2018年4月3日火曜日

鋸いろいろ


我が家の、替え刃式の大工仕事用の鋸です。
上は、横挽き縦挽き兼用で、3本同じものを使っています。


鋸で木材に切り込んでいくと、すでに切断した部分と鋸とが接触し、切断の抵抗が増します。その抵抗を減らして軽く挽くため、鋸の歯は一枚ごとに左右に振り分けてあり、それを「あさり」といいます。
あさりによって、鋸の厚み以上の切り幅で材を切断することになるので、摩擦による抵抗を少なくすることができるのです。
また、あさりをつけることによって木屑も外に排出しやすくなります。


最初の写真の下の小さい鋸は、刃がとても薄くできているうえ、刃先が左右に開いていない(あさりが出ていない)ので、切断箇所以外に傷をつけません。そのため、柱などに打ち込んだ込み栓や釘隠しを、ギリギリのところで切り落とすのに、なくてはならないものです。
といっても、もう10年以上、刃を替えていないので、こうやって拡大してみると、歯が折れている箇所も随分あります。
  

これは、丸太を縦挽きに製材するための、「前挽大鋸(まえびおが)」です。
その昔、まだ骨董市などあまりなかったころ、また、骨董品と言えば書画や陶磁器がおもで、古い生活道具や刃物がそう店頭には並んではいなかったころ、秩父だったかどこだったか、骨董屋さんで見かけて、形が面白いので慌てて買ったもので、木の持ち手もついていません。
大きいし重いし、引っ越しするたびに持て余してきたものです。


葛飾北斎の富嶽三十六景に、江戸時代の木挽きの風景があります。
「遠江山中(とおとうみさんちゅう)」、現在の静岡県西部の山間部です。
斜めに立てかけた杣角(そまかく。丸太の丸い面を落とした角材)に乗って、前挽大鋸を使う人が一人、下から上を向いて前挽大鋸を使っている人が一人、もう一人は座り込んで、固定した鋸の目立てをしています。
  

我が家にある前挽大鋸は、刃を手入れしていないとはいえ、これで切れるのかという代物です。


あさりもほとんど見られません。
もし、かつては使用されたものであったら、その鋸挽き技術に脱帽するばかりです。


縦挽きの前挽大鋸に対して、右は横挽き用の「窓鋸」です。


窓鋸は(目たてしたものは)、驚くほどよく切れるそうです。
私は子どものころ、倉敷で暮らしていましたが、松の木を薪の長さに挽く鋸は、どこの家の鋸も、普通の形をした(窓鋸ではない)刃の鋸でした。
窓鋸は、よくわかりませんが、関東以北のみでつくられ、使われていたものでしょうか?

日本で発見された最古の鋸は古墳からの出土品(渡来品)ですが、刃は細くて短く、金属や鹿の角など、特定の、硬いものの加工用に用いられていたと考えられています。
鋸をつくるには、細かい歯(刃)をつくり、それぞれを叩いたり研いだりしてあさりをつけるなど、精密な技術と多大な労力が必要とされます。そのため、古代から中世にかけて、日本で鋸はほとんど普及せず、斧(おの)、手斧(ちょうな)、槍鉋(やりがんな)で樹木の伐採から製材までをこなしてきました。斧で樹木を伐採して手ごろな大きさに断ち切り、楔(くさび)を使って引き割って大まかな形を取り、手斧や槍鉋で表面を仕上げるのです。
このような状況であったことから、日本では、杉やヒノキのような木目が通って引き割りしやすい針葉樹が、建造材として好まれました。

江戸時代には、やっと鋸が普及しましたが、普及した後でも、大木の伐採には、斧が用いられました。
鋸で伐採すると、倒れるときに木が裂けて傷つきやすいということもありましたが、大きな音が響く斧での伐採と異なり、鋸はほとんど音をたてないため盗伐を容易にしてしまうということで、為政者が鋸の使用を嫌がっていたということもあったようです。
明治に入ってからは、北海道開拓などには、窓鋸が盛んに使われ、樵さんたちは速さを競ったようでした。

ローマ時代の鋸、3-5世紀

世界で一番古い鋸はエジプトで発掘された鋸で、紀元前1500年のものです。
エジプトの鋸の刃は、柔らかい銅製だったので、刃がたわまないように、引いて使いました。
古代ローマになって、刃は鉄製で堅くなり、あさりもつけたので、刃の動きはスムーズになりました。


ちなみに、日本の鋸は手前に引いて切ります。そのため、押すときに力を入れなくていいので、刃を薄くすることができます。
日本のほかにも、トルコ、イラン、イラク、ネパールなどでは、手前に引く鋸を使っています。
ところが、欧米の鋸は、押す方向に刃(歯)がついていて、押して切ります。押すときの屈曲を防ぐために、刃は厚くつくられており、刃が薄い場合は、背の部分に補強材が取りつけられています。

 
中世ヨーロッパでは、大鋸(枠鋸、現在の弓鋸)が普及しました。
金属製の細い刃を木枠に取りつけ紐でぴんと張るもので、以後、19世紀までの長い間、使われてきました。


17世紀半ばには、オランダとイギリスで、幅広の歯に木製の柄をつけた鋸が使われはじめました。今でも西洋では、これが一般的な鋸の形です。
私も、ガーナに住んでいたころ、ヨーロッパ製のこの形の鋸を使っていましたが、重いものでした。

『大草原の小さな家』より、ローラのとうさんが家を建設中
 
伐採には、欧米でも、鋸より斧が使われました。
斧は鋸の数十分の一の値段で買えたし、目立ての必要がなかったからです。
ヨーロッパでは、製材(縦挽き)には14世紀に水車の水力を使った鋸がつくられ、15世紀には水力製材所が普及しています。


