2017年12月8日金曜日

猫の寝床


長い間犬の寝床だった場所を改造した(といっても、箱を前後をひっくり返しただけ)猫の寝床に、トラは一度も入りません。
ヒーターの電源を入れて暖かくし、抱えて入れてみると、一秒もいられないという感じで、逃げていきます。
デスクのある部屋の私の足元の、犬たちの元昼寝場所にもヒーターを入れてありますが、こちらで夜も寝ています。
夜中に私たちの寝室に来たくなった場合は、椅子の上で寝ます。


そこで、長年犬たちが使った箱を、お一匹さまサイズに、小さくしてやることにしました。


分解してみたら、底板は残りものを利用してあり、小さい板の寄せ集めでした。
犬たちが長年使ったので、板が汚れて真っ黒になっていたので、薄く鉋をかけました。


あっという間にきれいになりました。
犬の入り口だった切込みのある板は捨て、長い板を半分に切って小さくして、組み立てなおします。


というわけで、何の変哲もない箱ができました。


できた箱を設置、ヒーターに毛布を掛けて出来上がりです。
 

夜、トラを捕まえて入れてみましたが、出てしまいました。
何としても入れようと、かわいそうだけれど、デスクの下の箱のヒーターのスイッチを切り、うなぎの介護のために買ったホットカーペットの電源も切り、新しい寝場所にトラが来るのを待ちました。そこしか、暖かい場所がない状態にしてみたのです。
真夜中、暗くて写真は写せませんでしたが、トラが来て、箱の中で寝ていました。
しめしめ。

寝床の上の段は、二列三段の引き出しになりそうです。いつか暇を見て、日曜大工で引き出しをつくりたいと思っています。





2017年12月7日木曜日

居場所が見つかった


東の壁を挟んで、南北対象形になっている、戸袋の壁を張り終わりました。
真ん中に見えるのは、北側の戸袋で、その右にホールの4枚の吊り戸をつくり、4本レールで、戸は全部戸袋に収まります。
戸袋の壁の、まだ最後の一枚を張り残していた時、夫が木彫りを出してきて、ぶら下げました。


その昔、タイで暮らしていたころに手に入れたもの、丸太を半分に割って、透かし彫りにしてあります。彫りもの自体、古いものではありません。1980年代に、古い木を使って、盛んに彫られていたものです。
ただ、仲介するつもりだったのに、手違いで残ってしまって、大きすぎて飾る場所もないので、いつも邪魔にしていました。


ここにぴったりでしょうか。
中に明かりを入れたら素敵かもしれませんが、装飾的すぎるかもしれません。
  

 やっと居場所を得て、彼らも喜んでます。





2017年12月6日水曜日

東側の壁、ほぼ完成


作業棟の、東の壁をつくっています。
まず、腰板を張りました。
腰壁の高さに戸棚をつくるので、夫は中から甲板を嵌めています。左右同じように見えるかもしれませんが、コンクリート柱より左は、甲板を取りつけ、ガラスも嵌め込んでいますが、右は、まだ甲板を取りつけてなくて、もちろんガラスも嵌めていません。


嵌めたてのガラスは、まるでないように見えますが、この角度から見ると、中にいる夫が見えると同時に、ガラスに写っている木立も見えます。


そして、ガラスをまだ嵌めていない右の窓には、木々が写り込んでいません。
 

右側も、ガラスが入りました。


角の柱と、嵌め殺しのガラスの横の柱との間の細い部分は扉にしました。
ここは戸袋で、点検のため開けることができるようにしたのですが、吊り戸の点検より、カマドウマや、越冬しようと入り込むカメムシやテントウムシを追い払うのに活躍しそうです。
 





2017年12月5日火曜日

参観日

東京新聞には、月一回、『暮らすめいと』という付録の新聞がついてきます。その中に、「昭和の風景」という連載コラムがあり、一枚だけ昭和の風景を切り撮った写真が載っています。
今月は、「お母さんの給食参観日」の写真でした。昭和32年(1957)年の東京下町の小学校の写真だそうです。


