2013年10月19日土曜日

カマキリ人形


 
メキシコの木彫のアレブリヘです。着脱可能な足は、いったい何でできているのでしょう?
メキシコには、竹があると聞いたことはありません。木の枝だったらすぐに折れてしまいそうな気がしますが、これはしっかりしています。


この顔、この顔!あくまでも真面目です。


アレブリヘは抽象化された動物像が多いのですが、カマキリは本物そっくりなのに、造形的に見えるのが面白いところです。



怒っているのに、滑稽に見えます。
もっともカマキリは弱肉強食の世界、人生は決して平たんなものではありませんが。





2013年10月18日金曜日

ビルマのお土産

私が入院してすぐ、姪の娘のみおちゃんから、ビルマから帰ってきたこと、私へのお土産があるのだけれど、どう渡したらよいか、という連絡があったそうです。
夫はちょうど東京に行く用事があったので、東京でみおちゃんと会い、お土産を持って帰ってくれました。

いつも、海外に行くたびに、
「おばちゃん、何か欲しいものある?」
と聞いてくれるみおちゃんに、今回は、以前は持っていたけれど、今は見当たらないつるべ(=水汲み)の写真を渡していました。

十数年前、下の息子が私の留守宅に住んでいたときに、彼の子犬が、日中お留守番をさせられていたため、その腹いせに、私が部屋に飾っていたものを片っ端からかじってくれました。
息子は、ひどくかじられたものはそっと処分したらしく、私が聞いても知らん顔をしていました。でも、捨てることのできない小学校の椅子などには、今も犬のかじり跡が盛大に残っています。
このつるべもそうやって失われたのではないかと、推察できるのです。

「これはタイのものだから、ビルマにはないかもしれない。もし、出逢ったらでいいからね」
とお願い仕方は控え目なものの、みおちゃんにはビルマ人の友人が大勢いるので、期待はしていました。
さて、ビルマに渡ったみおちゃん、これはシャン人(=シャム人=タイ人)がつくっているものではないかと聞かされ、シャンの村に行ったときさがしてみてくれたけれど、その村ではつくっていなかったそうでした。


写真のつるべはタイ南部のものです。写真が掲載されている『THAI FORMS』の説明には、ヤシの葉でつくってあると書いてありましたが、ヤシの種類までは書いてありませんでした。

小ぶりだけれど、まったく同じ形の水汲みを沖縄で見かけたことがありました。
タイ民族というよりマレー民族の知恵でしょうか。マレー系の人々が暮らしている、タイ、マレーシア、フィリピンなど海辺の村で、このヤシの水汲みをつくっていて、その昔に交易があった頃、沖縄にも伝えられたと考えると、とってもすっきりします。

ビルマもアンダマン海に長く伸びた地域がありますが、マレー系の人々が住んでいるとは、あまり聞いたことがありません。
とすると、ビルマに行くみおちゃんに、この水汲みをさがしてと頼んだこと自体無理があったと、今頃になって気づきました。


さて、そんなみおちゃんからのお土産です。
「こんなもので、ごめんね」
とみおちゃんが買って来てくれたのは、籠バッグでした。


農作業用ではない籠バッグ、いったい、街のどんな人が使うのでしょう?
それとも、外国人向けのお土産品でしょうか?


この籠を見ていると、30年昔のビルマの街角や農村の面影が目に浮かんできます。
すっかり変貌しているはず、感慨深いものがあります。


竹の籠ですが、ところどころラタン、そして紐にはプラスティックが使われています。


ちょっと見にはパンダナス製?と見えた肩掛けの紐の部分は、
「たはっ。よくできている!」
でこぼこまであるプラスティック紐でした。
この紐はビルマ製でしょうか、それともタイ製でしょうか?
ビルマの半鎖国時代から、タイとの国境貿易は盛んに行われていて、タイ製品はよく見かけたものでした。


籠に入っていたお土産のスパイスはフェンネルです。これまであまり使ったことのないスパイスなので、使い方を考えなくてはなりません。

そして、葉っぱを漉き込んだ手漉き紙の栞に書かれているビルマ文字は何でしょう?三文字だから私の名前かな?
今度みおちゃんに会ったときに聞かなくてはなりません。



2013年10月17日木曜日

吸い飲み


背中を打って入院中、二週間は絶対安静でした。
寝返りは打てたので、食事は寝たまま左手でスプーンでいただきました。そして、お茶は吸い飲みからです。
子どもの時以来でしたが、吸い飲みには、すっかりお世話になりました。

病院から吸い飲みを用意するようにと言われ、夫に、
「家に帰ればあるんだけれど」
と伝えたのですが、売店でプラスティック製のものを買ってくれました。
まあ、お茶を入れてもらうのも、洗うのも、すべて他人が頼りですから、プラスティックでよかったのです。


ところで、家にあるガラスの吸い飲みはこれです。

私が育った祖母の家では、台所の戸棚の引き出しに、吸い飲みが二つ三つ入っていて、病気になると、吸い飲みでリンゴを絞ったジュースなど飲ませてくれました。


吸い飲みの蓋には、「薬呑、新案登録一一一二〇七」、丸の中には「ナカヤ式」とあります。
ナカヤ式の新案登録は、違う登録番号もあります。びっきさんも、別の番号の吸い飲みを持っていらっしゃいます。
これは、何が新案登録なのでしょう?


