2023年9月8日金曜日

針と糸通し

外は雨、先日骨董市で50円で買ってきた手ぬぐいの端をまつることにしました。


私は手ぬぐいの端は、始末して使うのが好きなのです。


縫い針に、そのままで糸を通そうとしたけれど通りません。仕方ない、糸通し(スレダー)を使おうと針箱を開けると、糸通しは2つ入っていました。
糸通しを買ったことはないけれど、針のセットを買うと必ずのようについてきます。最初に手にした時から通算するともっとあったはずですが、ループになっている細い針金が壊れたりして、たまっていくほどのものではありません。


糸通しは横顔が似ていたので、同じものかと思って見ると、片方はKAIと書いてあり、片方は、〇針(通針、縫針?読めません)と書いてあります。
糸通しがどこでつくられているものか、これまで考えてもみませんでしたが、いくら売れても利益は薄いもの、日本製なのでしょうか?


チェコ製の縫い針セットの中にも、同じ形の糸通しが入っています。
そもそも、縫い針はどこでつくられているのかとネット検索していたら、広島の縫い針メーカーの萬国製針株式会社が見つかり、「針の歴史」というページに面白いことが書いてありました。

世界一古い針は、ロシアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟(カザフスタンに近い場所)で発見されました。針の長さは7.6センチで、鳥の骨からつくられていて、針穴も開いており、放射性炭素年代測定によって、5万年前につくられたことが判明しました。この針はシベリアで、毛皮を縫って衣服をつくるのに使っていたと思われ、形状は現在の針と全く同じだそうです。
10世紀ごろにはヨーロッパで針金が発明され、鉄片を打ってつくるのではなく、針金を切断して針がつくられるようになりました。
また、現在のような鋼製の針は中国で生まれ、ヨーロッパにはイスラム諸国を通じて伝わり、日本には朝鮮を通じて伝わりました。

日本では、長野県の栃原岩陰遺跡から、約1万年前の縄文時代早期の鹿角製の針が発見されました。細い骨を削って鋭くとがらせ、石器で小さな穴を開けた針で、その針を使い、動物の腱をなめして糸にし、毛皮を縫い合わせて衣服をつくっていました。

正倉院の宝物殿には、銀の針が3本、銅の針が1本、鉄の針が3本の計7本が展示してあります。正倉院の宝物のほとんどは奈良時代(710-794年)のものですが、7本の針は外国からのものか日本でつくられたものか、判明していません。
平安時代には、兵庫県播磨の針が京都で名産品として売られるようになりました。また室町時代には京都でも針がつくられるようになり、このころから大量に生産されるようになりました。


江戸時代末期、国内の主な生産地は京都、浜坂(兵庫県)、大阪、氷見(富山県)、広島でした。


明治時代に入ってからも、針つくりは昔の手工業のままでしたが、洋服が広まりはじめると、ヨーロッパから輸入されたメリケン針が洋服の仕立てに使われるようになりました。和針は穴が丸いのですが、輸入針は穴が細長く開けられています。
1893年(明治26年)には京都で「日本製針株式会社」が設立され、ドイツから先頭機、鑽孔機(さんこうき)などを輸入して、日本で初の縫い針の機械化がはじまりました。

萬国製針株式会社のある広島の針の歴史は、江戸初期に広島藩主浅野候が長崎から針職人を連れてきたことからはじまり、下級武士が生活の糧として針つくりを習得したことから盛んになりました。背景に、中国山地でたたら製鉄が盛んだったことから、鉄が容易に手に入ったことがあります。
広島での針の工業生産は、1896年(明治29年)に京都伏見の鉄工所からドイツ製の製針機械の一部を広島に持ち帰ったのがはじまりで、1900年(明治33年)にはさらにドイツの機械を購入し、手工業製針から電力を利用した動力式機械製針へと移行しました。
当時、メリケン針(穴が長細い)はヨーロッパ製のものでしたが、1906年(明治39年)に、日本で初めてのメリケン針の生産がはじまりました。

さて、糸通し器の歴史は、「TEXTILE RESEARCH CENTRE」によると、一枚の薄い板に細い針金の輪がついている、このシンプルな形のものではありませんでしたが、1830年代に、Joseph Rodgers and Sons of Sheffieldという会社(イギリス)でつくられていたそうです。


そして、日本の手芸用品の最大手の「クロバー」によると、アルミの板でつくられたクロバー製の糸通しの存在が確認できるのは1964年で、刊行された冊子「クロバーニュース9月号」に記載されています。
また、それ以前にクロバー製の糸通しがあったかどうかはわからないそうです。
クロバーは、その前身の岡田慶七商店の創業が1925年(大正14年)、会社設立は1947年(昭和22年)と、針製造に関しては新興会社です。

また同じく、洋裁用具の「KAWAGUCHI」(1953年創業)によると、このタイプの糸通しは戦前から存在しており、当時はドイツやイギリスから輸入していて、その当時からすでに誰ともわからない人物が型押しされていたそうです。







4 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

こんにちは。
髪の毛を使って針に糸を通せる事を最近になって知りました。
手持ちの糸通しが壊れてしまってからボタン付けなどの時に困っていたのですが、無くても大丈夫みたいです。

さんのコメント...

かねぽんさん
髪の毛の端を通して、その反対の端も通してループにして、そこに糸を通して引っ張るというものですね。
やったことはありませんが、とっても楽に通りそうですね。
ただ、裁縫箱に糸通しがいつもあったので、いつかないところで試してみたいと思います。
昔は、裁縫道具はバッグに必ず入れていましたが、最近は携帯用裁縫道具も持っていません。ほぼ家にいるので(笑)。

rei さんのコメント...

糸通しの来歴など考えた事もありませんでしたが、よくもこんな細い針金が作れるものだと感心したことがありました。横顔はコインを模したのでしょうか。

針と言うと、鳥が巣作りをする時に、くちばしをうまく使いながら細い葉を縫う姿を思い浮かべます。

髪の毛を使った糸通し、試してみます。

さんのコメント...

reiさん
確かにあの針金、細いですよね。細いだけでなく形が崩れないのにも感心していました。細くてもピアノ線というのかしら?
横顔は誰でもないし、男か女か諸説あるようです。コインを模したのかもしれませんね。
昔から、針は穴に感心していました。工業化社会になってからはどうとでもできそうですが、昔はどうしていたのかと?
今回、何気なく調べたら穴を開ける絵が見つかってよかったです。偽の情報もありますが、ネットで検索できるのは嬉しいことです。二昔前だったら、エンサイクロペディアを何冊もひっくり返さなくてはなりませんでした。