2013年5月7日火曜日

坂道



我が家は公道から、坂道をちょっと上ったところにあります。
この土地を手に入れたときに、資材を運び込んだりするために、敷地の草刈りに次いで、まずつくった坂道です。

来た時には、人一人がやっと歩ける、細い未舗装の道しかありませんでした。それはそれで趣があったのですが、そのままでは、建設も何もできません。

夫がユンボを借りてきて、整地したあと、これも借りたダンプトラックで、採石場まで一日何往復もして石を運び、石を均して、プレートで固めました。
コナラやクヌギはできるだけ切らないようにしたので、入口のところが道路から鋭角で入りにくくなり、途中、木を除けて湾曲しているところもあります。

  
まったくの素人でしたから、採石を敷く厚さも知りませんでした。いろいろな人に聞いて最大の数値を取り、確か採石だけで40センチの厚みに敷きました。


両脇にはごろた石を並べて、真ん中にグリーンベルトを取り、全体に鉄筋ネットを敷き詰めてあります。


2002年の4月、コンクリート打ちの日には、友人や近所の人たちも手伝いに来てくれました。 ポンプ車も来て、上から順番にコンクリートを流し、それをみんなで均しました。


坂道ですから、滑り止めの対策もする必要があります。
表面がちょっと乾いた時、擦り減った竹ぼうきで、筋目をつけました。


数日後、型枠を外したところです。

幅はぎりぎりですが、採石もコンクリートも厚く、頑丈なので四トン車も入ってくることができます。
採石やコンクリートが厚かったおかげで保温率が高く、雪が降った翌日でも、この坂道はいち早く溶けて乾くので、道が凍って怖い思いをしたことは一度もありません。


さて、坂道が一番汚れるのは落ち葉の季節と、コナラとクヌギの花が散る季節です。


落ち葉のときは葉が積もり、不精していると大きい車が滑って、上ってこられなくなったりするので、わりと頻繁に落ち葉かきをしますが、花が落ちるときは、汚らしいけれど実害がないので、落ちきるまで放りっぱなしです。


やっと落ちきったゴールデンウイーク明け、掃除開始です。
掃除すると、コンクリートもタマリュウも、見違えるようにきれいになります。


すっきりしたところ。


途中、グリーンベルトがぼやけて見えなくなっているところまで、掃除がすんでいるのが、一目瞭然です。

坂道の掃除をするときは、飽きると、お寺の小坊主さんになったつもりになって働きます。
「もう一人くらい小坊主さんがいないかなぁ」
残念ながら、我が家には小坊主は一人いるだけです。


2013年5月6日月曜日

靴べら

連休中に、息子一家が、孫のはなちゃんの友だちのそうちゃん一家と一緒に遊びに来ました。そうちゃんは、同じ保育園に通っているだけでなく、同じマンションに住んでいます。
そうちゃんは三歳、家に入ってくるなり、あちこち走って行ってみて、階段室からも緑が見え、居間からも緑が見えたからか、
「すごい!この家すごい!」
を連発したので、
「三歳でも空間がわかる子がいるんだ。すごい!」
と、夫はそうちゃんにいたく感動していました。


