2013年2月14日木曜日

クマゲラ


元同僚のKさんが、仕事で北朝鮮を訪ねると、たいてい切手アルバムをお土産にいただいてきていました。仕事は、干ばつや洪水の年の食糧支援でしたが、なかなか思うように交渉も進まず、難しいものがありました。
それはともあれ、切手帳をもらってくるとKさんは、必ず切手好きの私にくれたものでした。


どの切手帳も、社会主義国らしい切手満載です。


こんなのとか、


こんなのとか。


でも、中にはほっこりする、かわいらしい切手もあります。
これはなにか、民話でしょうか。


植物の切手にも、興味津々。
こんなサクラソウの仲間が、野に生えているのでしょうか?


そしてクマゲラ。
我が家の鳥の図鑑を見ると、クマゲラは北朝鮮からさらに隣接した中国広域に生息しているようです。
人も鳥のように国境を越えて自由に住める日が、いつか来るでしょうか?

2013年2月13日水曜日

マトリョーシカの日


息子の連れ合いから、誕生日のプレゼントが届きました。
この時期ですから、いつも夫へのチョコレートと一緒です。私には、マトリョーシカの本『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元氣著、二見書房、2010年)と、小さな包みでした。


マトリョーシカの本は、見開きのイラストから素敵です。


マトリョーシカの歴史、種類、エピソードなどが満載です。


マトリョーシカの材料、これは白樺の木でしょうか。切って、乾燥させます。


その木を轆轤で引いて形づくっているところです。
私自身はわりと小さいものの方が好きですが、この右手に置いてある大きなマトリョーシカは圧巻です。仕上げに、もう少し削るとしても、堂々たる大きさです。
絵つけが見事なら、素晴らしく豪華なものになるのでしょう。
  

さて、袋に入っていたのは、小さな猫のマトリョーシカでした。
最大のもので高さ45ミリ、一番小さいのは高さ6ミリ、太さは3ミリもない小ささです。
あっちょ、ありがとう。
  

本に載っていた木彫りの熊もかわいい!

2013年2月12日火曜日

セルロイドの赤ちゃん人形



この赤ちゃん人形たちは、その昔、同じ町工場でつくられたものです。
右の赤ちゃんは製作当時の前掛け服を着ていて、左の赤ちゃんは、人形たちの持ち主だったKコレクションさん手づくりのパンツとシャツを着ています。


二人とも、背中に菱形に大のマーク、その下はJAPANと書いてあります。
 

町工場ではいった何人が働いていたのでしょう。赤ちゃん二人の顔が違うので、少なくても二人の職人さんはいらしたようです。
服は人形の服ばかり縫う工場があったのでしょうか?あるいは、ご近所の女性の内職だったのでしょうか?


瞳の色が薄くて、黒目がちょっとだけ上に描かれているために、一つ上の写真のオリジナルの服の赤ちゃんの方が、下の写真の赤ちゃんより、より西洋人に見えます。


赤ちゃん人形は足が素敵です。
立つことを考えた、脚がまっすぐなセルロイドの人形の足の裏は真っ平らですが、最初から寝かせるか座らせるかしか考えていない赤ちゃん人形の足は、赤ちゃんの足のかわいさをそっくり写しています。


Kコレクションさんがご自分でつくられた服はよく似合っていますが、布端が切りっぱなしというのが、私的には気になります。

そこで、くず繭でできた「冷え取り靴下」(の穴のあいたの)を利用して、上着だけつくることにしました。


おへその下までしかなかったパンツには別布を足して、股上を深くしました。


首のあたりが、ちょっともこもこしてしまいました。
黒い服の時はきりっとして、いっぱしのおにいちゃんだったのに、すっかり幼くなってしまいました。


下半身が裸だった、オリジナル服の赤ちゃんには、くたくたの古布で、同じようなパンツをつくってやりました。


セルロイド人形は、戦後しばらくは外貨を稼いで日本復興に貢献したものの、可燃性が強いことを理由に、最大の輸出国アメリカに拒絶されてから、行き場がなくなり、ほとんど燃やされたりつぶされたりしたと聞きました。
町工場そのものも、もちろん、あっけなくつぶれてしまったことでしょう。
赤ちゃんたち、生き残っていてよかったね。

2013年2月11日月曜日

目が細いことが共通点?


私のお雛さまは、もともとは大正12年(1923)生まれの、父の妹のお雛さまだったのをもらったものです。
よく、お雛さまのお顔は怖いと言われます。小ぶりだし、見慣れているのでちっとも怖くないのですが、まじまじと見ると、口はどうしてこんな形になったのか、不思議な感じがします。
目は、描かれているのではなく、切り取られています。
眉は、今の新しいお雛さまにもよくありますが、普通の眉と源氏眉の両方が描いてあります。


その昔、京都の骨董屋さんで見つけた、ずんぐりむっくりの嵯峨人形です。
「あんた、若いのに目が高いな」
と言われて喜んだのですが、あれは骨董屋さんの常套句だったのですね。