これは、オランダの19世紀の鋸です。
幅広の一般的な鋸ではないので、もしかしたら大工仕事に使ったのではなかったかもしれません。鹿の角の柄がついています。


刃の先には、突起を曲げてあります。
日本にもカンボジアにも、ブッシュに入るとき灌木や草を除けるために、先に突起がついた鉈はありますが、鋸を持って原野に出かけたとは考えられないので、単に収納するときに、釘に掛けておくための突起かもしれません。
 

あさりが、盛大についています。
切ってみると、刃の厚みがあるうえ、あさりが作用して、鋸の刃よりだいぶ広い切り口となります。


一言に「鉄」と言っても、鉄には硬い鉄、柔らかい鉄、いろいろあるようです。
この鋸の鉄がどんな鉄かわかりませんが、その肌は、鍛冶屋さんが打った美しさを見せています。





8 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん懐かしいノコが、、、
浮世絵から8枚目です。
 子供の頃近くに肉屋があり首と足先と内臓を出した
ウシがトラックで運び込まれていました。
こんな様子は子供たちが大好きな場面ですよね、
アンぺラを肩にかけて職人が倉庫に運び
このノコで半割れに切断
押して切っていました。
 昔は結構子供の相手をしてくれましたね。

さんのコメント...

昭ちゃん
肉屋さんに西洋鋸ですか?
西洋の鉄は簡単に刃が欠けたりしないので、肉だけじゃなくて骨も一緒に切っていたのでしょうか? おもしろいですね。
包丁でも、和包丁で鶏の骨なぞ切ろうものなら、いちころで刃が欠けます。その点、中国包丁とか西洋包丁は安心して叩き下ろせます。
氷を切る鋸はよく覚えていますが、肉を切るのは見たことがないような...。日本では、骨付きの肉を天井からぶら下げている姿、全然見ませんね。

hatto さんのコメント...

先の曲がった鋸、収納のひっかけるものだったんですね。なるほど。大オガは私も使ってみたことがあるのですが、よくあれだけ大きなものを平らに打ったものだと鍛冶師は凄いなと。エジプトの最古のものは銅だったんですね。熱をもったら冷ましてから使っていたのかな...なかなか作業も進まなかったのでしょうね。

昭ちゃん さんのコメント...

胴体が半分になるので凄い切れ味でしたね、
魚屋に行けばドジョウのキュっと鳴く声はするし
アンコウは吊るし切りと何でも見て育ちました。
そうそう鳥は羽根の下に首を挟みます。

さんのコメント...

hattoさん
おおがを使ってみたんですか?すごい!
平らに打つのもすごいですが、あれで広重の絵みたいに、曲がらないで薄い材を切り出していくのはもっとすごいです。
また、窓鋸は、樵さんたちは元締めから借りて使ったらしいのですが、人より多く、速く切りたいために、人には目立てをしている姿を見せないように目立てして使い、元締めに返すときは、切れないように目立て(?)しなおして返したそうです(笑)。

石器と銅器、銅器と鉄器の戦いはどこでも壮絶なものだったようですね。鉄は融点が高いから、銅器をつくれる人たちもつくれない。鉄を持った人は製法を秘密にして、征服していったことは、物語にいろいろあります。
今では、銅の刀や斧、まして鋸なんて、到底信じられないです。

さんのコメント...

昭ちゃん
やっぱり、骨まで切ったんですね。日本の鋸を使ったなら、きっと刃がボロボロになったことでしょう。
そう言えば、鉄の違いについて、身近に鉄の作家さんや鍛冶屋さんがいますが、詳しく訊いたことがありません。いったい何が違うのか、今度訊いてみます。きっと、何を大切に思って刃物をつくるかということが、それぞれ違うのでしょうね。

昔の、好奇心の強い子どもには、身の回りにたくさん見ることがあってよかったですね。大森貝塚を発見したウイリアムモースは、「日本には、どんな職場にも子どもがいる」と書いていますが、今では、何もかも子どもの目からは隠されてしまいました。

hatto さんのコメント...

知り合いにチョウナで「はつり」をやっている人がいるので、その関係で大オガをひかせてもらいました。私の胴体くらいあるサイズでしたよ。写真をここに貼れたらいいのですが残念です。オガ屑の語源もそこからだと聞きました。骨董市でたまに出品されてますね。樵さんはそんな事をしていたんですね。駄目ですね・笑きっと罰があたって切った木が自分に倒れたりもしたでしょう。いじわるはいけません。笑

さんのコメント...

hattoさん
おがは、持つだけで大変だったことでしょう。おがくずがそこから来ているなんて知りませんでした。
先日も、骨董市で手斧を売っていました。なかなかいいもので値段も手ごろ、でも「私が持っていてどうするんだ?」と買いませんでした。当たり前だよね(笑)。一つあるし(爆)。

友人の友人がマサカリと手斧で鳥居をつくっているらしい(https://kaiganyafo.exblog.jp/238378126/)。彼が何者かは知らずにブログを見ていたのだけれど、先日水戸の鍛冶屋さんと話していたら、それが、一緒に行った友人の友人で、鍛冶屋さんもよく知っている人とわかりました。世間は狭いです(笑)。
宮大工さんも増えているみたいだけど、法隆寺の修復からして、台湾の木を使っています。日本でも、2000年先を見据えて植林しなくては、せっかくの技術の伝承が、材料がないので途絶えてしまうということにならないかと、私に関係ない心配をしています。