さて、そうちゃんのお父さんは木工家です。お土産に長い箱をいただきました。
開けてみたら、長い棒と重い木の箱。


先が削ってあって、靴べらになっていました。


自分の仕事場(WOOD WORK)の商品とはいえ、 手でひたすら磨いた、時間のかかったものをいただいて、いいのかなぁ、と恐縮しました。


我が家の土間入口の床はウッドブロックです。靴べらをそこに置くと、四角と四角でぴったりでした。
Fさん、ありがとう。


2013年5月5日日曜日

黄金週間


小さい子どもたちが庭を走り回っているのも楽しい。


古い友人たちが大きく育った子どもを連れて来てくれるのも楽しい。


そんな、訪問者たちと、いろいろなところを訪ねるのも楽しい。


とっても充実したゴールデンウイークでした。


でも、みんなが帰って、二人っきりになってほっとするのも嬉しい。
 

今晩は残りもので、すませましょうか、と話していたら、上の息子から電話がかかってきました。
「これから行くから」

というわけで、今夜もにぎやかにしています。


この写真、真ん中には、家を突き抜けて向こう側に立っている人が見えています。
なんちゃって、土間入口の鏡に、テラスに立つ三人の姿が写っているところです。

2013年5月4日土曜日

藤にツバメ


結婚したときから、夫の手元にあったお茶わんです。

当時、働いていた夫の母は足が悪く、それを気遣った父ともども家を出て、都心の仕事場の奥に、最小スペースの住まいを確保し、最小限のもので暮らしていました。
食卓もなく、低いテーブルで食べる日々、きれいなお菓子の箱など、不用なものは即座に捨て、狭い部屋はいつもすっきりしていました。明治生まれの両親、とくに母の捨てっぷりのよさは見事で、
「こういう生活もあるんだ」
と、目から鱗だったことを思い出します。
これは、そんな母が最小限のもので住むために、元の住まいに置いていったお茶わんだと思われます。

二年前の地震の時、上に重ねていた茶碗が飛び跳ねて割れたのか、底が抜けるという変な割れ方をしていたのを見つけたのは、地震からずいぶん経ってからでした。
上に乗せていたお茶わんの方は、なんともありませんでした。

捨てるには忍びないので、お隣の八郷910のJさんに継いでいただきました。金粉なし、漆のみで継いであります。

まわりをぐるっと藤の花で囲んで、中にツバメが描いてある模様は、ちょっと粋です。


外側にはツバメが四羽、藤棚のようなものも描かれています。


内側と外側のつながりもなかなか素敵です。
今の季節にはピッタリのお茶わんです。


2013年5月3日金曜日

橋の修理


この一ヶ月くらい、テラスから裏庭へと下りる階段と、それに続く木の橋を、折々になおしています。
地震で瓦が落ちてきて壊れたところ。散らばったものを片づけて重ねておいていたので腐ったところ。あれこれ長い間放置しておいたので、梁の松材だけでなく、床材の一部さえ腐ってきています。

もっと前に何とかすることができたでしょうか?
いえいえ、毎日精いっぱいやっている、とは言い切れませんが、他の作業もあり、なかなか手が回りません。
一日、力いっぱい働くと、次の日はなんとなく肩や手、指の節々などが痛くて、作業量はセーブしてしまいます。
そんな体力にはお構いなしに、懸案事項はあっちにもこっちにも山積みです。

私は、階段も橋も傷みが進んだので、全部取り外し、大々的に直す以外ないかなと思っていたのですが、夫は最小の修理でなんとかなると言います。窮地に陥ったとき、その解決法をなんとか見出すのがわりと好きな(平気な)タイプの夫、その方法に従ってみましょう。
地震以来二年余り、やっと重い腰をあげました。


梁の傷んだところは取り除き、他の材を足して、梁全体に銅板をかぶせました。
板金屋さんにお願いすると、確か1メートルが3,000円くらいじゃなかったでしょうか。自分でやれば、余っている銅板もあったので、手間だけです。


奥に見える梁は新設しました。以前は取り外し可能な橋を架け、はずすと軽トラックが通れるようになっていました。でも、いろいろ使えると言うのは、使ってみるとわりと不便、やはり固定した方が、すっきりします。
梁の上面はすっかり銅板で覆ってしまいました。防水テープくらい貼ることはあっても、銅板葺きの梁なんて、贅沢で、ちょっと見たことがありません。
途中、橋が切れているところは横切るところで、真ん中に踏み石をつくってあります。