卵型のお顔は江戸時代のものと言われていて、私の持っているお雛さまの中では、たぶん一番古いものです。
産地はどこだったのでしょう?衣装は紙です。



かすかに、鉢巻き型に跡が見えますから、このお雛さまの髪には何かついていたのでしょう。後ろに、髪が長く垂れていたとか。
ちなみにお内裏さまの方は、かぶり物を描いてあるだけです。


木彫りのお雛さまは、柔らかい形ですが、奈良の一刀彫りでしょうか。あるいは、京都で仕上げられたものでしょうか。


二人並べると、絵つけのバランスが見事です。


下膨れのお雛さま。手書きの扇が素敵です。
錦織の布も使われていますが、手描きも随所に見られます。このお雛さまの雛壇はまだありません。早くつくらなくっちゃ。


押し絵のお雛さまは、段飾りのお雛さまと、いつも一緒に飾ってきたものです。小さい頃から見慣れたものですが、よく見ると、お顔は墨で、まるで素人が描いたようです。
もしかして、誰かの手づくりだったのでしょうか?いまはもう知る由もありませんが。


とまあ、今年も賑々しくお雛さまを飾りました。


2013年2月10日日曜日

雛壇の改善



妹の連れ合い、やすおさんの姉上の形見のお雛さまをいただき、昨年初めて、自分のお雛さまと一緒に飾りました。ところが、雛段が狭すぎて、飾るのに苦労しました。

雛壇の板は、父が生前ホームセンターから買って来たものなので生かしたいと、これまで使ってきたのですが、しかたありません、今年は思い切って長い板に替え、雛段を広げることにしました。

床の間いっぱいというわけにいかないので、板の長さを15センチだけ伸ばしました。


脚は組み立て式につくってあるので、板さえ長くすれば、雛壇が大きくなります。


組み立て上がりです。


一番上の段と、一番下の段は、板の幅も前と後ろに出して、わずかですが広くしました。


「さあ、広くなった」
今年は楽に飾れると、喜び勇んで飾りつけをはじめました。


「あれっ、なんてこと?」
もう一組一緒に飾りたいと思っていたのに、昨年同様二組だけでもう満員です。
15センチも広げたのに、これ以上何も置けない狭さでした。
やすおさんにいただいた、姉上の木目込みのお雛さまは、専用のガラスケースつきですが、我が家にガラスケースは似合いません。また、飾り方のイラストつきでしたが、屏風、雪洞、桜と橘、菱餅などは失われていて、やすおさんに聞いてみたのですが、わかりませんでした。

ところで、上の神棚の右手に見えるのは稲穂です。春に蒔く種籾用の穂を取っておいて、機械で脱穀せず、手でしごいて使います。

2013年2月9日土曜日

猫の文房具


夫が、Rさんから送られてきた書類を挟んであったからと、クリップをくれました。
なんてよくできたクリップ!
 

かわいい猫ちゃんでした。


その昔、元同僚のKさんからもらった、ボリビア土産のしおりです。
薄い、薄い板に、濃い紫色から赤にぼかしている色遣いが素敵です。


光に透かしてみると、切り込みを入れてある尻っぽがはっきり見えます。

2013年2月8日金曜日

アンカーコップ


このコップにアンカーコップという名前がついていたなんて、知りませんでした。
私が小さい頃、これが祖母の家の普段使いのコップでした。麦茶やカルピスを飲むだけでなく、何故かそうめん好きの祖母が、そうめんつゆを入れるのも必ずこのコップでした。
たっぷり入っている薄めのそうめんつゆには、だしを取るのに使うのか、くたくたに煮えたたまねぎが数片、沈んでいました。
そうめんや、数本は着色してある冷麦を盛るのは、切り子のガラス鉢で、 このコップや鉢を見ると、薄暗い部屋の、ちゃぶ台の傷まで目に浮かんできます。

当時、父母は遠く離れて暮らし、祖母はきつく、祖父は脳出血の障害が残っていて言葉もよくしゃべれず、傍目には寂しい暮らしと映ったかもしれません。
「お父さんやお母さんと離れて寂しいでしょう?」
などと無神経な大人から、陰で聞かれると、殊勝にうなずいていましたが、休暇には父母の元に行っていたし、祖父母が私と弟を手元に置いておくことを望んでいたし、こんなものだと思っているだけで、寂しくはありませんでした。


これは高さ9センチのとっても小さいサイズのコップです。六個あったはずとさがしましたが、どうしたことか、一つ見つかりませんでした。

当時、祖母が使っていたのは、もっと大きく、高さが12センチくらいあるものでした。祖母からは、古いものをいろいろもらったのですが、アンカーコップはあまりにもありふれていて、もらう気にもなれませんでした。


さて、これは母が身辺整理した時に、焼いてくれと預かったものの中から見つけた、祖母の写真です。
師範学校時代の祖母は一番左、なかなか貫禄がありますが、まだ二十歳前だったのでしょう。縫いぐるみなど配している写真、写した当時は意味もあったのでしょう。


そして、左端の横向きで体操しているのが祖父です。
私の知っている、元気な時の祖父は、夏は麻の白服を着て、パナマ帽をかぶり、自転車に乗って舗装していない道をさっそうと走っていました。