2014年11月21日金曜日

型枠工事


Pコンは、コンクリートの壁の厚みを一定に保ち、重いコンクリートを流し込んだときに型枠が開かないように固定しておく役目を果たすものです。
 

Pコンは、丸セパ(セパレーター)につなげて使います。


Pコンのプラスティックカバーの直径が大きい方から大きい方までが壁の厚さになります。これは10センチの厚みのコンクリート壁をつくろうとしているものです。


丸セパはコンクリートの中に埋まってしまいますが、Pコンはコンクリートを打った後取り外すので、再度というか、何回でも使っていました。
ところが古いのを使うと、錆びていたり、変形していたりで、丸セパとくっつき、丸セパごと回転して、取れにくいのが出てきます。


土に埋もれたりして見えないところだとこのままでもかまいませんが、見えるところだとなんとしてもPコンを取らなくてはならないので、壁の両側から、一方を抑え、一方を回して外し、残ったPコンは丸セパごと叩き出すなど、ものすごく時間とエネルギーを取られてしまいます。

というわけで、最近は新しい丸セパを使うようにしています。


丸セパをちゃんと外すと穴が残ります。そこに表面から1センチほど残してセメントを詰めるのが仕上がりの形です。
 

丸セパにも、丸セパを留めるフォームタイにも、丸でなく、平らな箇所があります。
そこにフォームタイ・スパナを引っかけて締めます。あまり締めすぎるとPコンを外しにくくなるのですが、しっかり締めて置かないと、型がコンクリートの重みで膨らんで、まっすぐな壁ができません。


フォームタイ・スパナは、長い方が少ない力で締められますが、地面すれすれの場所など、狭いところでは、短いものの方が威力を発揮します。


フォームタイは、丸セパと違って、穴さえ詰まらなければ、何度でも使えます。
買ったものもありますが、同じ集落内の土木屋さんが貸してくれるので、助かっています。


これは、これから位置や高さを決め、固定してから鉄筋を入れます。
ここは、戸外作業場になるのでアスファルト舗装をしますが、この型枠と型枠の間は残して小石を並べて雨を受けるために、見切りの低いコンクリート壁をつくっているところです。


丸セパには、こんなに長いものもあります。


私には、電気配線や水道配管はまったくわかりませんが、夫は抜かりなく、電線や水道管を通すところにはパイプを通して、あらかじめ穴を開けておきます。

もうすぐ、もうすぐと言いながら、細々したことがいっぱいあって、なかなかコンクリート打ちの日を迎えられません。



2014年11月20日木曜日

ペネロペのビン


キユーピーの、マヨネーズビンのペネロペ版です。
右が第一弾、左が第二弾です。
そっくり、ほとんど同じに見えますが、


同じなのは、ペネロペがフライパンを持っている絵だけです。
右のビンは、料理しているペネロペ、飴を持っているペネロペなど、ペネロペだけの模様です。


そして、左のビンには、象、犬、虎など、別の動物がいます。
 

マヨネーズビンは、ビー玉や木の実を入れるのにちょうどいい大きさです。


もっとも、ペネロペも可愛いけれど、キユーピーのビンも好きです。





2014年11月19日水曜日

石碑群


峠を越えて行く道に、石碑を集めた場所があります。
たぶん、もともとはそれぞれの場所に立っていたのに、田んぼの基盤整備や道路建設などに伴って、動かされ、集められたものでしょう。


聖徳太子の石碑は、あまり見かけないものです。
太子講が行われていたのでしょうか?


