2018年11月8日木曜日

やられた!


昨日の朝起きたら、夜のうちにイノシシが来ていて、入り口の坂道の真ん中に植えてあるタマリュウが、半分以上、三分の二ほど掘り返されていました。


三分の一ほど残っていたのは不幸中の幸い、時間切れだったのでしょうか。
このままにしておくと出入りに困るし、タマリュウも乾いたり踏まれたりするので、植えなおしました。


植えなおしていたら、いるいる、イノシシの襲撃を運よく逃れたミミズや芋虫だけでなく、クワガタの幼虫までいました。
カメラが手元になかったので、クワガタの幼虫の写真はありません。


イノシシめ、仕事を増やしてくれて大迷惑ですが、何とか植えなおすことができました。


ここにも、夜の間は点灯するソーラーの照明を取りつけました。


そのおかげか、あるいは一度襲ったところには来ないのか、今朝は被害がありませんでした。






2018年11月7日水曜日

Sさんのコレクション


先日神戸に行ったときに見た、Sさんのスウェーデンの曲木の箱です。
これは、現代につくられたものです。


素材は白樺でしょうか?
なかなかの雰囲気、お弁当箱にぴったりです。
伝統的につくられてきたものを現代つくるとなると、作家さんはとかく自分の意匠を乗せて自己主張しがち、職人さんは装飾的になりがちで、素朴な良さが失われてしまうものですが、素敵にまとまっています。


左の箱は、蓋も底も、被せた板に丸みをつけてあるので、ゆらゆら動きます。


これは、中国の苗人(ミャオ、Hmong)の道具、荷物を背負うとき、これで籠の紐や風呂敷の端などいろいろ引っ掛けて、背負いやすくする道具だそうです。
Sさんが村を訪問した時、苗の人々は、手前の多面体も含めて、大がかりな鍛冶場ではなく、囲炉裏みたいなところで易々とつくっていたので、度肝を抜かれたそうです。
渦巻き模様は、苗の人たちの魔除けです。


なにげないラフィアのバオバブの木も素敵でした。
バナナの繊維でつくったバオバブの木はよく見ますが、ラフィアの木は見たことがありません。







2018年11月6日火曜日

平たいビン


益子に行ったら、いつも小道具と古本の内町工場に寄ってしまいます。
本が増えていて、嬉しい反面、全部チェックするのに手間がかかります。本は分野別に分けて置いているのもかかわらず、ざっとしか見られませんでした。


蓋がくっついて開かないビンを買いました。
開けることができるでしょうか?


蓋を温めれば開くかと逆さにして熱湯を張ってみると、あれ、油がにじみ出て、きついにおいがしてきました。良い兆候です。


お皿のお湯はすぐ冷めてしまうので、ビンを空き缶に入れ、ちょっと茹でました。


まだ温かいうちに取り出して、スクリュードライバーで2、3か所、軽く蓋をこじ開けて回したら、くっついていた蓋が取れました。
中に少し残っていたのは、靴クリーム、あるいはポマードでしょうか?軟膏の匂いじゃない気がします。
多少変色はしていましたが、元は透明だったらしい油は、ビンより蓋の方にこびりついていました。


ごしごし洗って油を取ったので、印刷がちょっと薄くなってしまいましたが、蓋の裏にはBEERと書いてあります。
ところで、日本で初めて缶ビールが発売されたのは1958年(昭和33年)のことです。それ以前はすべてビンビールでした。
昭和33年と言えば戦後から13年も経っていますが、当時でもまだ空き缶を商品の蓋として再利用するほど、金属は不足していたのでしょうか?


と、ここまで書いて、日本で初めて発売されたアサヒビールの缶の広告を見つけました。缶は、ビンの蓋の裏のプリントとは全く違うデザインだし、日本のビールだったらBEERと大きくは書かないでしょう。

これで納得、蓋は輸入の缶ビールの空き缶を利用してつくったものに違いありません。戦前の可能性もありますが、戦後駐留したアメリカ兵の飲んだ空き缶利用かもしれません。
ちなみに、世界で初めての缶入りビールは1935年(昭和10年)に、アメリカのアメリカン・キャン社が商品化しています。


靴クリームだったら、靴磨きの人たちが使っていた可能性もあります。昭和30年代までは、山手線のどの駅近くにも靴磨きの人たちが座っていて、十代の私だって磨いてもらったことがあるくらい、当たり前の光景でした。
300円のビンの蓋から歴史が見える、楽しんでしまいました。






