2018年11月15日木曜日

缶ビール雑感

小さなビンの蓋が、缶ビールの空き缶利用だったことから、缶ビールについてちょっとだけ、調べてみました。


1935年(昭和10年)にアメリカで、世界初のスチール缶ビールが発売されました。最初は筒型ではなく、コーントップと呼ばれる、王冠を用いた形でした。
これは不評で、全く普及しませんでした。


同じく1935年、Gottfried Krueger Companyは、缶製造業者と提携して、Krueger's Finest Beerをつくり、愛飲家に試飲してもらって、「売れる」と確信してから量産に入っています。
American Can Companyは、禁酒法が廃止された1909年にもう缶ビールを試作していて、1933年には2年間の研究を経て、発泡したビールがスズと化学反応するのを防ぐ塗装に成功し、缶ビールの商品化にこぎつけています。
クルーガーは、アメリカ(=世界)で缶ビールを販売する最初の業者となりましたが、その反応は熱狂的で、3か月以内に卸売業者の80%以上がクルーガーの缶ビールを取り扱い、世界的なビール会社三社を脅かすまでになりましたが、すぐに競合者たちが追いつきました。
缶ビールは、1935年に初めて発売されたというのに、その年末までには2億本以上生産され、販売されました。

缶はビンとは異なり、消費者がデポジットを支払う必要がありません。
また、缶は積み重ねやすく、耐久性があり、冷やす時間が短くて済みます。そのため、人気は1930年代を通じて増加し続け、第二次世界大戦中にその人気が爆発しました。
大戦中、アメリカの醸造会社は、数百万本の缶ビールを、海外の兵に向かって出荷しました。


さて日本では、戦後の1958年にアサヒビールが日本初の缶ビールを発売しました。


ついで、1959年にサッポロビールも発売しました。これらは、缶切りで二か所に穴を開けて飲む形式の缶でした。
当時はまだ、ビール生産量の55%が家庭外で飲まれている時代、しかもおもに暑い夏場だけ飲まれていたし、酒屋さんは配達してくれるしで、缶ビールの需要を感じる雰囲気は皆無でした。
缶ビールは、ビンビールと比べて品質に遜色はなかったものの、缶の臭いがするとか、ビンビールより風味が劣ると言われ、売れ行きははかばかしくありませんでした。また、味ばかりではなく、取扱いに不馴れなため、缶切りで開けるときに噴き出してしまうこともあって、日本ではなかなか普及しませんでした。


キリンビールに関しては、社の歴史を調べても記載が見つかりませんでした。ということは、アサヒやサッポロと、そう間は置かなかったものの、缶ビールに関しては出遅れたのかもしれません。


プルタブつきのスチール缶ビール(蓋部分だけアルミ)が売り出されたのは、1965年(昭和40年)だったらしいのですが、当時、巷で缶ビールを見かけることはまずありませんでした。
当時はコカ・コーラなど清涼飲料水も、ビンで買い、ビンを返却するのが主流でした。
ビール缶が全部がアルミになったのは1972年ですが、誰もが缶ビールになじんできたのはもっとあと、1990年代に入ってからだと思われます。
巷に缶ビールがあふれてからも、再利用を繰り返すことができるビンを離れて缶ビールを買うには、大きな罪悪感が伴い、ビンビールにこだわった人もたくさんいました。


そんな、ビンから缶への敷居を、まず低くしたのは小さな缶ではなく、2リットルのアルミ缶ではなかったかと思います。
樽の形を真似たものもあり、大勢集まるとき、それをどんと置いて飲み合うことで、雰囲気は一気に盛り上がり、好まれました。

今では、ジュース類は、ほぼペットボトルになってしまいました。
ペットボトルのビールもすでにありますが、そう普及していません。でもジュースなどの流れからして、すべてペットボトルビールになる日もそう遠くないのかもしれません。


ちなみに、かつてのペンギンビールは、プラスティック製でした。
そして、右端の小さなビールは、我が家に唯一ある、スチール缶ビールの空き缶です。

追伸:


昭ちゃんが戦後すぐ米軍の基地で見たと言っている、レッドフォックスの缶ビールの写真を、ヤフーオークションで見つけました。
あまりの可愛さに落札したいところですが、開始価格が15,000円、見るだけでした。







2018年11月14日水曜日

招福猫


歌川国芳のフィギュアと出逢うきっかけになった、海洋堂のカプセルQシリーズ、佐藤邦雄さんの「招福猫2」です。
これも、海洋堂の原型制作は村田明玄さんになっているので、絵から立体に起こされたもののようです。


この二つ、形はほぼ同じ、表情だけが違います。


身体は同じですが、目だけでなく、口元も違います。


この猫シリーズで不思議なのは、耳の間に小さな角があること、一つだけ見たときは、鋳込んだ時のバリの取り忘れかと思いましたが、トラねこの場合、ご丁寧に色つけまでしてあります。
原画は見たことがないので、一体何なのか、不明です。


