2017年12月19日火曜日

犬のおもちゃ


日曜日の骨董市は、風もなく晴れて、骨董市日和(とはまことさんの弁)でした。
それでも師走ですから寒くて、30分もいれば身体が冷え切ってしまいますが、骨董屋さんたちは、長丁場をどう乗り切ったのでしょうか。
姉を日本刀で切り殺すという、凄惨な事件のあった富岡八幡は、150店舗ほどの大きな骨董市の開かれるので有名な神社です。当分、骨董市どころではないと思いますが、我が家の近くの骨董市に出展されている骨董屋さんの中にも、富岡八幡に出展されている方が、数多くいらっしゃるようです。
 

今年最後の骨董市だというのに、まことさんの店にも、水屋さんやさわださん、おやじさんの店にも、欲しいと思うものはありませんでした。
もっとも、いつもとても素敵な古伊万里の品揃えをしている、一度も買ったことのないお店には、相変わらず欲しい皿小鉢がいっぱい並んでいましたが、我が家に食器はあふれているし、値段は高いし、見るだけでした。

冬の朝にふるまわれる甘酒を飲み、一回りして帰ろうとしたら、小さな張り子のワンコと出逢いました。


凛としていて可愛いのですが、座り方がちょっと変です。型を合わせた合わせ目の、両側に亀裂が走っていますが、頭や底には亀裂がなくて大丈夫そうでした。
包まなくてもいいと言ったのですが、女店主は、
「かわいがってもらいなさいよ」
と張り子に声をかけながら、丁寧に包んでくれました。


郷土玩具ではない張り子の犬は、どんな経緯でつくられたものでしょう?京都あたりのものでしょうか。
我が家に犬はいなくなってしまいましたが、もうすぐ戌年がやってきます。






2017年12月18日月曜日

シュトレン


先日、土浦からMさんとKさんが、いらっしゃいました。
 

レンコンやキウイフルーツなど、あれこれお土産をいただいたのですが、以前、パンづくりを教えていたKさんからは手づくりの、クリスマスのお菓子、シュトレンをいただきました。リボンもラベルも、飾りも素敵です。

シュトレンは、ドイツの菓子パンで、クリスマスに食べるのではなく、アドヴェント(待機節)の間、薄切りにして少しずつ食べながらクリスマスを楽しみに待つものですが、我が家では開けると、あっという間に食べてしまいます。
というわけで、できるだけクリスマスが近づくまで、眺めて楽しんでします。






2017年12月17日日曜日

最近読んだ本


『木のいのち・木のこころ・地』(小川三夫著、草思社、1993年)は、『木のいのち・木のこころ・天』(西岡常一、1993年)、『木のいのち・木のこころ・人』(塩野米松、1994年)の三部作の一つです。いまは、この三冊をまとめた文庫本も出ています。
日本最後(ということは世界最後)の寺つきの大工であった法隆寺大工の西岡常一が、1300年にわたる古建築の技と知恵を語ったのが『天』の篇。そして西岡の唯一の弟子である小川三夫が、技を継承する立場から、師である西岡常一や宮大工の未来を語ったのが『地』の篇。そして『人』の篇は、小川が主宰する工人集団の「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に集う若者たち19人へのインタビューを中心に、伝統の技術が新しい世代へといかに受け継がれているかを追った、ドキュメントになっています。

『木のいのち・木のこころ・天』はずいぶん前に読んだことがあったのですが、『木のいのち・木のこころ・地』は初めて、古本屋さんで出逢いました。
寝る前にちょっと読むつもりが、一気に読んでしまいました。おもしろかった。自分の若いころは、なんてぼんやり生きていたんだろうと、思い知らされるような本でした。

銀行員の家庭に育った小川さんは、修学旅行で法隆寺を見て圧倒され、こんなのをつくれる大工になりたいと、卒業を前に法隆寺を訪れ、西岡さんにお会いすることができました。
当時、寺つき大工の生活は厳しいもので、修復の仕事もなく、西岡さんの家族は先祖から受け継いだ田畑を売って糊口をしのぐ生活をしていました。小川さんの弟子にして欲しいという申し出は、宮大工は食べていけないし、技を覚えるには年を取りすぎている(当時、18歳)から、弟子にするつもりはないと断られます。
しかし、そんなことで諦めない小川さんは、まず道具を使えるようになろうと仏壇屋に徒弟で入ってかんなやノミの使い方を覚えたり、西岡さんの紹介で神社修復の図面を書く仕事をしたりしながら、宮大工への道に備えます。
やがて、西岡さんから仕事ができたので弟子にしてもいいと連絡をもらい、西岡さんの家に住み込んで、晴れて弟子になったのは、21歳のときでした。
以後、「新聞も読まず、テレビも見なくていい」と棟梁に言われ、自分を無にして、ひたすら刃物の磨き方を身体で覚え、道具の使い方も身体で覚えて、やがて棟梁となって、宮大工の生きる道を開いていくお話です。

