ゆみこさんから、
「実家の整理をしていたらあった冊子ですが、要りますか?」
と、『八郷の住文化』(一色史彦、藤川昌樹著、八郷町教育委員会発行、1998年)をいただきました。
S集落で全戸の詳細な調査をして、八郷の集落のイメージをつかみ、また八郷全体に見られる時代ごとに違う建築様式の、式台玄関、商家の下屋庇(げやひさし)、門の形式、床・棚・付書院、せがい造、格子窓、うだつ、大黒柱、田の字、かまど・いろり、母屋と離れ、などなどについてその特徴が書かれています。
写真はI家の見事なせがい造ですが、せがいは江戸時代には贅沢なものとして、禁止されていました。長い材木や、薄い板などをつくることが、技術的に難しかった時代だったからです。
歴史のある家は、住みやすいように時代とともに改築されていることがよくあります。土間を狭くして一部に床を張る改築などが施され、かつては農作業の場所として必要だった広い庭が、農業様式が変わることによって不要となり、離れが建てられたり、庭の一部が山水の庭に替えられたりしているものについて、改築前の姿を家主に聞き書きすることによって、家と人の生活の歴史が感じられます。
図面つきの写真は、詳細調査した集落の建物たちですが、上の写真、S家の傘の骨のような茶の間の天井の装飾には驚かされます。今でも残っているのでしょうか? のこのことお邪魔したくなってしまいます。
どの家も、大工さんたちが随所に腕を見せていて、見ごたえがあります。
この調査がされたのは、1990年代の後半でした。それから四半世紀以上経っていて、取り壊されたり建て替えられたりした家も多く、消えていくのを目の当たりにしてきました。
上の写真、旧家のSさんの母屋は大きくて立派な茅葺き屋根でしたが、ずいぶん前に瓦葺きに葺き替えられてしまいました。
以前、我が家の建設を手伝いに来てくれた宮城大学の学生たちと見学させていただいたことがあったのですが、その時のお話では、かつては長屋門も茅葺きだったとのこと、おそらく長屋門はもっと背が低かったはず、さぞかし素敵なたたずまいだったことでしょう。
また、こちらのKさんのお家にも何度も訪問させていただいたことがあり、上記の学生たちと一緒のときはお話も聞かせていただきました。背に山を抱き、庭に池があり、母屋と隠居(離れ)の茅葺きの屋根が美しい家でしたが、5年くらい前に、惜しまれながら建て替えられてしまいました。
『八郷の住文化』の巻末には、八郷を48の集落に分けて、居宅(母屋)だけでなく、倉庫、物置(納屋)、浴室、便所、工場、店舗、畜舎、肥料舎、長屋門、土蔵、養蚕室、乾燥室などなど、35項目にわけて、江戸時代と、明治元年以降は10年ごとに区切って、戦後の1947年までに建てられた建物の表が掲載されています。
例えば、私の住むK集落で居宅だけを見ると、
江戸期に建てられた家が8軒、
1867-1877年が15軒、
1878-1887年が4軒、
1888-1897年が2軒、
1898-1907年が6軒、
1908-1917年が24軒、
1918-1927年が9軒、
1928-1937年が11軒、
1938-1947年が8軒、
となっています。
1908年(明治41年)から1917年(大正6年)にかけて建てた家が24軒ともっとも多くなっているのはなぜでしょう?
これまで、集落の歴史を古老などに訊く機会はあったのですが、八郷あたりが他県の農村と比べて大きくてりっぱな家が多い理由ははっきりしませんでした。はっきりしないながらも、近代は養蚕で財を成したのではないか、そして昭和期には煙草栽培ではないかと推測していましたが、この本の表を見て、わかったことがありました。1900年前後に、畜舎の建設や、肥料舎の建設などが急増していることから、どうやら畜産によって、家を建て替えるほどの財を成したことがわかりました。
畜産は、乳牛や豚ではなく、おそらく日清戦争(1894-95年)や日露戦争(1904-05年)に必要とされた軍馬や牛を育てたものと思われます。村には軍馬の慰霊碑も立っています。
八郷では、ほかに林業や煙草栽培は広く行われたものの、養蚕は全体を通してそう盛んではなかったとわかりました。
入り組んでなだらかに起伏のある八郷盆地。お米は潤沢に採れ、野菜や果樹を栽培する土地、萱場、焚き木取りの山にも事欠かなかったことに加えて、盆地であったために、古来より戦の戦場にはほとんどならなかったことが、飢餓とは無縁の豊かな生活を積み重ねることを可能にしてきたのでしょう。
ゆみこさん、貴重なご本をありがとうございました。
2 件のコメント:
おお~~~!!!すごい本ですね!今度、ぜひ、貸していただけませんか?
なお、著者の藤川先生ですが、つくば市景観審議会でご一緒させていただいています。藤川先生の専門が、こっちのほうとは、全く知りませんでした。次、お会いするのが楽しみです!
afさん
本はどうぞ見てください。藤川さんとは、まだ八郷に来たばかりのとき一度お会いしたような。おそらく、ゆみこさんのご実家も調査なさったのでしょうね。
小さいころ農村に住んでいて、毎年東海道を行き来していて、集落には大きい家もあるけれど小さい家もあることを知っていましたが、八郷に来たら大きい家ばかりでびっくりしたものでした(笑)。縄文土器もじゃらじゃら出るくらい、そうとう住みやすいところだったのだと思われます。
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