座布団で隠れてしまいますが、見えないところ、足の肉球が描かれています。









2018年11月13日火曜日

歌川国芳のフィギュア

ネットで佐藤邦雄さんの猫のフィギュアを探していて、その猫にも出逢ったのですが、「絶世の浮世絵師 歌川国芳が描いたネコたち」という別の猫も見つけてしまいました。


ガチャガチャの前で、いい年をした大人がおずおずと、しかし全種類集まるまでひたすらレバーを回すという楽しみはありませんが、全種類が一度に揃うわけですから、ネットで大人買いは、手軽と言えば手軽です。


踊る猫又。


猫松山。


歌川国芳の絵(平面)が、見事に立体化されています。
海洋堂の杉田明玄さんが型を起こされたもの、そして制作はもちろん中国の方です。


猫久兵衛。
今も、一つ一つ手で色を塗られているのでしょうか?ぼかしの着物など、細部まで手抜きされていません。


鼠よけの猫。
ど迫力です。


そして、猫も食わぬ。
全部一緒にして掌に乗る小さな猫たち、髭まですべて立体化されているのに、驚いてしまいます。








2018年11月12日月曜日

ちくわぶ


私、恥ずかしながら「ちくわぶ」と言うものが好きです。
スーパーマーケットや野菜の直売所で見かけると、つい、おでんをつくりたくなってしまいます。


ちくわぶと初めて出逢ったのは、母がつくったおでんを食べた、中学生のときでした。
それまで、祖父母と倉敷に住んでいて、祖母はおでんをつくらないので、おでんは食べたことがありませんでした。しかも、ちくわぶは、東京限定(?)の食べ物でした。
母も、もともとは岡山県出身ですから、東京生活が長かったとはいえ、なぜちくわぶの入ったおでんをつくっていたのか、ちょっと不思議です。


近年は、テレビのおかげでちくわぶも全国的に知られるようになり、全国チェーンのスーパーマーケットでは、真空パックのものが各地で売られているそうです。
でも、しばらく前までは、地域のものは地域でしか食べられませんでした。


ちくわぶは小麦粉でつくるものですから、すいとんのように、あるいは群馬のおっきりこみのように、東京地方の米の代用食だったのかもしれません。

これまでに、ちくわぶが好きという人に出会ったことがありません。もちろん、夫も息子たちも、全然関心を示しません。
紀文の家庭の鍋料理調査の、「好きなおでんベスト10全国版」では、大根、たまご、ちくわ、こんにゃく、はんぺん、厚揚げ、さつま揚げ、餅入り巾着、ごぼう巻、じゃがいもの順で好まれているそうです。ちくわぶは知られてもいないのかもしれません。
おでんをつくると、つい、ちくわぶに手が伸びてしまいますが、考えてみれば、変な名前です。

ちなみに、八郷のスーパーマーケットや直売所で売られているちくわぶは、東京の会社のつくったものですが、つくばのスーパーマーケットでは、水戸の会社のちくわぶを売っていました。東京以外でもつくられているようです。






2018年11月11日日曜日

アメリカ的道具

 

いつも車に入れている、息子がくれたスコップを先日使うことがありました。


ある場所で土壌検査のための土を掘ったのです。
スコップ、かっこいいです。


U-DIG-ITと、名前もかっこいい!


いかにもアメリカ製、骨太です。
ただ、折り畳みできる携帯用なのに、カバンに入れたりするのは重いのが欠点です。もっとも、カバンに入れるのではなく、腰のベルトにケースを装着するものです。

LEATHERMAN

我が家で日常的に使っているアメリカ製の道具と言えば、台所道具や塵取りなどですが、あまり使ってこなかったものに、万能工具があります。


その昔、よく持ち歩いてはいましたが、こちらも、バッグに入れておく(腰にも装着できる)には重いのが欠点、しかも工具が必要な時は、さっとスイス製のアーミーナイフを取り出す人が周りに多くて、結局使わずじまいだった気がします。


万能工具はともかく、これからスコップは役に立つでしょうか?
我が家で日常的に使うには、革のケースも美しいし、ちょっともったいない気がします。





2018年11月10日土曜日

鞴祭(ふいごまつり)

友だちに誘われて、母校の鞴祭(ふいごまつり)に行ってきました。
母校の門をくぐるのは28年ぶりかと思いましたが、帰りにキャンパスにそびえるムクロジの木を見て、なんだ、7年前にムクロジの実を拾いに来たじゃないかと、思い出しました。

神職の祝詞が終わって、玉串奉納中

鞴祭は、毎年11月8日(もとは旧暦)に、開催されます。
かつては、鞴を使う鍛冶屋、刀工、鋳物師(いもじ)などが、仕事を休んで金山彦神、金山姫神、お稲荷さまなどに詣でて、安全を祈願したものでした。