木の机には驚きませんでした。アルマイトの食器にも驚かないし、コッペパンにも驚かなかったのですが、驚いたのは、お母さんたちの着物姿でした。
そうそう、入学式などの母親の「よそゆき」は着物に羽織姿でしたが、参観日もそうだったのかなぁ、私の母はどうだったのでしょう?
私が小さいころ、町を歩くと、母親世代は着物と洋服が入り混じっていても、洋服姿のお年寄りなどいなかったことを、今ではすっかり忘れてしまっています。

お母さんの足元には、草履が見えます。まさか、下履きのままで入って来たのではないでしょう。上履き用の草履も用意してきたのでしょうか?
学校の床は、拭いても拭いても砂っぽかったけれど、上履きを使用していたはずです。
そういえば、下履きを入れる場所は「下駄箱」、上履き入れは「草履袋」と言っていました。「筆箱」も筆を入れないのに、当たり前に使っていました。

参観日といえば、父兄参観日にはなぜか、必ず継ぎの当たった背広を着てくる中学三年生の時の担任の先生を思い出します。たいしたお年寄りだと思っていましたが、そのとき29歳でした。
その先生は今でいう「鉄ちゃん」でした。私が夏休みに祖母のいる岡山に行くと知ると、下津井電鉄を見に行くから、茶屋町駅で会おうという約束をしました。
私は鉄道にはまったく関心もないし、知りもしませんでしたが、先生は、太い鎖で連結してある列車を見て、大喜びしていました。 それを見に行ったのでした。
 




2017年12月4日月曜日

玩具映画(おもちゃえいが)


骨董市で水屋さんの店先に小さな缶が三つ並んでいました。
最初、「ライオン」が目に入ったので、歯磨き粉かと思いましたが、近づくと、フ井ルムと書いてありました。


振ると音がして、開けてみると、どの缶にも35ミリのフィルムが入っていました。
「あらっ、フィルムが入っている」
「そう?缶が可愛いから買ったけど、まだ開けてみてなかったんだよ」
と、のんきな水屋さん。
「三つまとめて買ったから、三つまとめて1500円かな」

帰ってから調べてみると、玩具映画(おもちゃえいが)のフィルムだとわかりました。
大阪芸術大学の『玩具映画とフィルム・アーカイブについて』(太田米男、松本夏樹)によると、「玩具映画」は手回しの映写機で観る家庭用のフィルムで、大正の中ごろから、昭和40年ごろまで、家族団欒の中で楽しまれたそうです。大正期には、まだ上流家庭だけの高級な娯楽でしたが、昭和期に入ると一般家庭にも普及し、身近な楽しみとなったらしいのですが、ちっとも知りませんでした。
家で、おもちゃとはいえ、映画を楽しんでいた家庭があったなんて、初耳でした。 


京都の壬生馬場町には、「おもちゃ映画ミュージアム」があり、玩具映画の映写機やフィルムをたくさん展示しています。
手回しの玩具映写機は、国産のもの、輸入物いろいろあるようで、この缶と同じキングの映写機もライオンの映写機もあります。玩具映写機ができた当初は、最初と最後をつないで「わ」にしたフィルムを繰り返し見る、数秒の短いものでしたが、やがて改良され、長めのものが見られるようになりました。
フィルムには、劇場で上映された無声映画の断片を切り取ったものが多くありましたが、玩具映写機用に、独自に製作されたアニメーションなどもありました。


キング缶が二つとライオン缶が一つですが、うち一つのキング缶の胴に貼ってあるラベルには、「海底の實寫、海底の驚異(原名サマランダ)」書かれていて、ライオン缶のラベルには、「オリンピック大會 第二報」と書かれています。
 

もう一つキング缶のラベルは、はがれてしまっていますが、フィルムを伸ばしてみると、「茶目とワン公」という、アニメのフィルムでした。


「海底の驚異」のフィルムはこんな感じです。
当時、海底の実写はどうやったのでしょうか?

