2017年4月21日金曜日

単管バリケード


道路工事しているところで見かけるこれ、正式名称は単管バリケードというそうです。
いろいろなのを見かけますが、当たり前ですが車に乗っているときに道路で見かけて、しかも工事をしているので、片側規制になったり、混んでいたりして、とても降りて写真を撮るという雰囲気ではありません。
  

地域によって、いろいろなバリュエーションがあるらしいのですが、水戸黄門の単管バリケードは茨城県にしかないだろうと、狙っているのに、なかなか撮るチャンスが訪れません。
この雨の日も、水戸黄門を見つけたのですが、カメラを出しているうちに、熊になってしまっていました。
熊は延々と続いていましたが、水戸黄門はほんの数体だけでした。
  

ただの色がついたものより和むのは、みんな「目」がついているからでしょうか。
アヒル、うさぎ、キリン、コウノトリ、イルカなどの動物、キティちゃんも見たことがありますが、いったいどのくらいのバリュエーションがあるのでしょう?


ちなみに、ネットで見て一番気に入ったけれど本物を見たことがないのが、シーサーの単管バリケードです。
見たいなぁ、こんなの!

ブログ「変な棒」より

そして、こんな写真も見つけました。
猫の単管バリケードのお腹と頭の上のパイプが、ちらっと見たとき、目が悪いせいもありますが、なんだか子猫が登っているように見えました。





2017年4月20日木曜日

紙のおもちゃ

先日の骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんが、もとは駄菓子屋さんに置いていたであろう、台紙に二十枚くらいも綴じつけてある、写し絵を持っていました。
写し絵とは、模様ごとに切り取って、水にぬらして、ノートの表紙や、叱られながらも机や椅子、そして手などに貼りつけ、しばらく置いてからそっとはがすと、その絵が、貼りつけたところに移るおもちゃで、小さい頃はよく遊んだものでした。

写し絵は懐かしいし、絵柄もなかなかいいのだけれど、全部めくれ癖がついています。
「アイロンかければ直るよ」
「そう?」
「ばらにする?それとも全部まとめて買う?」
「紙ものはなぁ。飾り方が難しいんだよね」
「額に入れたら?」
「そうだけど、うちはほれ、壁がないでしょう」
そう言うと、わきに立っていた、いつもさわださんのところで油を売っているおじさんが、黙って、「壁がない家とはどんな家なのか?」と、密かに考え込んでいたみたいでした。

しばらくして、突然そのおじさんが、
「あっ、壁がないってことは、壁がもう何かでふさがっているってことか」
と叫びました。
いったい、頭の中でどんな家を想像していたのでしょう。

さわださんは、私が写し絵を買わないとなると、着せ替えを勧めてきます。


わぁ、いつにも増して、古めかしい着せ替え!
紙が悪くて、着せ替えなのにぺらぺら、「かわいい」の基準が、今の「かわいい」とは全然違います。
「オネエさん」も女の子も下駄をはいているうえ、着せ替え用の衣装は、買い物袋を提げたねんねこや学生帽、そして小道具は箒や火鉢です。
どう見ても、1940年代から50年ごろまでにつくられたものです。
「500円!、400円でいいや」
「紙ものはなぁ.....」
と言いつつ、絵柄に惹かれて、買うことにしました。

袋に入れてくれている間、油を売っているおじさんと話していると、さわださんは、また私に売りつけるものを見つけたようでした。
「これもどう?三枚全部まとめて1000円でいいや!」
「なにこれ?かるたなの?」
「じゃないんだけどね」
「まっ、いいわ、まとめてもらうわ」
というわけで、手にとって見もしないで、紙を増やしていまいました。


家に帰ってから、初めてじっくりながめます.
「月」と「干支」の組み合わせで、干支の名が入って、点数がついています。一枚ずつ切り離して、神経衰弱のようにして、絵合わせして遊んだのかもしれません。


うちの一枚は、色も絵もそこそこ面白い。郷土玩具もふんだんに入っています。


四段目にあるのは、江戸のおもちゃ、虎のぴいぴいです。
おもちゃ好きの画家さんだったのでしょう。
 

子どもたちは、駄菓子屋でこれを買って、友だちと、そしてお正月などには、お母さんやお父さんにせがんで、一緒に遊んだのでしょうか?
  

