4月に5日ほど来ていた長男が、自分の昔の写真やノートなどを探すために、2階展示室の飾り棚の下の戸棚をあさっていて、
「こんなのがあったよ」
と、私の高校の卒業アルバムを出してきました。
戸棚には家族写真、卒業アルバム、卒業証書やその他の証書、いろいろな人の結婚写真、新聞の切り抜きなど、何でも放り込んでいるので、「それはあるだろうよ」と思いながらも、久しぶりに開いてみました。
卒業アルバムは、アルバム制作委員を決めて制作に1年近くをかけたものらしく、個人写真と、運動会、体育祭、文化祭、遠足、修学旅行などの行事だけでなく、日常の学校生活も丁寧に拾って編集していましたが、驚いたのは巻末に全員の連絡先が記載されていたことでした。電話には、「呼び出し」と「注」のあるものもあります。家に電話がない人は、ご近所の電話番号を自分の連絡先として登録しておいて、そこに電話してもらって、「電話ですよ」と、取り次いでもらっていたのです。
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| みんなおかもとさん! |
個人写真を見ながら名前を当てようとしましたが、135人中、名前を覚えていたのはたったの20人くらい、私と同じ苗字の人が3人いたこともすっかり忘れていました。
クラブ活動紹介のページもあって、それぞれの部に過不足なく部員がいました。もっとも、クラブ活動していたのは、2年生までだったと思いますが。
語学は、英語部、フランス語部、ドイツ語部。身体を動かす部では、バレー部、バスケット部、テニス部、卓球部、山岳部。趣味(?)の部では、音楽部、演劇部、文芸部、美術部、華道部、箏曲部、書道部。勉強系では化学部、古典部。そして、Y.M.S部、社研部、聖書研究会というラインナップでした。
私は、祖母の家にお琴があったので、弾ければ祖母が喜ぶだろうと思って、箏曲部を覗いたのですがすぐギブアップ、テニス部で他校との試合に出たこともありましたが長続きせず、演劇部に落ち着いていました。
「んっ? Y.M.Sって何だったっけ?」
ネットで調べると、Youth Mobility Schemeの略、今はイギリスのワーキングホリデーを指しているようです。
西武線沿線の萩にあった学校の付属の農場に、年に数回農作業に行ったのですが、その農作業の帰り道に、Y.M.S部の友だちに一緒させてもらって、高田馬場の駅前にあった米軍の旧かまぼこ兵舎を利用した孤児院に寄ることがありました。この活動は「セツルメント」と称されていて、孤児たちと遊んだり、飴をあげたりしてひとときを過ごすのです。
当時はY.M.Sもセツルメントも意味を知らず、知ろうともせず、そのまま受け入れていましたが、キリスト教系の学校でもないのに、クラブ活動としてY.M.S部や聖書研究会があったことの謎に、今ごろになって驚いています。
設立の背景に何があったのでしょうか?
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| 朝霞基地跡のかまぼこ兵舎。高田馬場駅脇にも同様の建物の孤児院があった |
当時は、高田馬場から新宿、渋谷のあたりまで、山手線の外側には広々とした空き地が広がっていて殺風景でしたが、今ではその面影も残っていません。



昔の卒業アルバムって住所と電話番号、ばっちり載っていますよね。今パートに行っている大学では、ホームカミングデーという卒業生が集まるイベントがあり、卒アルを並べるのですが、古いものには住所が載っているので閲覧できないように目隠しをします。
返信削除セツルメントは初耳です。イギリスのワーキングホリデーは2008年に始まっているから、Y.M.S部とは関係なさそうです(苦笑)。
hiyocoさん
返信削除当時の住所や電話番号を今でも使っている人がいたら、博物館ものですがね(笑)。
Y.M.Sですが、おそらく一種の奉仕活動にYouth Mobility Schemeというのがあって、キリスト教文化圏ではYMCAやYWCAのような共通概念だったのかも知れません。クラブ活動として成立させたのは、熱心なキリスト教徒の校長先生がいたとか、しかも戦後のGHQの時代に始めたとかの歴史があったのかも知れません。それがイギリスのワークホリデーの名前として残っているのではないかしら?私は孤児院訪問以外は何もしなかったので、彼女たちが他に何をしていたのか、全く知りませんが。
そして、セツルメントって何だろうね? 言葉としては定住だから、どういうことだったのか。クラブ活動としてどうしてあの孤児院に行っていたのか? もしかしたら、あの孤児院から孤児をアメリカに里子として送り出していたのかも知れません。
私は大人になってから難民のセツルメントや、スラム住民のセツルメントやリセツルメントに、はからずも関わっていましたが(笑)。