2013年10月24日木曜日

おもちゃな一日


九月に尾曳稲荷の骨董市に行った日は、色絵人形だけでなく、「おもちゃな一日」でした。
農民人形のアイヌ人形は、八月に一乗院の骨董市に行ったとき、男女のアイヌ人形を見かけていました。
一体が300円で、迷うほどの金額ではありませんでしたが、一巡りしながら買うかどうするか考えようと思って、しばらくしてから行ってみたら、もう姿がありませんでした。
ご縁がなかったのです。

この日、がんこさんが持っていたこの白樺のアイヌ人形は、そのとき見た人形より丁寧な仕事でした。
ご縁があったのです。


アイヌの女性はその昔、成人すると口の周りに入れ墨をしました。この女性は入れ墨こそしていませんが、かわいい赤ちゃんをおぶっています。


セルロイドの小さな金魚。


かわいい、小さな恵比寿さま。


ドングリのはかまに入ったドングリ人形は、がんこさんの店で女の子に出逢い、


別の店で男の子に出逢いました。


我が家にも二体いますが、お雛さまと一緒にしまっているのか、ちょっと姿が見えません。
がんこさんは、ドングリのはかまをお椀の舟に見立てた一寸法師も持っていたそうです。売れてしまったそうですが、可愛いに違いありません。見たかった!
ドングリ人形も、誰が、いつごろつくったものなのかわかりませんが、いろいろなバリエーションがあったのですね。


左は買った招き猫、右はいただいた招き猫です。もっとも、全部まとめての値段だったので、左の猫も、値段がついていたのかどうかは不明です。


この兵隊さんは、後ろが割れて修理した跡があるからといただいたものです。


接着剤が見える私の修理と違って、修理の仕方がなかなか素敵です。金継ぎ同様、土人形も修理の仕方如何によっては、傷のないものに遜色ありません。


がんこさんの店ではなく、別の店で買った早乙女人形です。
山形県笹野の一刀彫ですが、1960年代までは、田植えの季節になると、このようないでたちの早乙女が、東北各地のどこででも見られたようでした。


当時は一般的ないでたちでしたが、今となっては絶滅してしまいました。


また別の店で、やはり笹野一刀彫の大黒さまを見つけました。


いくつか大黒さまがありましたが、みな黒ずんでいて、これだけ色が少し残っていました。
「早乙女は100円だったのよ」
と、大黒さまを売っていた骨董屋さんにアピールしたのですが、
「つくった時代が違うでしょう、時代が。これは古いけれど彩色も残っているし、珍しいものなんだよ」
と言われ、100円というわけにはいきませんでした。
横顔の髭が素敵です。


蘇民将来は、やはり長野県上田のものです。


他の店をぶらぶら見ていると、がんこさんが追いかけてきて、だるまをくれました。私が手に取って見ていたので、これもおまけにと思いついたようでした。


一刀彫の大黒さまを買ったお店では、おばあちゃんが失せて、おじいちゃんだけになった人形をいただきました。


この人形、裏返して見ると、小さなタカラガイでできているのです。
それにしても、絵つけの見事なこと、おばあちゃんもさぞかし素敵だったに違いありません。


貝のおじいちゃんは単独では立たないので、台座を外すわけにいきません。
というわけで、がんこさんにいただいただるまさんとならんでもらうことにしました。


さて、恵比寿大黒と揃ったところで、どこに飾りましょうか?


やっぱり神棚でしょう。
飾るというよりお祀りすると言った方が正しいのかもしれません。




2013年10月23日水曜日

色絵人形

もう一ヶ月以上前になる、古い話です。
近くの骨董市からはいなくなってしまった骨董屋のがんこさんを訪ねて、尾曳稲荷の骨董市に行ったことがありました。
一人で行くつもりでしたが、その日の午後に予定していた友人の来訪が次の日に延びたので、夫も引っ張り出して、一緒に行きました。木陰の爽やかな場所に、しばらくぶりに会う、懐かしいがんこさんがゆったりと店を出していました。

その日はがんこさんの店には、色絵人形がいっぱいでした。
色絵人形は、明治から昭和初期までつくられた、絵つけをしてから焼いた人形です。
ただの人形もありますが、墨を磨るとき使う水滴が多いのが特徴です。
桃太郎、静御前、弁慶、さまざまな恵比寿大黒、着物を着たり洋装したりした当時の風俗人形などなど、それぞれに物語のある人形たちです。


その中から連れ帰った動物、犬の親子と猫の親子の水滴です。

色絵人形はてかてか光っているし、絵つけは下手だし、以前は値段も高かったし、いつもなら一瞥するだけ、そう触手の動くものではありません。ところが、がんこさんの蘊蓄を聞いていると、興味が出てくるのが不思議なところです。


