2012年6月8日金曜日

風邪と本

この一週間、風邪がなかなか抜けません。
昨日は、一日じゅう寒けがして、夜、布団に入ってから熱を計ったら39.5度ありました。
やはり風邪が抜けない夫が、あわてて解熱剤と、滋養強壮剤を買ってきてくれたのでそれを飲み、頭を冷やして身体を温めて眠り、今朝はなんとか平熱に戻りました。


夜な夜な、並行して読んでいた三冊の本をやっと読み終えて、このところ枕元に置いているのは、筧次郎さんの『自律社会への道』です。

教科書には、有史以来の技術が実を結んで産業革命がおこり、近代の科学技術が発達したとありますが、本当に近代史をそうとらえていいのかというところから解き起こした本です。
筧さんは、それまでの人間の営みの蓄積が産業革命として実を結んだのではなく、 大航海時代に、世界中の富を侵略で手にしたから、近代社会が成り立ったことを、いろいろな事例をあげながら述べています。

ちなみに筧さんは、もともと哲学者でしたが、今は野菜やお米をつくって自給に近い生活をされています。

でも、風邪引きの身には内容が重く、まだ導入部の前の方の、南米が侵略者によって壊滅的に崩れるあたりで足踏みしています。
早く読み進んで、筧さんとしてはどんなオルタナティブな社会を提示しているのだろうと興味津々なのですが、なかなか前に読み進みません。


南米のさまざまな社会がヨーロッパによる襲撃と、持ち込まれた天然痘、インフルエンザ、梅毒などによって崩されていく話なら、本田勝一の『マゼランが来た』 に詳しく描かれています。
淡々と事実だけ述べているのですが、それまで平和に暮らしていた民族が、あえなく消えていく悲しさに満ちた本です。

さて、思考力は風邪で全く働かない、でも目は活字を求めているというので、思い出したのは、唐突ですが『赤毛のアン』 です。


アンが悪性の喉頭炎にかかったミニー・メイを直した話を思い出し、暇つぶしにそこだけ読もうと取り出したのに、結局全部読んでしまいました。こんな時にはもってこいの本です。

『赤毛のアン』を思い出すときは、元同僚のNさんを必ず思い出してしまいます。
Nさんはむくつけき大男で、アフリカに長期赴任するときも、スーツケースも持たず、パスポートの入った小さなバッグしか担いで行かない人でした。ソマリアの田舎に訪ねてみれば、他人の捨てて行ったシャツをはおり、お茶づけを食べるというので見ていると、冷や飯にジュバ川から汲んできて甕に入れている水をそのままかけて、おいしそうに食べていました。
その彼の愛読書が『赤毛のアン』 なのです。
人は見かけによらないものです。

『赤毛のアン』は、一冊読むとたいてい続編も読みたくなります。これまでに何度読んだことか、これって時間の無駄遣いにも見えますが、まあ、人生全体が時間の無駄遣いだし、人生全体が労働と息抜きの連続ですから、しかたないでしょう。


4 件のコメント:

mmerian さんのコメント...

風邪は良くなられましたか?
少し熱っぽくても気分が良くて、読みたい本がじっくり読めるのは楽しいですよね。
おまけに、家事もやってもらえたら最高!

赤毛のアンは、中学の時の親友の愛読書で、私も付き合って読みました。
続編が何冊あったか、忘れてしまいました。

はやく良くなって下さいね。

さんのコメント...

mmerianさん
ちょっと良くなった感じです。
「赤毛のアン」は最初いつ読んだか、5年に一度くらい読み返している感じです(笑)。他にもケストナーとか、ローラ・インガルスとか、ローズマリ・サトクリフとか、プラムディア・アナンタ・トゥールとか読み返す本がいっぱいあるので、新しい本を買う必要がないほどです(爆笑)。夫は時間の無駄遣いだといいます。本当にそうです。
ところで筧さんは『自立社会への道』の「第六章産業的征服と道徳的征服-三冊の本から」で、『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』、『ラダック、懐かしき未来』とともに、『逝きし世の面影』を取り上げて分析しています。
私はあの極楽のような社会は日本だけでなく世界中いろいろなところにかつてはあったと思うけれど、懐かしがっているだけではなく、では今どうやって焼きなおして現代の社会にあてはめるのか、筧さんはそこのところをどう考えているのかすごく関心があるのですが、まだ第一章で足踏みしていて、いつそこまで到達するのかわかりません。
確かに世界はターニングポイントに来ているような気もしますが、原発も再稼働が決まりましたし、大量生産大量消費原則はなかなか崩れません。

mmerian さんのコメント...

夕食の時、娘の就職の話をしていると、高2の次男が「もうすぐ日本は壊れそうだから、てげてげ(宮崎弁)でもいいんじゃない。」と発言。学校で、友達とそんな危機感のある話題が出るのだと思います。
このまま前に進めない時代は、確実に来ていると思います。
私もこの本、読んでみます。

さんのコメント...

mmerianさん
私が小さいころは、そしてmmerianさんの小さいころも多分、地球がだめかもしれないなんて不安はなかったですよね。
でも、息子たちの世代にはあって、ではどうするか真剣に考えるより「目をつぶってこのまま享受しちゃう方が簡単かもしれない」と、みんな悩むところのようです。
下の息子は、大人は変わらないけれど、震災など被害にあった小さな子どもたちから社会が変わると言うし、上の息子は「知らなかった」と今頃になって生活を考えなきゃと言っている人は、これまで知らずに生きてたくらいだから一時そんなことを言っていても、何も変わらないと言っています。
ダーウィンは敬虔なキリスト教徒で、進化論を発表するかどうするか20年も迷いましたが、発表を決心したのは、南米で奴隷たちを人間ではないものとして扱う人々の苦悩を見てだと言います。使われる側はもちろん大きな苦悩ですが、使う側にも苦悩があったのですね。
原発も使わず、安い労働賃金の国の誰かの労働にもあまり頼らず、健康な社会がつくれたらいいのですが。