馬頭尊の数が一番多いのですが、中には庚申塚もありました。


軍馬碑っていったいいつの?
裏に回って見ると、明治二十七年(1894年)とありました。日清戦争用だったのです。


その前の馬頭尊の方が新しく、明治三十二年でした。


ここは加波山の北です。


昔はバスが通っていたのでしょうか、山に囲まれた辺鄙な地域ですが、昔の豊かな生活が偲ばれるように、大きな家が建ち並んでいます。




2014年11月18日火曜日

乳白色のビー玉

骨董市で、
「乳白色のビー玉持っていたっけ?」
と、ビー玉の入った箱を差し出す、おもちゃ骨董のさわださん。
「持っているわよ。さわださんからまとめて買ったこともあるじゃない」
「そうだっけ」
などと言いながら、その箱を手に取ります。
「一個百円。こっちはもっと古いけど、これは持っているでしょう?」
と、緑のガラスにキャラメル色の模様のあるビー玉を指さします。
「うん。それは持ってる」

見せてくれたビー玉は、乳白色の中に透明なところも混じっています。
かたわらに立っていた男性が、
「持っていると言いながら、見るんだねえ。古くはないって昭和のものかい?」
と、さわださんにたずねます。
さわださんの店の前には、こうしてたむろしている男性客が、いつでも一人や二人いるのです。
「昭和じゃないな。大正だよ」
とさわださん。
それから二人で新しいビー玉やおはじきと、古いビー玉やおはじきがどう違うか、話が弾んでいます。


それを聞きながら、どれがきれいか、選んでいたら、やっぱり買って来てしまいました。


ところどころに透明ガラスの入ったビー玉もきれいですが、ずっと前にさわださんが持っていた、ちょっと小ぶりのビー玉も、とっても素敵です。


古いビー玉は、丸く見えて、完全な球体ではないものも混じっています。


もっと透明感の少ない、ものもあります。
ガラスにすが入ったり、皺が寄ったりしています。


この、ほぼ乳白色だけの大きなビー玉も、表面がごつごつしています。丸めていたとき、ガラスが冷えて、行きわたらなかった感じです。
 

それにしても、100円ショップには何でもあるものです。一番下は、43個で100円の中国製のビー玉、模様は味がないけれど、遊ぶには全然問題ありません。
あれっ、それにしてもそんなに安かったかな、もしかしたら二袋買ったのだったかもしれません。忘れてしまいました。





2014年11月17日月曜日

アンギンの布

カラムシのことを調べていたとき、以前栃木県でカラムシの復興にかかわっていたH.Kさんに連絡したことがありました。カラムシには詳しいH.Kさんですが、そのときは私同様、アンギンを知りませんでした。
そのため、きっと喜ぶだろうと、『編布(あんぎん)の発見』を一冊送ったことがありました。そのH.Kさんから、手紙が届き、中には、一片のアンギンが入っていました。

H.Kさん、すごい機動力です。
あれから、アンギンを見に、『編布(あんぎん)の発見』に載っていた、新潟県の十日町博物館まで行かれたのでした。
そして、そこで求めた小さなお土産のアンギンを送ってくれたのです。


このアンギンを見ると、もっとも一般的だった「袖なし」を編むときの経糸(たていと)の使い方、縁の始末の仕方、裾の経糸の始末の仕方などがよくわかります。

アンギンは、こもなどと同じように、ケタ(編む台の横棒)に、錘のコモヅチを糸の両端につけた経糸をたらし、ケタに緯糸(よこいと)を置いて、コモヅチを一本おきに前後に動かして編みます。
次の緯糸を置くと、休めていた方のコモヅチを動かすので、経糸は、常に緯糸二本を一緒に、交互に綴っていきます。

もし、緯糸一本ごとに全部のコモヅチを動かせば、倍の時間がかかります。
なにより、経糸のところに厚みが出て、よい布とはならなかったのかもしれません。

この布は、経糸の間隔が1センチくらいですが、もっと経糸の幅を詰めてつくったものもあったようです。

『編布の発見』

コモヅチとして使う木の直径は2センチほどですから、経糸の間隔が1センチでも、ずいぶん混みあいます。

私は庭に生えたカラムシの繊維を取り、干すまではやったのに、あとが続きませんでした。
自分で採ったのは色も悪いし、繊維の取り方も悪いのですが、H.Kさんから送っていただいた麻やカラムシの、もう糸にするばかりになっている繊維もあるのに、糸づくりのところで挫折してしまって、全然進む予定もありません。

