2026年4月2日木曜日

『私の絵日記』


つげ義春さんの本が見当たらないので、お連れ合いの藤原マキさんの『私の絵日記』(筑摩書房、文庫版は2014年)で、つげさんとマキさんを偲ぶことにします。
マキさんが病気で亡くなられたのは1999年ですから、文庫版は没後15年に発行されました。マキさんは「劇団状況劇場」の舞台俳優をしていましたが、いろいろあって俳優をやめ、お連れ合いのつげさんに勧められて絵を描きはじめました。


『私の絵日記』には、つげさんとマキさん、そして一人息子の正助くんと3人の、貧しくも豊かな日常が描かれています。
3人はかわるがわる病気になったりして、病院通いが欠かせない、必ずしも楽しい日ばかりではないのですが、マキさんはそれをものともせずに暮らしています。


実際、「家族写真集」を見ると、マキさんはいつもくったくなく笑っています。


つげさんは、マキさんが子宮がんと聞いて、彼女を元気づけるどころか、自分の方がまいってしまって、不安神経症にかかり、長く苦しむのですが、それでも「オトウサンのだんご汁はおいしい」と言われて、すいとんつくりに腕を振るったりします。

カラーの絵は『駄菓子屋:藤原マキ画集』より

マキさんは小さいころ大阪で戦災にあい、島根県の田舎の公会所に身一つで疎開します。
疎開先で、お父さんが戦死したことを知り、疎開先から動くこともできなくなり、お母さんが小さな駄菓子屋(なんでも屋)を開いて、子どもたちを養います。それでも食べるものに事欠いていつもお腹を空かせており、なにか仕事があれば、一家総出で働きに行きました。


お風呂はいつももらい湯で、誰かが声をかけてくれるまで入れず、1か月もお風呂に入れないときもありましたが、いろいろなお風呂が経験できたと、マキさんは前向きです。


巻末には、「妻、マキのこと」(初出は2003年の学研M文庫)というつげ義春さんの一文(聞き書き)が載っています。のんびりしている夫と活発な妻のでこぼこな、それでも張りのあった生活が失われて、寂寥感が漂う文でした。


疎開時代の絵は細部まで描き込まれていて、見ていて見飽きることがありません。





 

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