上の一枚に比べると、こちらは漫画っぽくて、絵に情緒がありません。


でも、それも個性。大笑いしている犬の顔を見ていると、絵が下手なのもご愛嬌に見えます。
また、邪魔なものが増えてしまいました。







2017年4月19日水曜日

棕櫚の帽子


骨董市で水屋さんが持っていた帽子です。
棕櫚で編んだ、雪除けの帽子、マタギの人たちが山に入るとき被ったものです。


帽子のてっぺんで、棕櫚の繊維のかたまりを、平織りのように組み合わせ、


繊維を小分けして、途中で足しながら、黒い紐をからませて編んでいます。
黒い紐も、棕櫚でしょうか。


そして、頭が隠れるほど編んだら、別の棕櫚を足して、肩に雪がかからないよう密に、棕櫚の「房」をたらしています。
美しい仕事には、ほれぼれと見入ってしまいます。


顔の上に当たる部分には、棕櫚の房を逆さに向けて編みつけてあります。
頭上に落ちた雪が、顔に落ちてこないよう、工夫されているのです。


内側には藍木綿で裏打ちしてあります。
綿の入った紐を両脇にたらし、あごの下でそれを結びつけます。

しんしんと雪の降る夜の囲炉裏端で、男性が帽子を編み、それに女性が裏をつけていたのでしょうか?
もう、永遠に消え去った光景です。


籠の上に、漁の浮きを置いて、帽子を被せてみました。
これを被って、険しい雪の山の中を、藁沓でさっくさっくと熊を追って歩を進める男たちの姿が見えるようです。


ネット検索してみると、マタギにもいろいろな帽子があったようです。
越後三面(みおもて)の帽子は、こんなでした。


そして、秋田阿仁の帽子は、やはり棕櫚でできているようですが、形が違います。
いずれにしても、雪山の中で動きやすい服装が選ばれたのでしょう。

映画、『越後奥三面 山に生かされた日々』を見たとき、雪が降り積もった山に熊を追っていく男たちが、
「やっぱり、雪はええなぁ」
とつぶやいていたのを思い出します。


それにしても猫のトラ、追っても追っても舞い戻って乗り、最後にはとうとう叱られてしまいました。






2017年4月18日火曜日

木彫りの穀物匙

日本では、穀物をすくう匙は、まったく発達しませんでした。
というのは、一升升、五合升、一合升が、ほぼどの家庭にもあって、それを穀物匙代わりに使っていたからです。

もちろん、どんな社会にも定められた度量があり、度量升や度量桶などが使われてきました。
それでも多くの地域で、穀物匙が、秤と併用されるなどして、使われてきました。


木のかたまりを刳り抜いてつくった穀物匙は、左からインドネシア、同じくインドネシア、中国少数民族(民族グループ名は不明)、そしてフィリピンルソン島のイロカノのものです。
 

中国の少数民族の穀物匙は松、熱帯の匙たちは、タマリンド製でしょうか。

タシュケントの市場

近年では、アジアでもアフリカでも、穀物匙の代わりに、度量升としてよく空き缶が使われています。
空き缶に摺り切りとか山盛りとか計って売るもので、最後にちょっとだけおまけをしてくれることも、どこの市場でも共通のものかもしれません。



ブリキの穀物匙は、大小たくさんあるのはカンボジア、細長いのはパレスチナ、手のついているのは、どこのものだったか、忘れてしまいました。





2017年4月17日月曜日

似た匙


その匙を見たとき、あまりにもモロッコの匙と似ているので、びっくりしました。
スウェーデンの匙です。


色の白い方が、モロッコの匙です。
偶然の一致ということがあるでしょうか?
それとも、歴史の中で、どちらかがどちらかの真似をしたのでしょうか?
あるいは、スウェーデンの匙と思われていたものの、実際はモロッコの匙がスウェーデンにもたらされて伝わっていたという可能性も、ないわけではありません。