たぶん、この蓋です。はさみつける仕組みですが、簡単に着脱できて、はめると落ちません。
大正から昭和のはじめにかけては、何でもかんでも新案登録だった時代だったそうですが、活気に溢れていた時代だったのでしょうね。


それにしても吸い飲み、いつから同じ形をしているのでしょう、基本形は昔も今も全然変わっていません。哺乳ビンなんて、大きく形を変えたというのに.....。

と、ここまで書いて、ネットで画像検索をしてびっくり、


これが、ヨーロッパの吸い飲みだそうです。

我が家にあるのは、イギリスのもの、実験道具か何かと思ってずっと前に買ったもので、ミルク入れとして使っています。
ミルク入れとしては、気に入っているのですが、えっ、これが吸い飲みだって!


イギリスだけでなく、フランスのものも同じ形をしているようです。
ネットの情報は、広いけれど断片的なものなので、この吸い飲みがいつ頃からいつ頃まで使われていたのか、詳しいことは不明です。


それにしても、磁器の吸い飲みは重さ275グラム、ガラスの吸い飲みは66グラム、口の細さ、全体を握って使うか、取っ手に指を掛けて使うかという、使い勝手。
どこから見ても軍配はガラスの吸い飲みに挙がります。もしかしたら、磁器の吸い飲みは、ガラスの吸い飲み以前のものでしょうか?



2013年10月16日水曜日

クッキーの思い出


和歌山にお住まいの、くみさんのご両親が我が家にいらしたとき、お土産に私たちが大好きな駿河屋のせんべい(西だから卵せんべい)だけでなく、モロゾフのアルカディアまでいただきました。
「わぁい」
缶の形こそ違っているものの、模様は発売当初と同じです。懐かしさでいっぱいになりました。
アルカディアを初めて食べたのは、おいしいものには目がなかった叔父(父の妹の連れ合い)が買ってくれたものでした。

缶を開けると、ナッツがたっぷりのマコロンがぎっしり詰まっていて、
「こんなにおいしいクッキーがあるんだ!」
とびっくりしたものでした。
1970年代の初めの頃でしょうか。ざっと40年前、いろいろおいしいものを食べさせてくれた叔父はずいぶん前に他界、今年はその叔父の二十七回忌の年でした。


ところが、開けてみたらがっかり、これでは食欲がそそられません。
いまどきは、缶の密封性をよくして、クッキーをそのまま見せる入れ方が多いというのに、なんだか時代に逆行していません?モロゾフさん。


というわけで、少々湿気るのは承知で全部開けてみました。
ほらっ、おいしそうじゃないですか!
アーモンドやカシューナッツのマコロンは昔と同じようだけれど、ココナツ味のものは、昔はもう少し厚みがあったような気がします。
ネットで調べると、アルカディアが初めて発売されたのは1971年だそうです。

クッキーの老舗と言って思い出すのは、アルカディアよりずっと古い泉屋です。泉屋のクッキーを食べた時も、おいしさにびっくりしたものでした。
クッキーという名前は、日本では泉屋が最初に使ったそうですが、泉屋以前のビスケットは、固くてぼそぼそしたものか、そうでなかったらバターがたっぷり入って、食べると口にべたべたくっついてしまうものでした。今でもイギリス製のビスケットによくある、あの味のものです。

今は、小規模なクッキー屋さん林立の時代でしょうか。
まあ、どこのケーキ屋さんのクッキーを食べてもおいしいというのは、半世紀前には考えられないことでした。


2013年10月15日火曜日

手づくりの栗

九月末に、夫と二人で元同僚たちと昔馴染みのお好み焼き屋さんで会う予定があり、楽しみにしていました。ところが入院、私は行くことはできませんでした。
旧知を温める機会はおじゃんになってしまいましたが、一人で参加した夫が、ゆうこさんからのプレゼントをいただいて来てくれました。


栗の形のコースターです。
袋に貼ってあるラベルを見ると、JAそうま、製作者は志賀正子さんとあり、ゆうこさんが通っている福島県相馬の、農産物直売所かどこかで手に入れたものと思われました。

