久しぶりの糊ビンです。
糊ビンにはわりとよく出逢うのだけれど、値段が高いのはごめんだし、蓋がないのも欲しくありません。
と言ってもこのビンは、エンボスはないし、気泡も入っていないし、飛び切り上等というわけにはいきません。
いつもの内町工場から来ました。
蓋にはエンボスがあるのですが、読みにくいのをやっとのことで読んでみたら、「HIGH CLASS Paste」ですって!
意味がないし、どこの糊ともわかりません。
でも、青みがかってなくて、ちょっと黄色っぽい、これまでにないビンです。
そういえば、養蚕のビンも増えていました。
緑がきれいな、「金川式活桒育器」です。
蓋がないのが残念、反対側には、「實用新案第33765號とあります。
4 件のコメント:
春姐さん年寄特有の昔話ですが、、、、
我が家は昭和14年頃まで「太物店」と区の役員を
していたので糊と謄写機・ガリ版切りはもう
遊び道具でした。
糊はどうしても指先で取るので周りが残り
硬くなります。
商家を周る糊屋が硬くなったバリを外し
新しい物を詰め換えるだけなので
僅かな金額でしょーね。
「昭和の消えた商売」のベストスリーです。
昭ちゃん
太物店だったんだ!では、麻とか楮、からむしなどの織物もいっぱい見たんですね。いいな、いいな。
糊は固まったのを外して詰め替えたんですか?それもやらしてもらいたいほど好きな仕事です(笑)。
いまでも、ボンドを使っていますが、蓋の周りで固まったのをはがすのは大好き(^^♪でも、糊屋だけで食べられたって、しかも歩いてでしょう?今では考えられませんね。
ガリ版は1982年まで、みんなから原稿を集めてガリを切って、月報をつくっていました。
姐さん商売をしているといつも入口は開いているし
店は手あぶり程度の火鉢ですから
東京の冬は寒かったです。
窓の隙間に貼った渋紙がぶるぶる震え
電線がビューヒュウ鳴る時代です。
「繊維統制令」で廃業父は工場で働きました。
昭ちゃん
わぁ、寒そう。東京の方まで、筑波降ろしが吹いていったのでしょう。
でも「子どもは風の子」でしたね。といっても、みんな鼻を垂らしていたし、あかぎれやしもやけも作っていたし(笑)。
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