2018年11月5日月曜日

益子陶器市


秋晴れの一日、益子の秋の陶器市に行ってきました。
いつもはこの通りも閑散として(失礼!)いますが、陶器市の時はあふれんばかりの人、人です。


くみさんが今年からカレーをやめてしまったので、どこで食べようかと迷っていたら、なんと白兵衛さんのお蕎麦屋を見つけてしまいました。
白兵衛さんは孤軍奮闘、ご自分の作品の前でそば粉に水を打ち、混ぜてこねます。
蕎麦が打ちあがるのを待っている間に小耳にはさんだのは、やはりお蕎麦を待っていた女性が、東京から観光バスで来て、到着後は5時間の自由時間を過ごし、そしてまたバスで帰るツアーの参加者ということでした。
5時間あればたっぷり楽しめますが、それでも隅から隅までのぞくのは無理でしょう。それほどたくさんの店が、路地という路地、空き地という空き地にびっしり出ています。


それにしても、白兵衛さんは何者?
陶芸家の顔と大工さんの顔は知っているけれど、土練りで鍛えた腕で、わしわしと蕎麦粉を練り、あっというまに力強いお蕎麦をつくりました。呼び込みの人も含めて4人体制でしたが、他の人は給仕(死語?)したり、洗いものをするだけ、お蕎麦を茹でるのも白兵衛さんでした。
もちろん、場所を借りての陶器市限定のお蕎麦屋さんです。


6人座れるカウンターも、お皿、蕎麦猪口、蕎麦湯入れ、箸置きもすべて白兵衛さんの手づくり、もしかしたら、竹のせいろも薬味入れ(緑がきれいだった薬味はもう、蕎麦猪口の中)も手づくりかもしれません。
打ちたて、茹でたてのお蕎麦は美味でした。


さて、今回の目当ては、kuskusさんの動物貯金箱シリーズのオオカミくんを手に入れることでした。

kuskusさんのブログより

動物貯金箱には、ワニ、ヤギ、鶏、カバなどなどいろいろいますが、歯を見せているのはオオカミくんだけです。


kuskusブルーの服を着たオオカミくん、性格は良さそうです。


貯金箱は写真で見る感じより大きいもので、これいっぱいに500円玉を貯金したら、アフリカ旅行ができるほどの大きさです。


さて、O.Eさんの店をのぞいての帰り道、海老を飾っている店を見つけました。
その昔、kuskusさんからもらった、お正月飾りにつける土の海老です。思わずお店の女性に、
「これ、あなたのお父さんがつくられたのですか?」
と、訊いてしまいました。
「そうです」


kuskusさんからもらったのと同じサイズの海老を買ったつもりだったのに、帰って比べてみたら、私の買ったのはずっと小さいものでした。


もっと買えばよかったかなぁ、春の陶器市で、また出逢うことができるでしょうか?








2018年11月4日日曜日

「八郷村のあるめおと」

今年は飛行機で行った神戸、茨城空港からは早朝の便と夜の便の二便しかないので早朝の便に乗り、約束の時間より早く着きました。


事前に、目的地の神戸芸術工科大学の近くの太山寺に行ってみようと決めていたので、地下鉄やバスを乗り継いで行ってみました。
河原で持っていったお弁当を食べて、太山寺の境内をちらっと散策しましたが、まだ時間があったので、門前にあった温泉に入り、無料のマッサージまでしてもらって、私たちはすっかりくつろいでいました。
そこで、はたと気づきました。
「今晩は温泉で食事して泊まると言っていたけど、もしかしたらここじゃないか?ホテルがあるし、学校から近いと言っていたし」
その翌日、夫が学校で講義することになっています。
「えっ、そうかな?まさかね」

さて、約束の時間に学校を訪ね、Sさんにお会いしました。
「今日は、急な会議が入ってしまって、ご案内できなくて申し訳ありませんでした?どこかへ行かれましたか?」
夫と私は顔を見合わせました。
「太山寺に行ったけれど、もしかして今晩行くとこ?」
驚いたのはSさんでした。
「えぇぇっ!そうですよ。なんともう行かれたんですか。どうしてまた太山寺に?」
神戸と言えば名所はどこ?おしゃれなカフェとかもあったのでしょうか?
私たちは、関西出身の友だちがネットで選んでくれた、「学園都市駅」周辺の観光スポットの中から、「ここだったらのんびりできそう」と選んだだけでした。
行ってみると、平安時代に開けたという太山寺周辺には古い民家もあり、何といっても温泉は時間をつぶすのに最上のものでした。
「太山寺の本堂に入りました?」
「入ってない」
「阿弥陀堂は?」
「見てない」
境内に入れていただいたとはいえ、夫は五重塔のわきのベンチに寝っ転がっていただけだし、私はドングリを拾っただけでした。

私たちは、S夫人をピックアップして、もう一度太山寺に行きました。
「まだ開いているかなぁ?」
車を降りて、Sさんが心配顔で見上げた石垣の上では、おりしもご住職が扉を閉めようとなさっていたところでした。
「間に合った!」
Sさんはさびれていたお寺の整備にかかわられたので、ご住職とはごじっこんですが、ご住職のお住まいまで訪ねて開けていただくわけにはいきませんでした。