このような手づくりのものは、布選びがいま一つだったり、なんとなくバランスが悪かったりしがちですが、これはとっても素敵、全部手縫いで丁寧につくられています。


招き猫たちのかわいいこと。
ゆうこさんの手紙には、招き猫を見たときと、ゆべしを見たときには、必ず私を思い出してくれるのだそうです。 ありがたいことです。

私は、何を見たらゆうこさんを思い出すかなぁ。申し訳ないけれど、あまりありません。
ただ、ゆうこさんを思い浮かべると、スカーフ、民族衣装、干し芋など思い出します。 今度、干し芋を見たら、ゆうこさんを思い出すようにしましょう。茨城県は干し芋の産地なので、めちゃくちゃ思い出す機会がありそうです。
ゆうこさんは静岡県出身ですが、姉上が干し芋つくりの名人で、一緒に仕事をしていたころは、いつも姉上手づくりの干し芋のお相伴にあずかっていました。

私も干し芋、大好きです。
   

2013年10月14日月曜日

コルセット


梯子から落ちて入院していましたが、退院した今も、腰椎をあまり動かさないようにコルセットをつけています。コルセットは採寸して、一週間ほどでつくっていただきました。メッシュの布でできていて、縦に12本のしなやかな金属が通っています。
本当は、お風呂に入るとき以外、身体を起こしているときはいつでもコルセットを身につけていなくてはならないのですが、ちょっとくらいならと写してみました。
これが前です。


後ろは紐で、左右二枚に分かれたパーツを結んでいます。
寝る時も、起き上がる前に装着するために、背中に敷いて寝ますが、お尻と肩の部分にはないので、敷いていることを意識しないで眠れます。


留めるのはマジックテープです。
上から二番目の留め金だけが折れ曲がるようにできているので、手探りでも見つけられるようになっています。まず二番目を通してから下の二つを留め、最後に一番上を留めたら、もう一度下の三つをきつくしめ直して装着完了です。


コルセットも、素材の強さや軽さ、つくり方など、日進月歩の改良がおこなわれてきているのでしょう。ギブスと比べると、ずっと楽です。
ただ、座ったり立ったりするとせり上がってきて、胸を圧迫するのだけが難点です。そのため、しばらく起きていると、横になって、はずしてごろごろしたくなります。もちろん、固定しているために生じる、肩やわき腹の筋肉痛もあります。

でも、文句は言えません。入院していた日々が過ぎたように、コルセットをつけている日々もやがては過ぎていくでしょう。しばらくのお友だちです。





2013年10月13日日曜日

入院していました

ご無沙汰しました。
9月24日、いちじくを採ろうとして、高い梯子に乗っていました。左に傾いているのは知っていたのですが、右側に乗ってバランスを取り、右手のいちじくを二つ採ったあと、左手にも熟れたのを発見、手を伸ばしたとたんぐらっときました。
「あっ、倒れる」
と思ったときはすでに遅し、生垣を飛び超えて、谷側にどさっと背中から落ちました。高低差は三メートル以上あったかと思います。もちろん背中は痛かったのですが、声は出ましたし、手足のしびれはありませんでした。

這うようにして家に帰り、夫に伝え、救急車で病院へ。レントゲンを取ったら、胸椎、腰椎が損傷、つまり首と腰を打ち、即入院、絶対安静状態になりました。
翌日MRIを撮っていただいたら、脊髄損傷は腰だけ、救急車の中からはめていた首輪は、当初十日ほどかかると言われたのに五日で取れました。
座ると重力がかかって、損傷部分を傷めるので、ひたすら寝た切りでした。食事も寝たきりで、左手でスプーンで流し込みました。一週間後にコルセットの採寸をしていただき、さらにできあがりを待つこと一週間、計二週間以上、ベッドから離れることのない生活でした。

しかし、永遠に続くかと思われた時間も過ぎ、コルセットが届き、やっと立つ練習ができることになりました。
寝ていると筋力が落ちると言われていたので、リハビリをしていただく傍ら、自分でも手足はできるだけ動かしていたので、コルセットができて二日目には歩行器なしで歩いてもいいという許可をいただき、三日目にスピード退院することができました。
起き上がってからの経過が超順調だったので、驚いたお医者さまから、
「なにか運動をやっているのですか?」
と聞かれました。
「肉体労働をやっています」
とお答えしましたが、やれやれでした。


退院前日、病院から見た筑波山です。夕焼けがきれいでした。風が強く、雲は流れていましたが、筑波山上の雲は、形こそ変わっても、暗くなるまで流れて行きませんでした。


そして、退院した昨日の我が家からの落日風景。
夫が写したものですが、右手には、私が落ちた梯子が写っています。

コルセットは三ヶ月くらいで取れるもよう。杓子定規な私は退院当日の昨日はコルセットを締めすぎて苦しい思いをしていましたが、今日はちょっとゆるめにしているので、胸を圧迫もされず、長時間座っていられるようになりました。
まあ、軽くて済んだと、不幸中の幸いを喜んでいます。