大学の鞴祭は、鍛金、彫金の部屋でも行われていましたが、直行したのは鋳金の工場(こうば、鋳型をつくったり鋳込んだりする作業場教室)でした。
鋳物とは、鉄、真鍮、ブロンズ、アルミニウムなどの金属を、坩堝(るつぼ)で溶解して、それを型に流し込んでつくる製法で、鞴は、金属を溶かすときの必需品です。
私が在学していたころの工場はもっと手狭で、鞴祭は先生と学生など内輪だけ、甘辛両刀遣いの上級生の男性がいて、彼がお汁粉を大鍋いっぱいにつくってそれを肴にお酒を酌み交わし、しこしこと行っていました。2003年に今の、大きい工場をつくってから盛大なものになったようで、卒業生、在校生などで部屋はあふれかえっていました。
んっ?工場の片隅に、ピッツァを焼く、石窯までありました。
母校での鋳金の歴史は、130年になろうとしているそうです。かつては工場は女人禁制でしたが、1960年代から女子学生も登場、今では7割が女子学生とか、若い男性は見渡しても少なめでした。
時代は変わるものです。



現代では、機械で送風しますが、しめ縄の奥の、「鞴神」と書かれた紙を貼ってある、大小の木の箱が、かつての鞴です。いつ頃まで使われていたのでしょう?

鞴祭で、図らずも恩師の息子さん(鋳金作家)と再会しました。


これは、我が家にある唯一の、西大由先生(1923-2013)の作品です。
「こんなものをおれの作品と言うな」
と、草葉の陰の先生からお叱りを受けるような、先生が渾身の力を込めてつくられたものとは違う、遊び心でつくられたものですが、私的には好きなものです。
丸の歪み方にさえ、「西先生らしさ」がにじみ出ています。


これは、日本に初めてコアラが来たとき、それを記念して多摩動物公園がつくったものです。
多摩動物公園の裏門近くにあった我が家に、何度か立ち寄られた西先生から、幼かった息子たちへといただいたものですが、桐の箱に入っていましたから、コアラ歓迎の式典で、関係者に配られたものだったのでしょう。

なぜ、多摩動物公園の記念メダル作成に西先生がかかわられたか、それは「カバ園長」として有名だった、東武動物公園の初代園長の西山登志雄さん(1929-2006)と西先生が、親友だったからです。西先生は学生時代に、学校の隣の上野動物園でアルバイトをされていて、そこで飼育員だった西山さんと出会われています。

と、ここまで書いて疑問発見、多摩動物公園の隣にあった家に、私たち家族が住んでいたのは1970年代、79年までですが、このメダルには1984年と書いてあります。
1980年代になってからも、お正月には何度も西先生のお宅にうかがいましたが、お正月の集まりはいつも大勢で、お酒も入り、わいわいしたもので、とてもその席でこれをいただいたとは考えられません。

もしかしたら、コアラの食べ物であるユーカリの木を植えて育てる試みなどどともに、式典で配られる記念メダルも、受け入れの準備として、1970年代にすでに「試作」されていたのかもしれません。
ヤフーオークションの「#多摩動物公園」で検索すると、画像は出てきませんでしたが、「西大由作 鋳金【1984年多摩動物公園 コアラ来園記念記念メダル」という文字がありました。ということは、この記念メダルは試作で終わったのではなく、実際につくられたと考えられます。



ちなみに、動物公園で市販されているメダルはこちら、えらい大違いです。







2018年11月9日金曜日

旅する籠

犬がいたころ、留守番できない犬を連れての遠出は、いつも車でした。
そのため、荷物はばんばん車に乗せて、気にしないで出かけましたが、犬がいなくなり、車抜きで出かけるとなると、荷物はできるだけ軽くしなくてはなりません。


というわけで、神戸に行ったときは、フィリピンの籠を持っていきました。
デイパックを背負うことも考えましたが、旅先での使いやすさは、箱形の籠の方に軍配が挙がります。


ラタンではなくて、竹製です。
持ち手は木、内側は平らで外側はふっくら、外側には簡単な模様が彫ってあります。


留め具は皮とイノシシの牙、持ち手や留め具を綴ってあるのはラタンです。


四角い籠は角が傷みやすいものですが、太めの竹を二重に回して補強してあるせいか、よく使いましたが、あまり傷んでいません。

元同僚のIさんは、素材がラタンだったか竹だったかは忘れましたが、編み方の全く違う、でも同じくらいの大きさの箱形の籠を持っていました。
「あれっ、今日は出張なの?」
「そう」
と、やはり一泊どまりくらいの旅に、Iさんもよくその籠を使っていました。
Iさんの籠はタイ製でもラオス製でもなさそうだった、やはりフィリピン製だったのでしょうか?
訊いたこともあったと思いますが、昔のことで忘れてしまっています。


蓋も身も同じくらいの深さなので、見た目よりものが入り、軽いのが何よりです。


西洋のアタッシュケースを真似た形ですが、実際にフィリピンでよく使われていた形なのか、あるいは外国人向けにつくられたものかはわかりません。

ただ、イノシシが獲れるところでつくられたことは確かです。