一週間ほど前に飾りつけをしました。
まず、分解して高いところにしまってある雛壇を降ろして、組み立てました。
雛壇の後ろの北川馬骨さんの書は、しばらく前からここに置いてあるもの、二階にでも片づけるといいのですが、お雛さまを飾っている最中にまた泊り客などあるため、うかつな場所に置けなくて、しかたなく、今年はそのままです。
緋毛氈を敷くだけで、雛飾りの雰囲気が出てきます。
土間入り口の方にも、手づくりのひな壇を並べます。
大きい雛段の方には、私のお雛さまと、妹の連れ合いのやすおさんの姉上の、木目込みのお雛さまを飾ります。
私のお雛さまは、もともと父の妹のもの、大正末期のお雛さまです。祖母が健在な時は祖母の家にあり、祖母が亡くなってからは母が持っていたもので、元の箱に入っているものもあれば、箱が壊れて別箱、お菓子や靴の箱などに入ったものもあります。
今年、ぼんぼりの箱に、贈り主として書いている名前が、祖母の姉の名前と、初めて気がつきました。
写真では、ぼんぼりの下に、「中田愛」とはっきり読み取れますが、実際はもっと薄くて読みにくいので、読んだこともなかったのです。
知りませんでした。
見慣れたぼんぼりは、私も可愛がってもらった大叔母が、叔母の誕生を祝って贈ったものだったのです。ぼんぼりには、実際にろうそくを立てた跡も残っています。
母が妹と同居することになって身辺整理をした時に、
「焼いて」
と言って私に渡したのに、焼かないで取っておいた写真の中に、大叔母とその息子である父の従弟のみちろうさんの写真があります。
父とみちろうさんは二つ違い、父と妹は七つ違いですから、この写真の前後に、ぼんぼりは贈られたものだと思われます。
ところで、お雛さまを飾りはじめてから中断して、集会に行ったので、再び飾りつけたのは夜でした。
そのため、気がせいて、途中の写真を撮る間もありませんでした。
というわけで、今朝のお雛さまです。
こちらは土間入り口の雛飾りです。
大叔母のことを覚えている者は、私と母を含めて、この世に三人ぐらいになってしまったかもしれません。四つ違いの私の弟でさえ、あまり覚えていないと思われます。
みちろうさんは、兵役につくまで女学校の教師をしていましたが、若くして戦死しました。そして、その教え子ですら、生きていらしたとしても90歳を超えています。彼をよく知っていた私の父とその妹も、すでにいません。
うららかな三月三日を、そんな人たちを偲びながら過ごそうと思っています。
4 件のコメント:
(本題からずれますが…)猫ちゃん大人しくひな壇の脇にいますね。段を登ったり、お道具をつついたりしないんですね…?
karatさん
トラは、ひな壇の下を潜り抜けて、何度もあっちへ行ったり、またこっちへ来たりと遊んでいました。我が家にはいろいろ置いてありますが、マタタビの枝を切ったものを必ずひっくり返して遊ぶので、手が届かないところに置いたほかは、いたずらされたことがありません。また、下駄箱とか、戸棚を開けると、必ず来てみて中に入りたがりますが、床に置いてある箱や籠のどれにでも入るのが好きというわけでもありません。
一緒に暮らしていて、「何か壊されるか」とハラハラすることは全くありませんが、ただ爪は、木さえ見ればどこででも研ぐので、柱や壁、どこもささくれ立っています(笑)。
世の中にはテレビに反応して、画面の中の猫を見たり、鳥を獲ろうとする猫もいるようですが、トラはまったくテレビに関心を示しません。テレビの中の猫の鳴き声にすらあまり反応しません。犬もみんなそうでした。息子の飼っている犬はテレビによく反応し、レーザーポイントの光でも遊びます。個体差がありますね。
中田愛さんなんて今風の洒落た名前だと思ったら、名前にピッタリの美人さんでびっくりしました。
アディーもテレビを認識しません。同じですね!
hiyocoさん
はっはっは、よいところに目をつけましたね。実は親からもらったのは別の名前だったけれど気に入らないので、自分でつけた名前のようです。妹の祖母は石代という名前でした。やっぱり嫌っていたけれど、変えるほどのことはなかったようです(笑)。
祖母は何も語りませんでしたが、母がいろいろなところから漏れ聞いた(笑)ところによると、愛さんは未婚の母でした。助産婦でしたがお医者さんとの間に子どもを産んだようです。また、石代さんは、ある家に嫁がされたけれど、ストライキをして、めでたく離縁されて、好きだった祖父と結婚したみたいです。
夫の両親も駆け落ちしているし、昔の人もいろいろありました。
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