たった15年前には、地上電話の回線しかなくて、料金を気にしながら、メールを送る時など、必要な時だけネットにつないで、急いで切っていたというのに、世界は目まぐるしく変わるものです。
というわけで、ボゾに味を占めて、ほかの民族グループの人たちも、覗いてみたくなりました。モシ、ロビなどガーナ北部に住んでいた懐かしい人たち、木工品や織りものなどを頭に乗せて歩いて家に訪ねてきた、風格のあったハウサの老商人、いつも市場で元気にしていたヨルバのおばちゃんたち、などなど、興味深い人たちはたくさんいますが、まず西アフリカの大民族のバンバラを、覗いてみました。
バンバラと言えば、チワラです。
MAGより |
チワラとはカモシカで、バンバラの人々にとっては特別な存在、カモシカがバンバラに農耕をもたらしたとされています。
雄と雌のチワラが対になっていて、雌は背中に子どもを乗せています。そして、雄のチワラはとくに造形的に優れています。
もちろん、一本の木から彫り出したものです。
ギャラリーかんかんより |
バンバラの人たちは、農耕祭のときチワラを頭に乗せ、豊穣祈願の踊りを踊ります。
後ろに見えるのは、18世紀の半ばに建てられたモスクです。そう太くない木、そして日干し煉瓦という、近隣で手に入る材料だけで、内部に大きな空間をつくり出すことに成功している、素晴らしい建物です。
土づくりの建物は、雨季には多少は傷みますが、雨季明けに表面を修理すれば元通り、雨季明けの修理を見たことがありますが、見事によみがえります。
バンバラの分布図 |
バンバラ人はおもにマリに住んでいますが、ブルギナファソやコートジボワールなど、近隣諸国にも住んでいて、人口は約4,000,000人、バンバラ語を話す人はもっと多く、約6,000,000人いると言われています。
広域に暮らしているため、住む地域によって、チワラの形も、踊りも、少しずつ違います。
これは、1853年(明治14年)にヨーロッパ人が見たバンバラ人です。
農耕に従事している民族であることや、服装は今とほとんど変わらないことがわかります。
それにしても、かっこいい衣装です。
この女性は、できたてを売るお菓子屋さん。雑穀の粉を甘く味つけしたものを、タコ焼き器のようなお鍋で焼いて、それを二つに合わせたお菓子をつくっています。
Trip down memory lineより |
こちらは、かっこいい、若い男性たちです。
alamy stock photoより |
乾季のバンバラの村です。
雨季になると、雑穀や豆、そのほかの野菜など植えるので、一面が緑になって風景は一変します。
さて、我が家のチワラです。
白壁のときの方が映えましたが、今はインドネシアの絵のナーガと共生しています。
雄の顔も雌の顔も、ブリキ板で装飾し、宝貝(子安貝)を飾っています。
角の先につけた動物の毛は、このあたりに多い、羊の毛でしょうか?それとも野生動物の毛でしょうか?
4 件のコメント:
レンガ土のモスク、興味深いです。木の幹を付き刺したことには、何らか構造的な事や宗教的な意味あいがあるのでしょうか?壁面構造や建築内部はどうなっているのでしょね。
hattoさん
イスラム教徒しかモスクに入れないということがありますが、マリの土のモスクの内部の写真は、そういえば見たことがありません。
ただ、普通の家と比べてみると、あのつんつん出っ張っている木は、明らかに構造体です。普通の家なら、日干し煉瓦を組んだ上に木を縦横に置いて、その上に細い枝などを乗せ、さらに土をかぶせて屋根としますが、木が何層にもなっているのは、どうなっているのでしょう?
お粗末な説明で済みません。
中には独立柱も立っているのかもしれませんね。
土のモスクから飛び出した木に横板を渡して、そこに横並びに
腰掛けた男たちが外壁に土を塗って補修してる写真を見たことがあります。
構造的な意味もあるのかもしれないけれど、足場を組まなくても
高い所まで登るための智恵かと思われます。
左上に動物の耳みたいに二カ所飛び出たところにはダチョウの卵の殻が
かぶせてあります。
雨で尖ったところが削れないためだと聞きました。
いろいろな智恵の詰まった暮しですよね。
kuskusさん
ありがとう。確かに簡単に修理できますね。そういえば、私もそんな写真を見たことがあります。
日干し煉瓦は土ですから、強い雨で傷むだろうと思っていたら、レンガの上を土でつるつるに塗り固めておいて、地面の水はけをよくして置けば、意外と傷まないのには感心しました。
ダチョウの卵の殻とは考えましたね。殻が硬いですものね。私は一般の家ですが、とんがり屋根のてっぺんに、欠けた甕やヒョウタンを被せてあるのはよく目にしました。本当に、身近に手に入る材料だけで工夫と楽しさいっぱいです。
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