招き猫の水滴は、もっと絵つけのいいもの(左)を一つ持っています。
形がそっくりですが、がんこさんの話では、産地は中部や九州など、複数あったようです。


招き猫の水滴は、日本招猫倶楽部の復刻版も持っています。
挙げた手の上あたりから水が出ます。


この男の子と女の子は、水滴ではなくてただの人形です。
犬抱き娘はよくある、人気のモチーフです。

 
もともとは、土人形(左から二番目)のモチーフだったのでしょうか?
磁器人形にも、セルロイド人形にもなっています。一番左のセルロイドの女の子は、ビニールハウスの仮小屋で暮していたとき、天井に遮光ネットを張っていても陽ざしが強過ぎ、かわいそうにすっかり色あせてしまったものです。


鯛を抱えた男の子は、なんと恵比寿さまだそうです。
その左手に抱いているのは大黒さまの人形という、珍しいものです。手に持った人形は、俵と肩に掛けた袋で大黒さまとわかります。


あまり関心がなかったと言っても、色絵人形の招き猫たちはいくつか家にいます。


この二匹は日本招猫倶楽部の復刻版ですが、絵つけ前、絵つけ後の色絵人形の感じが、よくわかります。
復刻したときのお手本もこんなにきれいに絵つけしてあったのでしょうか?古い猫たちに比べると、とっても丁寧な絵つけです。
もしかしたら、釉薬の種類が今と昔では違うのかもしれません。








2013年10月22日火曜日

骨董市、あれこれ

日曜日、雨の降りだす前に骨董市に行きました。
夫が運転してくれると言うので一緒に行き、私だけ先に降ろしてもらって、歩いていました。雨が確実に降る予定なので、骨董屋さんたちはみんな車を敷地内に乗り入れ、車の外にはあまり商品を並べていません。そんな中で、きれいに、たくさんのものを並べていたのは、誰かと見ればおもちゃ骨董のさわださんでした。

前回は土砂降りだったし、私も入院していたりと、さわださんに会ったのは久しぶりでした。
さわださんは私を遠くに見つけると、
「このインクビンは持っていたっけ?」
といきなり大きな声で、本題に入ります。
「私、別にインクビンを集めてないけれど」
と言う暇もありません。


「ラベルが残っているのは500円、ないのは300円。乾燥していた中身を洗わなくちゃならなかったので、ラベルがほとんどとれちゃった」
「あら、そう」
さわださんは、いつもきれいに洗ったビンを持っていますが、数が多いとなるとたいへんな手間です。

「この前、大前神社に来た?」
「行かない、行かない。怪我して入院してたんだもの」
「そう?おれ、大前神社で血圧が高くなって気持ち悪くなって、途中で帰っちゃったんだ」
さわださんは、前にも倒れたことがあります。


というわけで、先週の大前神社では売り上げが少なかったのか、雨とはいえ、その日は売る気満々で、お店を広げていたのでした。
好きなことをして生きているようですが、骨董屋さんも身体だけが元手です。


「じゃあ、二つもらおうか」


二種類のインクビン、ラベルつきでお買い上げです。


丸善アテナインキは知っていましたが、ナショナルインキは知りませんでした。もっとも、丸善アテナインキの丸善は、あの洋書の丸善だったのですね。知りませんでした。
ナショナルインキはなんと今年まで続き、今年の四月に廃業、大洋インキにすべてを引き継いだそうです。染め物のみやこ染め本舗がつくっていたインクでした。
この二つはビンの形から、戦後わりと早い時期のもののようです。

あまやさんの前にいたら、夫がやってきました。
「おれ、今日は買いものしちゃったよ」


袋から取り出したのは、きれいに磨きあげたパイプレンチです。
「一本、500円だったよ」
「これ、500円じゃ買えないよなぁ。なに?もう建設は終わったんだろう?」
とあまやさん。まだ母屋ができていない頃、近くを通ったからと、我が家に寄ってくれたことがありました。彼は昔、鉄筋工だったか、仮枠大工だったかでした。
「それが、終わってないのよね。まだばりばりの建設中」
「いったい、何つくってんの?」
「納屋兼作業場よ」
「えっ、いくつになったんだよ。もう引退しろよ」
「そうもいかねぇんだよ」


夫は、ラシャばさみも買っていました。
「ラシャばさみは家に三つもあるじゃない!」
結婚するとき母が買ってくれたもの、夫のドイツ土産、それに家を建てるとき断熱材のウールを切るために買ったものがあります。
「おれ用だ。紙を切るんだよ」
「えぇっ、ラシャばさみで紙を切っちゃダメよ」