木を知り、一つ一つ違う木を活かすことは、一人一人の違う人を生かす道でもあること、頭ではなく体で覚えることなどなど、たくさんの生き方の知恵がちりばめられている本です。


『地蔵さまと私』は、hiyocoさんが教えてくれた、最新の『たくさんのふしぎ』(福音館)で、世界の子どもたちの写真を撮っている、田沼武能さんの、お地蔵さまにまつわる行事を写した絵本です。


山形県尾花沢市北郷の地蔵転がしは、子どもたちが木のお地蔵さまをお堂から出して首に縄をつけ、集落の家々を回り、お地蔵さまにたくさん雪をつけて家の上がり框に持ち込み、「地蔵が来たぞ!」と言って、雪とともに福を運びます。


こちらは福井県小浜市西津の化粧地蔵です。
地蔵盆の行事は各地にあり、子どもたちの無病息災を祈るものですが、西津の化粧地蔵は、子どもたちがお地蔵さまを祠ごと海岸に運んで、一年の埃を洗い流し、そのあと思い思いに彩色するものです。左は1980年の写真、右は2015年の写真です。

他にも、群馬県玉村町箱石の、お地蔵さまを担いで家々を回る話など、お地蔵さまの魅力満載の絵本です。


『ばいかる丸』(柳原良平、岩崎書店、2017年)は、1965年に出版されたポニーブックスの復刻版です。和田誠、柳原良平、長新太、園山俊二、やなせたかしという、当時売れっ子のイラストレーターや漫画家が、絵だけではなく文も手掛けた絵本です。


『ばいかる丸』は、子どものころから船好きだった柳原が、大正十年に豪華客船として完成し、やがて、古ぼけた客船となって満州に商売人を運び、日中戦争後は病院船にされ、機雷に当たって船体に大穴が空き、戦後は寄宿舎になったりしたあと、捕鯨母船に改造されるという、激動の時代を見てきた実在の船を描いています。


この本が素敵なのは、2ページいっぱいに描かれたイラストが、折り目のところでもよく見えるような、特別な綴じ方をしてあること、そのため、絵の細部まで楽しむことができます。
当時は若手で、バリバリだった方たち、和田誠さんを除いて、彼岸に行ってしまわれました。






2017年12月16日土曜日

八郷の冬景色


家の周りの落葉樹の葉っぱがほぼ散って、視界が東西南北に開けてきました。
葉が茂っている間は見えない集落も、ちらちらと見え隠れしています。


どこかで焚火をしているのでしょう。
相変わらず、煙は上を目指さず、横を目指しています。






2017年12月15日金曜日

クリスマスの飾りつけ


延び延びになっていたクリスマスの飾りつけに、やっと手をつけました。
というほどでもない、雛飾りに比べると、超、楽ですが。


まず、木製アドヴェントカレンダーの額を飾ります。
オーナメントはもともとついていましたが、日ごとのお楽しみはついていません。小さなプレゼントをいつかつくろうと思いながら、いつまでもつくれずにいます。 


ドイツのザイフェン村の教会の風車を回すための、細くて背の高いろうそくは、最近はすっかり姿を消してしまいました。


トラが、飾りつけのお手伝いをしてくれます。


二階の展示室からは、降誕人形を運んできました。
 

その昔、夫がフランスのマルセイユから買ってきてくれたサントンのキリストは、何故かプラスティックのキリストだったので、飾りもせず処分してしまい、このマリアさまとヨゼフは、長くキリストなしですごしてきました。
しかし、降誕人形のフェーブを買ったとき、飼い葉おけのキリストだけがおまけでついてきたので、以後、一緒に飾っています。