玩具映画は、一世を風靡した(らしい)のですが、家庭用16ミリフィルムとテレビの出現で廃れてしまいました。
しかし、無声映画を切り取って玩具映画フィルムとして売られたものの中には、尾上松之助、坂東妻三郎、大河内伝次郎、嵐勘十郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、林長二郎など、当代人気俳優の殺陣なども含まれていて、長いフィルムそのものはすでに失われているので、いまでは貴重な資料となっているそうです。
 

キング、ライオン、どちらの缶の底(裏)にも、こんな注意書きが書かれていました。

クワツドウシヤシン、『子供園』小学館、1932年10月号

玩具映画は、私のまったく知らない世界でした。





2017年12月3日日曜日

民具あれこれ


無印良品が「ずっといい言葉と。」というコンセプトのもと、本を数冊出版しています。
そのうちの一冊は、柳宗悦(1889-1961)の本です。
目次は、民藝、雑器の美、用と美、工藝的なるもの、藍絵の猪口の五章からなり、当時は誰も注目していなかった実用品の美を熱く語っています。

柳家の食卓

中に、柳宗悦自身の写真や、愛用品、そして収集し、現在は日本民藝館の所蔵品となっている品々の写真などが、二十数葉掲載されています。
その写真の中に、猪口やら手帚などを除いて、我が家にあるものと似たものが二つありました。


一つは、尾花帽子(山形県、東田川郡)です。
解説には、
「山鳥の羽の装飾が目を引くマタギの衣装。柳は、「見ても美しいが、冠った様は一段と立派である」と評した。日本の民具において使い手の多くはまた作り手だった」
とあります。
いろいろな模様編みに加え、山鳥の羽は美しい装飾になると同時に、水をよくはじいたことでしょう。


私の持っている帽子は、よく似ているけれど、少し違うようにも見えます。
地域の違いもあるだろうし、つくり手が使い手、誰の帽子も少しずつ違っていたのでしょう。


そして、もう一つは淦取(あかとり、沖縄県糸満)です。
解説には、
「漁師町糸満の木工品。淦取は漁師が船内の水を掻き出すのに用いる道具。丁寧な刳りが美しく、柳は宝物を得たように大事に沖縄から持ち帰った」
とあり、わくわく感が伝わってきます。
この淦取(淦汲み)は、私の持っている淦汲みをUPしたときに紹介した、糸満海人工房資料館所蔵のユートゥイ(アカトゥイ)とそっくりです。
沖縄の、糸満以外では、別の形の淦汲みが刳られていたのでしょうか?知りたいものです。


木を刳り抜いた淦汲みはもちろん美しいけれど、板でつくった淦汲みも、とても美しいと思います。






2017年12月1日金曜日

暮れに向けて


暮れに向けて、というわけでもありませんが、少しずつ時間を見つけて大掃除をはじめました。
水屋の上の籠には、各種紐やガムテープなど、頻繁に出し入れするものを入れています。いつも使っているから、埃はそう積もっていないはず、ここは後回しです。


裁縫道具、ヘアードライヤー、接着剤、予備の歯ブラシ、煎茶道具、洗濯ばさみ、ヒートンなどなどを入れた箱や籠を置いてある棚は、下も一緒に掃除した方がよさそうです。
床や窓まわりをざっと掃除しましたが、全部動かしての本格的な掃除は、やはり後に回します。


というわけで、居間の薪ストーブの上の棚からはじめました。
複雑に入り組んだ梁のあたりに、蜘蛛の巣が張っていて、埃も積もっています。


ストーブの上の、たった二か所の棚に置いているものを取り出してみたら、こんなにありました。
鉢形のものは重ねて置いていると言え、よくこれだけ詰まっているものです。
 

蜘蛛の巣を払い、掃除機のノズルを伸ばして埃を吸い込み、雑巾がけをしました。
きれいになりましたが、何もなくなった棚の殺風景なこと、ものがひしめいている方が、私はやっぱり落ち着きます。


籠や箱は収納を兼ねているものが多いのですが、あまり長く開けてみないと、どこに何を入れたか忘れてしまっています。
どんぶり鉢は時々使うので、覚えていました。でも、刺し子用の糸の方は、すっかり忘れていました。
こんなにたくさん、いったい何をつくるつもりでそろえたのでしょう?


中国籠の中の種やアイロンは、長く中身を変えていないのでよく覚えています。


しかし、糸巻きの存在は忘れていました。
糸も糸巻きも、何かに活用できるでしょうか?


と、いちいち引っかかっていては、掃除が進みません。
籠や箱も埃をはらったり、雑巾で拭いたりして、とりあえずもとに戻しました。
「気持ちいいなぁ!」
と、たった二か所で喜んでいる場合ではありません。
今年中に、展示室も含めて、家じゅうの全部の棚を掃除し終えたいと思っています。