縁あって我が家に来た、福岡の今宿人形の2代目、大橋重雄さんの土雛です。
端正なお顔、豪華ながらも鄙びていて、土人形の良さが損なわれていません。
土人形は陶工の余技としてつくりはじめられたもの、江戸時代には子どもの節供祝いに土人形を贈る風習が盛んになり、土人形づくりは日本中に広がり、各地でその地の色を加えて発酵しました。
今宿人形は博多人形の流れをくんだ土人形で、明治38年(1905年)に、福岡城下から肥前国唐津に通じる「唐津街道」の宿場町今宿で、大橋清助によって創始、「人形屋清助(人清)」が開業されました。今宿は宿場町として栄え、今津湾に面していた土地柄、良質な粘土(白土)が採れたことから、土人形は今宿に根づきました。
さて、明治から大正・昭和と世の移り変わるにつれて、素朴な土人形の需要が減り、博多土人形は時流に乗った美術的なものに姿を変え、新型がもてはやされるようになりました。
そんな中、人清こと大橋清助は古い博多人形の型にこだわって、古型の博多人形を守り通し、その技と精神を養子(孫、甥?)の大橋重雄に受け継ぎました。
そんな中、人清こと大橋清助は古い博多人形の型にこだわって、古型の博多人形を守り通し、その技と精神を養子(孫、甥?)の大橋重雄に受け継ぎました。
4 件のコメント:
今宿の内裏雛は大型で飾り映えがしますね☆
前から気になっているのですが、
今宿では本来の眉を潰さずに、別口で引眉的なものが足されていますが、
どういう意図なのでしょう。
これは今宿だけの描写のような気がします。
最後の画像ですが、
佐藤さん作ではなく、これも大橋重雄さんの作と思います。
茶々丸さん
眉と引き眉に関しては、その昔ブログに書いたことがありましたが、一般的な雛人形では両方描く方が普通(https://koharu2009.blogspot.com/2012/11/blog-post_23.html)みたいでした。また、土人形もちらほら両方描いたお雛さまが見えますよ(https://www.asahi-net.or.jp/~vc3k-nrm/gang/gang_hina.html#r2)。
最後のお雛さまも大橋重雄さんでしたか。力作ですが、お顔が少し違うかなと思ってしまいました。茶々丸さんは長崎にお住まいだから、佐藤さんの工房をささっとのぞくことが出来ますね。招き猫がちょっと気になります(笑)。
今まで雛人形の引眉をよく見ていませんでした。
今宿が特にはっきりとした黒点なので、それだけが気になっていたのだと思います。
大橋重雄さんとはお互いに行き来していましたが、
佐藤さんは個人宅のような感じなので、未だお邪魔していません。
招き猫は経済的に無理でした(-_-;)
佐藤さん作はとても丁寧で、絵の具が剥離するような心配はありません。
重雄さんの作は、昔の富山同様、剥離が進みますのでご注意くださいませ。
茶々丸さん
そうですか、大橋重雄さんと行き来されていたのですね(^^♪
昔の今宿人形で絵の具が剥離しているのがありますね、写真で見ました。膠が強すぎた?でも私の持っているのは、何となくですが、あまり剥離しそうな気配はありません。
やっぱり招き猫はお高いのですね?(笑) そんなことじゃないかと薄々思っていました。
私の場合、一期一会、出逢いがあればお招きするといったところなので、今宿の招き猫とはご縁がないかもしれません。
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