以前紹介したことのあったモロッコの木の匙は、オレンジの木でできています。


スウェーデンの匙の素材はわかりません。
匙の部分がお椀形をしていると、このような柄のつき方が、もっとも自然というわけではないでしょう。
 

お椀形の匙でも、いろいろな柄のつき方が見られます。


こちらは、コートジボワールに住むバウレ人の匙です。


フィリピンの北ルソンのイロカノ人の匙と似ています。


偶然の一致でしょうか。
コートジボワールのバウレと北ルソンのイロカノ。あまり接点が見つかりません。
 

似ているといえば、ヨーロッパの木の匙(を真似て日本人がつくったもの)と韓国のスッカラも、よく似ています。


また、調理用の匙ですが、イギリスの匙とジンバブエの匙もそっくりです。

もちろん、ヨーロッパの匙の方が先だったとは言えません。
ヨーロッパで、匙が普及したのは17-18世紀になってからで、ナイフ、フォーク、スプーンのセットで食事するようになったのは、19世紀ごろと言われています。


バウレの匙には、素敵な模様が彫られています。







2017年4月16日日曜日

よみがえった木の匙

欠けた木の匙を、お隣のくみさんに、また直していただきました。


三谷龍二さんの匙は、夫が、土鍋にこびりついたご飯をがりがりやって欠いてしまいました。
以前、小さい子が齧ってしまった同じタイプの匙は、漆は接着剤として使っても、塗らないで生地のままにしてもらいました。
でも今回は、割れ目が目立たなくなるし、丈夫にもなるので、拭き漆を塗っていただきました。
もともと、とても薄くできているので欠けやすいかと思いますが、薄いので使い勝手はとてもいい匙です。


新子薫さんののし杓子は、お客さまでばたばたしていたとき、引き出しを乱暴に開けたら、匙の先が引き出しに引っかかって欠けてしまいました。
新子さんの栗の匙は、100年持つと言われています。捨ててしまうわけにはいきません。というわけで、それもくみさんの手を煩わせてしまいました。

左が直してもらった方です。
くみさんのお話では、一回漆を塗ったけれど、あまりにも栗の木目が美しかったので、それを隠すのは惜しいと、それ以上は塗らなかったそうです。


そのため、目を凝らしてみると、傷が見えますが、目を凝らさなかったら見えません。
焼き物同様、直したものもまた、素敵なのが嬉しいところです。


これは、在りし日の新子薫さんのお写真です。
大塔坪杓子は、生の栗の木を削ってつくりますが、新子さんの後ろの壁にかかっているのは、その杓子をつくる道具の数々です。

戦前は大塔町では、たくさんの方々が杓子をつくっていて、この地の名産品でしたが、戦後は新子さんお一人がその技術を伝えて来られました。
幸い、お孫さんの新子光さんが、おじいさんに習って、後を継いでいらっしゃいます。
ただ、丸い杓子の作り方を習ったところで亡くなられたので、のし杓子はもう誰もつくることができないのです。



 

 


2017年4月15日土曜日

ジャワ更紗


古いジャワ更紗(=バティク)の布を利用した、小さな巾着です。
丁寧に縫製してありますが、


大胆なことに、紐は布に穴をあけただけで通しています。
これで、何度も開け閉めして、長い間使ってもびくともしないのは、布が細い糸でかっちりと織ってあるからです。

インドネシア(ジャワ島)では、古くより、素朴な蝋纈染(ろうけつぞめ)がおこなわれていましたが、インド更紗の刺激を受けて染色技術が向上しました。
もともとは王侯貴族の手工芸でしたが、16世紀ごろから庶民にも広がり、17世紀になると、オランダや中国の意匠も取り入れたバティクをつくる地域も出てきて、一層盛んになります。 

本来、バティクに使う生地は、ジャワやインドの手紡ぎ、手織りの布でしたが、19世紀に入ると、力織機で大量生産した布の市場を求めているイギリスの思惑のもと、薄手紡績綿の「キャンブリック」がもたらされ、主流になりました。
力織機の発明当時は、イギリスの紡績綿織物は、インドの手織り布の足元にも及びませんでした。しかし、このころになると、イギリスの綿織物も技術が向上してきて、細い糸で目の詰まった布が織れるようになっていたのです。
キャンブリックは、糸の組織密度が、経糸緯糸(たてよこ)とも、1インチの間に、85本から90本のものです。 
 

さて、巾着は、両端の、模様のついた三角の布を引っ張ると閉まります。


そして、黒い布を持って引っ張ると、開きます。
つまり、紐とつながっているのは模様布だけで、黒い布は袋に直接縫い付けてあるのです。


こんな小さな端布でも、存在感があり、古くても丈夫なのがジャワ更紗です。