傷んだ床板には、塗料(オンリーワンコート)を塗り直しました。白く見えているところは、重ねていたところに生えたカビです。自慢できるものではありませんが。


いよいよ、床板を貼っていきます。


これまで、75ミリのステンレス釘で留めていましたが、120ミリのステンレスのネギ釘に替えました。


120ミリともなると、インパクトドライバーもたじたじ、もっと強力な電動ドライバーを使います。


たちまちパワーアップですが、影響が出るのはビットの先、この一年、一つも欠いていなかったビットを、あっというまに二本も駄目にしました。
それにしても、一本のビット、錆び過ぎています。


一応橋の部分は完成です。
軽トラックはここを通らなくても、奥を回って入って来ることができます。


手前の階段部分は、もともと未完成でした。だからまだ、足りない部材を買ってきたり、切ったりしなくてはなりません。
完成までにはもう少しかかりそうです。


2013年5月2日木曜日

狐の馬乗り


あの、古賀人形の猿たちを手に入れたとき、ヤフーオークションで、馬乗り猿とセットになっていた、伏見人形の狐の馬乗りです。
日本の土人形のほとんどは、伏見人形の影響を受けています。伏見人形は、日本の土人形の原型のようなものです。

だけど、手の込んだ型と、描き込んだ彩色で、素朴な味に欠けるような気がして、個人的には伏見人形はそんなに好きではありません。
といっても、この狐は、色合いが嫌いではありません。


さて、我が家には、何度も地震に遭ってぼろぼろだけれど、愛着のある、狐乗り馬がいます。今はもう廃絶になっている名古屋土人形、野田末吉さんの作です。
名古屋の狐は裃姿の男狐でしたが、伏見の狐は振袖を着た女狐です。


となるとぴったり、二つ並べると、まるで狐の嫁入りのようじゃないですか。まさか、七五三のお母さんと坊やには見えませんよね。

倉敷の祖母を訪ねた道すがら、寄ってみた野田さんの家では、末吉さんが病の床につかれていました。そして、その後回復なさることもありませんでした。
「全部予約のもので、ごめんなさい。遠くから来たんだから見るだけ見て」
と言われて見せていただいた、お座敷の棚に並んだおびただしい数の、小さくてかわいい人形たち。帰ろうとしたら、
「これだったら、数があるから大丈夫。持ってって」
と、夫人から渡された狐乗り馬。

郷土玩具も、古いもの、希少なものというより、思い出が詰まっているものが、私は好きです。
だったら、ヤフーオークションなんて、やってんじゃないよね。



2013年5月1日水曜日

古賀人形は赤

学生時代に、窯元を訪ねて手に入れた長崎県の古賀人形、先にUPした時は、阿茶さん、猿、ふくろうしかいないと思っていました。


そしたら、いたっ。
別々なところに、 まず馬乗り猿を発見、猫棚で猫も発見しました。

実はあれから、おっとりした猿しか持っていないけれど、馬乗り猿と、鶏猿は出ていないかなとヤフーオークションをのぞいたことがありました。
「出ている!」
なんと、あっさり(運よく)見つかったのはしばらく前のことでした。


しかし、持っていたことを忘れていたなんて、ばかみたいでした。


新旧の馬乗り猿を並べてみると驚きます。
郷土玩具は、世代が変わると、作風が全く違ったものになったりしがちです。ところがどうでしょう、この猿たち、そっくりです。瓜二つです。

新しいものには定価票が貼ってあり、先代の製作者小川亨さん(18代)のお名前がありました。古いものは16代目の小川セイさん作だと思われますので、二つの間に40年ほどの開きがあり、おばあちゃんのつくったものと、孫(たぶん)のつくったものという関係です。


もっとも、赤色は色味は同じですが、原料はいつからか違うものにしたそうです。
見ている者としては、褪色する顔料も好きですが、作者としてはそうもいかないのでしょうか。

ちなみに、土人形がいつごろつくられたものかは、使われている赤色で判断します。


初めて手にした鶏抱き猿もなかなか迫力があります。
馬乗り猿は中国伝来の故事にちなみ、ばくろうのお守りとされていたそうです。では鶏猿はなんだったのでしょう?
それにしても赤が強烈です。