そして小さいサントンは、キリストではなく、ヨゼフが後添えです。
同じサントンでありながら、マリアさまや三賢人とヨゼフは、精巧さが全然違います。


ペルーの降誕人形のように、あらかじめくっついていれば、一家離散の心配はありませんが。


土間入り口が、やっと12月らしくなりました。
 

そして、お手洗いのクリスマスは、フェーブと小さい土人形です。


キリストは、相変わらず背泳ぎに余念がありません。







2017年12月14日木曜日

張って張って、また張って


作業棟のホールの戸袋に、外から板を張り終わると、次は内側から張ります。
 

下から順番に張っていきます。断熱材を入れないので、楽なものです。
右側(東壁側)は、戸棚になります。


だいぶ張り進んだところ。東側の小さなガラスから入る光がきれいです。

 
まだ張り終わっていない隙間の中に、扉のレールが見えています。


あとちょっと。


張り終わりました。


南側の戸袋も張り終わりました。
次はキャットウオークのように、扉の上に回す棚の、棚板を張ります。


もともと、飾り棚の予定でしたが、一部は本棚に変更しました。
よかった!アールコブにつくった本棚に、夫の本を並べてみましたが、ほんの段ボール箱が数箱しか並ばず、残りはまだまだ地下室の中です。
といっても、左右(南北)に一か所ずつのようです。


コンクリートの大柱の脇、戸棚の上にも棚は回っています。
 

北側は、ほぼ張り終わったところです。


 

2017年12月13日水曜日

ガラス瓶の棚

今、部屋のあちこちに温度計を置いて、家の気密性を計測中です。
居間にはよく陽が入り、そのほかの部屋はOMソーラーで晴れた日は床下が温められるので、家の中の温度は、場所によって、時間によってあまり差がありません。大きく推移しているのは、外気温と、太陽光の蓄熱盤になっている床下の温度だけです。
そんな中、食卓の脇の棚に置いた温度計はいつでも、室内では一番低い温度を示しています。
「何でだろうなぁ?」
そこは北向きに窓が開いていますが、東西には長いけれど南北には短い我が家では、部屋の北と南とで温度差があるというわけでもありません。


棚板の下は戸棚になっています。
戸棚の奥や戸棚の中の床、また戸棚の下の壁には断熱材を入れてあります。ただ、戸棚の右に見えているコンクリートの壁が、そのまま伸びて外気と接しているので、そのコンクリートからは冷気を引き込んでいるかもしれません。
壁の裏側(右側)は台所ですが、台所ではコンクリートに断熱材を被せて、その上にタイルを張ったり木を張ったりして、冷気を遮断しています。


じつは、棚板がはめた後に縮んでしまい、窓枠との間に1センチほどの隙間が、ずいぶん前から開いています。細い木で埋めるなど、修理しなくてはと思いながらも、ものをいっぱい置いているので目立つわけじゃないしと、放置していたものです。
「隙間から、戸棚の中に入り込んだコンクリートの冷気が上がってくるのかしらねぇ」
というわけで、隙間に発泡スチロールの紐のような、遮断材を詰めてみました。


その作業をするさい、私がごちゃごちゃと棚に置いてあるものを動かしたのですが、ついでに、それらを少し整理することにしました。


食卓の脇の棚の上は、三つに区切られたガラス窓です。両脇の縦長な窓は開けられますが、中央の大きな窓は嵌め殺しにしてあります。
以前、嵌め殺し窓の両脇に、ビンを置く棚をつくってもいいかと夫にお伺いを立てて、却下されたことがあります。でも、あまり視界を邪魔せずに、棚をつくることはできないでしょうか?
上の端なら、目線より高いので、何とかなるかもしれません。


というわけで、夫には内緒で、端材で棚をつくってみました。
後ろめたい気分もあるので、棚の高さは6センチという低いものにしました。


設置してみました。
 

ガラスビンを置いてみました。


残念、低すぎて、ほとんど置けません。
ビンの高さをはかりもしないでつくったのが失敗のもと、6センチ高さの棚に収まるビンはわずかでした。


これでは、相変わらずほとんどのビンは下に置いたままで、棚があってもなくても代り映えしません。
というわけで、やり直しです。
朝飯前(昼飯前)には軽くできているはずでしたが、昼飯後に持ち越しました。
 

端はむしろ、もう一段ある方がバランスがよさそうなので三段にして、一段目の棚は高さ7センチ、二段目は7.5センチ、三段目は8センチにしてみました。


最近は、そう多くはありませんが、地震が怖いので、「ひっつきむし」を底に貼りました。


「なにをしているのかと思ったら、こんなものをつくっていたのか」
昼食時には、ビン棚に気づいてなかった夫が、直し終わったころやっと気がつきました。が、もう後の祭りです。


まだ、木が白っぽいので馴染んでいませんが、そのうち馴染むと思います。


棚の上はだいぶすっきりしました。
といっても、スペースがあるとすぐ何かを置いて埋めてしまうのが、私の悪い癖です。