夫の机の上には、はさみが一つだけ出してあります。ところが、すぐ見えなくなります。すると私の引き出しを開けて、別のはさみを取りだし、たいてい元に戻しません。だから、私はいつもうるさく、決めたはさみしか使わないようにと言っているのです。
このラシャばさみは、大きいのでなくなりにくいし、私にうるさく言われないで、手元に置いておけると考えたようです。
でも、私にはラシャばさみを紙を切るという発想がありません。小さい頃から、
「このはさみで紙を切ってはいけないよ」
と言われて育ったので、ラシャばさみで紙を切ってはいけないということが、骨の髄までしみ込んでいます。


やれやれ。今ラシャばさみは、夫のペン立てに誇らしげにさしてあります。


さて、あまやさんが持っていたのは、こんなもの、それも大きな箱いっぱい持っていました。
織物の綜絖を吊るの使っていたものでしょうか?
「三つで千円」
「二つでいいのよ」
「.....」
「二つでいいんだけどなぁ」
「.....」
「三つは要らないいんだけど」


「これでも、安くしているんだよ」
「仕方ない、三つもらうよ」


「ありがとう。誰も価値をわかってくれないんだよなぁ」
と、あまやさんはためいきをついています。
いつも、自分好みのものだけ扱っているあまやさん。そんなあまやさんも、時には迷いもあるのかもしれません。
でもこれが、飛ぶように売れる?
見るからに汚いし、そんなことあるわけがありません。

民具は、がんこさんのように、蘊蓄とともに売らなくっちゃだめでしょう。これがつくられた背景など詳しく説明されたら、買いたい人も現れるかもしれません。

それにしても、がんこさんがいないことを寂しく感じる骨董市でした。


同じ用途の道具たち、上段が日本、中段がタイ北部(ランナー)、下段がカンボジアです。

タイやカンボジアのものに比べれば、日本のものは武骨なこと。こんな太い針金を曲げているのですから、そう古いものではなくて、この中で一番新しいものだと思いますが、仕事に耐えてきたたくましさは感じます。


2013年10月21日月曜日

八豊祭


昨日は土砂降りの中、旧朝日小学校(現朝日里山学校)で開かれていた八豊祭(やっほうさい)に行ってきました。

午前中は雨が激しかったので、私は家に残り、夫だけ行きました。
「みんないたよ。行きたいか?雨の中をあまり歩かないで入れるようにできるよ」
と言ってくれたので、お昼から連れて行ってもらいました。
カフェ、有機食品の市場、音楽会、ヨガなど健康法体験などなど、旧校舎も体育館も、雨が降っている外のテントまで、イベントが盛りだくさんでした。

体育館には、東電を断って、ソーラーパネル一枚だけで暮している男性の部屋が再現されているところがありました。冷蔵庫のない生活での食品の保存は参考になったし、晴れそうだったら洗濯機を使う、コンピュータも使える、天気の悪い日が続いたら寝てしまうなどなど、お天気任せの生活も、わりと楽しそうでした。置いてあったこけしなども、彼の部屋から借用してきたものだそうでした。


各教室を使っては、いろいろな「暮しの技、体験」講座が開かれていました。
わらの鍋敷きはもうそろそろできあがりそう、講師は地元のお年寄りたちです。


わら細工体験講座の片隅では、鍼灸師のこいけえいじさんが、せっせと鍋敷きをつくっているおばあちゃんに、出前マッサージをほどこしていました。
手前に見えるのは、俵の上下に使うさんだらぼっち、このあたりではたわらぼっちと言うそうです。倉敷では、さんだわらと言っていました。


いいだたくやさんの、焼きものの絵つけ体験。
私の怪我をとても心配してくれていたので、ずいぶん喜んでくれました。
奥にはおにちゃんの、結城紬の機が見えます。


草を織り込んだマットを置いてある部屋では、くぼたまことさんが、


手製の錘(つむ)や織り機を用意して、自分の紡いだ糸で機織りする体験講座を開いていました。
 

奥がそのくぼたさんです。
綿を栽培し、種を取り、糸を紡いで染め、織りものをつくっていらっしゃいます。

手前は、我が家のお隣のまついくみさんの木工体験講座。荒どりして、内側はきれいに削ってある木を使って、みんな思い思いのスプーンをつくります。


くみさんの話では、一つとして同じ形のスプーンができないので面白いとか、受講者たちは素敵なマイスプーンをつくろうと、真剣そのものでした。


こちらは羊毛の織物のこんどうゆみさん。
カード(毛並みを揃える道具)で丸く巻いた原毛を、手で伸ばして糸にして、それを編んでコースターなどをつくる体験です。
こんどうさんのところにも、くぼたさんのとは違う形の錘がありました。


雨だというのに、八豊祭は大盛況です。
昨年も土砂降りだったので、今年は開催日時をずらしたのに、やっぱり雨だったそうです。開催者の中に、雨男か雨女がいるのでしょうか?それは茨木くん?それとも姜さん?