まず、阿弥陀堂に入り、重要文化財の阿弥陀如来を拝観させていただきました。


鎌倉時代の寄せ木造りで、とてもいいお顔をされていました。
阿弥陀堂はやはり鎌倉時代につくられたものでしたが、火事で焼けて、江戸時代に再建されたそうです。
「お寺が全焼したのに、阿弥陀様は無事だったんですか?」
「はい、不思議ですけれど、運び出されたのでしょうね」


阿弥陀堂は、東南の方向に向いています。
Sさんのお話では、朝日が石畳に反射したときに、お堂の中の阿弥陀様を照らし出すのだそうです。


もう閉めてあった国宝の本堂にも入れていただきました。


しかも、普段は格子戸越しにしか拝観できない、やはり鎌倉時代に彫られた四天王も間近で拝観させていただきました。ご住職がライトで照らしてくださっています。


クスノキの一刀彫、木は太く、彫りは見事でした。
もし、昼間の訪問だけだったら、私たちは高校のとき古文で習った徒然草の、「仁和寺のある法師」になってしまうところでした。

ちなみに「仁和寺のある法師」は、一念発起して石清水八幡宮に参拝した仁和寺のある法師が、入り口あたりの僧坊しか見ないで帰ってしまったのに、全部見たつもりでありがたがっているというお話で、
「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」
と言うのがその教訓です。







2018年11月3日土曜日

逆子

「Y子、逆子だって」
しばらく前、長男が言いました。
「そう、Y子もか。あっちょのときは、Kさんに治してもらったけど、そうする?」
「まだ時間があるみたいだから、もうちょっと様子を見る」
Y子は、逆子が自動的にひっくり返る時期をちょっとすぎていました。


次男夫婦は東京大学のそばに住んでいることから、9年前にはなちゃんを産んだ時は、東大病院で診てもらっていました。しかし、天下の東大病院をもってしても、どうしても逆子が治らず、帝王切開することになっていました。
「整体師のKさんに訊いてみようか?逆子の治療はやったことないけど、治せるとは言っていたよ」
「やってもらいたい」
ということになり、Kさんに訊くと、
「やってみる」
との返事でした。

その昔、元同僚のMさんの逆子が、お灸で治りました。
足の小指のそばにお灸をしたら、赤ちゃんがくるっと回ったというのです。その不思議な話を、Kさんにしたことがありました。
そのとき、
「やったことないけれど、原理はわかるから、おれにもできるだろうね」
と言っていたのを、私は覚えていたのです。
そのとき、あっちょはたった1時間の治療で、あっさりと逆子が治りました。

Kさんは、温熱機というものを使って治療します。
例えば、私が筋肉を使い過ぎて肩と腕が痛すぎるので診てもらったとしたら、痛い筋肉を直接ほぐしてくれるというより、温熱機で肝臓や腎臓を温めて身体全体の血流をよくし、結果、肩や腕も楽にしてくれるという方法です。


さて、もう少し様子を見ると言っていた長男から、Kさんに治療してもらいたいという連絡があったのは間もなくでした。
妊娠21週目のY子がやってきて、Kさんに治療してもらいました。
治療後、迎えに行くと、
「けっこう骨盤が硬くて開きにくかったね。逆子は今日はひっくり返らなかったけど、体操を教えたから。体操していると、たぶん大丈夫じゃないかな」
と、Kさんが言いました。
あっちょのように一度で解決することばかりとは思ってはいなかったものの、私はちょっとだけ不安でした。
「もっとやってもらった方がいいかな?」
「まぁ、その方が確実だろうけどね」
と、万全を期して、2週間後にもう一度治療してもらうことになりました。

ところが、二度目の治療を待たず、10日後に連絡が入りました。
Y子が体操していたら、赤ちゃんが動いた感じがあったので、病院に行って確かめてもらったら、逆子が治っていたというのです。
そして、Y子は私と違って、治療を受けた感じで治るだろうと信じていたので、そう驚かなかったということでした。


Kさんすごい!万歳です。
なんと、孫が二人とも逆子で、その母親たちは二人ともKさんのおかげで帝王切開しないで済みました。





2018年11月1日木曜日

自家用お稲荷さん

整体師Kさんのところで、治療していただいている人を、外で待っていたことがありました。


確か、Kさんのお隣りの家には、お稲荷さんがあったはずです。


塀もないので勝手に入ってみると、ありました。
自家用お稲荷さんです。


磁器の狐たちに交じって、素焼きの狐が一体いました。
どこの狐でしょう?
今戸?それとも別のところ?
興味津々でした。