我が家のウッドデッキは崩壊寸前です。
ウッドデッキでは、梁の表面には水が溜まりやすく、一番腐りやすいからと、表面に防水テープを貼ったのですが、そのくらいでは持ちこたえられませんでした。
この松の木は15年ほど前に、
「自分で伐るなら持って行っていいよ」
と近所のSさんに言われて、夫がHさんの助けを借りて、7本ばかり山から伐り出し、製材所で製材してもらったものでした。
上がりかまちなど、室内に使ってあるものは、もちろんビクともしていませんが、雨には松の木は弱かったようでした。
鉄パイプで補強してあるので、先日もウッドデッキで10人も乗っても大丈夫でしたが、いつまでもこのままにはしておけません。
というわけで、今度は梁を木ではなく鉄骨に替えてつくり直そうと、しばらく前に鉄骨を注文しました。
作業棟の棟の大梁を覆う鉄骨を買ったときも同じ鉄骨屋さんに注文したのですが、そのとき、配達の運転手さんが、我が家の坂の途中で前にも後にも動けなくなって、立ち往生したことがありました。
その時は、会社に電話してベテランの運転手さんが救援に来て、事なきを得ましたが、ユニックのクレーンで鉄骨を下ろそうとしたら、鉄骨を縛ってある紐が切れ、鉄骨がばらばらになって落ちて、危なかったというおまけまでありました。
今回、夫が注文に行って、住所を言ったところ、対応したのが運悪くその時の登れなかった運転手さんでした。彼は悪夢を思い出し、「配達はできない。自分で運ぶなら売る」ということになってしまい、仕方なくトラックを借りて、プロも嫌がる鉄骨運びを、自分たちでやることになったというわけでした。
ユニック(クレーン車)が借りられれば、下ろすときが楽ですが、前によく借りていた建機屋さんはなくなっています。別のところにあたったら、とても高額だったし、面倒なことも要求されました。そのため、そのときは別のレンタカー屋で普通のトラックを借りたのですが、今回もそこで2トントラックのロングを借りました。
下ろすのは、我が家のユンボを使います。
「わぁ、マニュアル車じゃないの」
最近では貸しトラックもたいていオートマティック車なので珍しい、もっとも夫は毎日マニュアルの軽トラックに乗っているので、気にもしませんが、慣れるまでちょっと緊張気味です。
鉄骨は、既製品の中から夫が選びました。
それを、希望する長さに切断してもらっています。8メートルの鉄骨も欲しかったのですが、運搬できないので、短く切ってもらい、それを後で重ねてボルトで留めます。
鉄骨屋さんの工場にトラックのお尻を突っ込みます。
積むのはクレーンですから、造作もありません。
一番長いのは6メートル以上あるので、トラックの荷台からはみ出します。
「おいっ、赤い布なんか持ってないよな?」
いつも運んでいればともかく、こんな荒仕事は久しぶり、もちろん持っていません。
「黄色いハンカチならあるけど」
「それで十分だ」
トラックの後から飛び出したものに印をつけておくなんて、すっかり頭にありませんでしたが、持っていたハンカチが派手な色で、助かりました。
重い鉄ですが、後ろにずれて落ちないように、ありったけの縄をかけました。
「うちの坂以外は問題ないでしょうけどね」
我が家の坂道の入り口を、長いトラックで鋭角に曲がるのは難しいので、通り過ぎて滝まで行き、滝の駐車場で回って引き返してきます。
我が家の急坂も、何とか登れました。
ところが、鉄骨を下ろそうと見ると、20センチばかり後ろにずれていました。
「危なかった!」
紐で結わえてあって助かりました。
鉄骨は重いのでばらばらにして、ユンボで少しずつ降ろします。
途中でお昼ご飯も食べました。
そして、とうとう降ろし切りました。
これからの仕事は、ウッドデッキを解体して、二つに切ってある鉄骨はつないで、錆止めを塗って、塗装して、運んで、据えつけてと、当分荒仕事が続きます。
でもその一歩が踏み出せてよかった。
7 件のコメント:
なんか息を止めて読んでしまいました(笑)。大丈夫なの?ってヒヤヒヤです。百戦錬磨のお二人ですから大丈夫なんでしょうけど~。
松は雨に弱いのですね。うちのレッドシダーの手作りウッドデッキも15年ぐらいですが、多少割れ目ができるも潮や雨によく耐えていると思います。
hiyocoさん
年寄りのやることじゃないです(笑)。
まったく、いつまでこんな荒い仕事をするのか、体力は確実に落ちていますからね。重機があっても、紐をかけたり、置きたい場所に誘導したりするのは人の仕事、やれやれです。
うちでも手すりだけはレッドシダー、何も塗らなかったので、こちらもそろそろ限界です。
今度は、塗ると木が石のようになるという塗料でも使ってみようかしら、一年に一度ペンキを塗るというのも面倒だし、デッキに屋根をかけるというわけにもいきませんからね。
春姐さんまたまた昔話を引き出してしまいました。
昔は物干しと言って商家の二階には物干台が必ずありました。
基礎はトタン屋根に四本の柱で子供が遊べる程の広さ柱に登れば屋根で遊べます。
母が嫁に来たときに有ったと言うから明治末期でしょー
強制疎開で壊すまでびくともしなかったです。昭和20年と大正15年
今は雨や雪にいろいろ含まれている時代でしょうね
防腐剤などない時代ですが。
良い子は真似してはいけません。
…というフレーズを思い出しました^ ^
瓦屋根が四軒つづくので面白いですよ、
見たことも無い風景だもん。
昭ちゃん
そうでしたね。物干し台は結構長持ちしました。高いところだし、風にさらされて板と梁の間にたまる水が乾きやすかったのかもしれませんね。でも、結構おっかないのもありました(笑)。
うちのデッキは、日よけのために近くに大きなケヤキを植えていますが、これがなかったらもっと乾燥したかもしれません。でも、そうすると真夏にデッキで食事したりはできません。一つ取ると一つ失います。
物干し台は都会の文化でしたね。田舎なら乾す場所はいっぱいあります(^^♪
akemifujimaさん
以前はワイルドな生活の連続でしたが、このところは穏やか、久しぶりの緊張する仕事でした。
良い子もやってみよう!(笑)。
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