来年は時間を取って、原始的な道具だと思っていた錘で、糸を紡ぐのを習いたいと思いました。
紡ぎ車がなくても、どこでもできる糸紡ぎ。話ながらもくぼたさんの手元にどんどんできていく糸を見ていたら、やりたくなってしまいました。


廊下には、こんなポスターが貼ってありました。


2013年10月20日日曜日

鹿児島神宮の香筥


鹿児島神宮の授与品の中で、好きだった香筥がなくなってしまったのを残念に思っていたら、ヤフーオークションに出品されていて、嬉しいことに落札することができました。
鹿児島神宮の授与品を語るなら、やはりこれなしでは寂しい気がします。


これこれ。
形も色も手触りも、申し分ありません。しかし、どうしてこんなものがなくなってしまったんでしょう?
 

答えはつくり方にあったようでした。
割いた木を、和紙で留めつけています。これが、湿気の多い地下室に段ボール箱に入れて保管しておいたときに、はがれてばらばらになったに違いありません。あのときは前の家を引き払って、小さな仮小屋に住んでいて、荷物たちを他にしまうところがなかったのですから、しかたありません。
そして、段ボール箱を開いた時も、やることはたくさんあって、直す暇もないと、処分してしまったものと思われます。

これは昭和60年製ですが、私が持っていたのは、それよりふた昔も古いもの。でもたぶん大きさと言い色と言い、まったく同じです。もっとも、私の箱は陽にもさらされて、もっと色褪せていました。


香筥には、笛太鼓のおまけがついていました。鹿児島神宮の授与品の、土鈴や鳩笛をすっかり忘れていたように、この笛太鼓のこともすっかり忘れていました。これも、遠い昔には持っていたのです。
それにしても、鹿児島神宮の授与品の、なんと多彩なことでしょう。しかも、どれも味があります。


笛太鼓は破れていたので、はがして裏から和紙を貼り、簡単に修理してみました。でも、紙の周囲は劣化していて、さわるだけで粉になって落ちてきます。そう長くは持たないかもしれません。

太鼓の部分は竹を六角に削ったもの、それに通した細い竹の持ち手は笛になっています。紙がボロボロなので、中にあずきを一粒入れて貼り直しましたが、あまりがらがら鳴らして遊ばない方がよさそうでした。


さて、オークションの鹿児島神宮の香筥は単独ではなく、人吉の花手箱とセットでした。
 

花手箱は持っていますが、ずいぶん前に、やはり湿気させて、色落ちしました。

その時々によって、やむを得ない状況があったり、ものたちを守ろうとする熱意に温度差があったことは否めません。仕事一筋の時もあったし、引っ越しに次ぐ引っ越し、保管に次ぐ保管のときもあったし、置いて行ったところが長い間締め切っているため湿気たり、雨漏りがしていたりと、いろいろありました。


傷んだ花手箱は、私が油絵具で塗り直しています。しかも、修理途中なのに、しべを描くころには飽きてしまったのか描いてなくて、まったく別ものに変身しています。やれやれ。
でも箱自体はしっかりしています。


かつて、銀座に行くたびに熊本の物産館に寄り、何度も新しい花手箱を買おうかどうしようか、迷った時期がありました。1990年代だったでしょうか。とうとう買わなかったのは、新しいものはてかてか光っていて、なかなか買う気にはなれなかったからでした。もしかしたら昔のものと塗料が違っているのかもしれません。
そして、今頃になって、ご縁あってしっとりした花手箱に出逢いました。これまで持っていたものと、ほぼ同じ大きさで、背だけがちょっと高いものです。
底にラベルが残っていて昭和48年製、私はラベルはすぐ剥がし、包み箱もすぐ捨ててしまいますが、ラベルが残っているのも、わかりやすくていいものです。

この箱たちの出品者は、気前のいい方でした。おまけの笛太鼓は、
「いりますか?」
と聞かれていただいたもののですが、荷物が届いてみたらさらに、包み箱に入った真新しい宮崎県のうずら車がおまけで入っていました。


ネットで調べると、これはもっとも一般的な日向のうずら車のようです。


そこで、私が前から持っているうずら車と比べてみました。手持ちのうずら車は、一つは頭が「けずりかけ」になっていて、一つはまったく彩色されていないものです。
車輪が、皮をはいでいない枝でできているところも違うと言えば違います。


いただいたうずら車、箱に入れておけば色は保てるのですが、それではせっかく我が家に来た意味がありません。
というわけで、棚の鳥たちに少しずつ詰めてもらって、うずらのつがいも、仲良く棚に並ぶことになりました。