それにしても、織物以前、6000年も昔の縄文時代に盛んにつくられていた編みものが、世界中で消えたのに、つい最近まで越後では普通につくられていたことは、奇跡のようです。
しかも織りものと違ってアンギンは男衆の仕事だったというところが、実に実に興味深いところです。





2014年11月16日日曜日

出逢った!スウェーデンのお弁当箱


ネット時代でなかったら、出逢いはなかったことでしょう。
全然別のことで検索していたら、画面に忽然と姿を表したのは、あのスウェーデンのお弁当箱でした。
もとから持っていたお弁当箱より小ぶり、使い込まれた感じがあって、一面に飾り彫りしてありました。
 

花の毛彫りが魅力的ですが、


あちらもこちらも、これでもか、これでもかと装飾してあるのは、ちょっとうるさいほどです。


本体は曲げわっぱでできていますが、その閉じ方も装飾的です。
一番下に釘が二本打ってあるのは、一本は底板を留めているからです。


文字が彫ってありますが読めません。
このお弁当箱はなんとなく、手に入れた無地のお弁当箱に、お父さんかお祖父さんが彫りを加えて、子どもにつくってあげたもののような気がします。

デンマーク人の友人イエンスは、彼が小さい頃、町で職人さんたちがこの形のお弁当箱を持っていたのをよく見かけたと言っていました。
デンマークの町で働いていたスウェーデン人が持っていたのか、あるいはデンマーク人も普通に使っていたのか聞きそびれましたが、中にはどんなものが入っていたのでしょう?

ノルウェーに留学していた友人の話では、ノルウェーでは昼食に暖かいものを食べて、夕食にはハムや野菜など冷たいものを食べるだけだったそうです。スカンジナビアの食事は似たようなものでしょうか?とすると、昼は熱いものを食べる時間です。
お弁当はいったいどんなものだったのか、今度イエンスに会ったら、聞いてみたいと思います。

それにしても、みんなが、手に手にこんなお弁当箱を持って仕事や学校に急いでいた姿を想像すると、楽しくなります。


片方の、斜めに加工されている爪を外に反らすと、引っ掛かりが外れて、蓋を開けることができます。


曲げてある木も蓋も、白樺でできているのだと思いますが、外側はニスを塗ってあるので、艶々と光っています。


もとから持っていた方は、曲げ木を蔓で綴ってありますが、模様の彫ってある方は、釘で留めてあります。




2014年11月15日土曜日

タマネギ、よく育つかな?


山向うのかわまたさんの赤大根の甘酢漬けのおいしさが忘れられず、赤大根を分けていただきに行きました。
手前が、家の北側にあるかわまたさんの田んぼ、低い山の麓には、かつて筑波鉄道が通っていました。
  

お家は大正8年に建てたとか、部屋はすべて天井を張ってありますが、入口土間からは、松の梁が見えます。
かつてはこのあたりも養蚕をやっていて、屋根裏で蚕を飼っていたそうですが、昭和の初めごろにはもう廃れていたようです。


家の南に広がるゆず畑では、草刈り要員の雄山羊が草を刈っていました。


山羊のつながれているゆずの木は下の方まで、まだまだ葉があります。ところが、右端にちょっと白く見えている手前のゆずの木は、下の方の葉がすっかりなくなっていました。
山羊さんが木の幹に足を掛けて、背伸びして葉を食べたのだとか、ゆずにはするどい棘が生えていますが、日本の山羊もなかなかやるものです。


大根だけでなく、ゆずもいただきました。
早くジャムにしなくっちゃ。


カリンもいただきました。
早くジャムにしなくっちゃ。


4000本植えて残ったというタマネギの苗もいただきました。


タマネギの苗を最優先して植えました。
十分な肥料をやる予定がないので、きっと小さな玉ができるでしょう。


植えたあとは、しっかり踏みます。


踏むことが必要なのは知っていても、ついつい畑はふかふかがいいのではという気持ちがあって、野菜の近くには足を踏み入れなかったりしてしまいますが、かわまたさんを見習って、しっかり踏みました。