、「人清」の名をついで、明治時代につくられた古い土型を使って制作、継承しています。


絵付け中の佐藤さんの奥に、雛人形が見えています。


佐藤由美子さん作の、今宿のお雛さま、明治の型をそのまま使っています。



 

4 件のコメント:

茶々丸 さんのコメント...

今宿の内裏雛は大型で飾り映えがしますね☆
前から気になっているのですが、
今宿では本来の眉を潰さずに、別口で引眉的なものが足されていますが、
どういう意図なのでしょう。
これは今宿だけの描写のような気がします。

最後の画像ですが、
佐藤さん作ではなく、これも大橋重雄さんの作と思います。

さんのコメント...

茶々丸さん
眉と引き眉に関しては、その昔ブログに書いたことがありましたが、一般的な雛人形では両方描く方が普通(https://koharu2009.blogspot.com/2012/11/blog-post_23.html)みたいでした。また、土人形もちらほら両方描いたお雛さまが見えますよ(https://www.asahi-net.or.jp/~vc3k-nrm/gang/gang_hina.html#r2)。

最後のお雛さまも大橋重雄さんでしたか。力作ですが、お顔が少し違うかなと思ってしまいました。茶々丸さんは長崎にお住まいだから、佐藤さんの工房をささっとのぞくことが出来ますね。招き猫がちょっと気になります(笑)。

茶々丸 さんのコメント...

今まで雛人形の引眉をよく見ていませんでした。
今宿が特にはっきりとした黒点なので、それだけが気になっていたのだと思います。

大橋重雄さんとはお互いに行き来していましたが、
佐藤さんは個人宅のような感じなので、未だお邪魔していません。
招き猫は経済的に無理でした(-_-;)
佐藤さん作はとても丁寧で、絵の具が剥離するような心配はありません。
重雄さんの作は、昔の富山同様、剥離が進みますのでご注意くださいませ。

さんのコメント...

茶々丸さん
そうですか、大橋重雄さんと行き来されていたのですね(^^♪
昔の今宿人形で絵の具が剥離しているのがありますね、写真で見ました。膠が強すぎた?でも私の持っているのは、何となくですが、あまり剥離しそうな気配はありません。

やっぱり招き猫はお高いのですね?(笑) そんなことじゃないかと薄々思っていました。
私の場合、一期一会、出逢いがあればお招きするといったところなので、今宿の招き猫とはご縁がないかもしれません。