2024年12月26日木曜日

西瓜糖


西瓜糖のビンです。
西瓜糖の名前は知りませんでしたが、スイカを煮詰めた梅肉エキスのようなものなのでしょうか(?) 


反対側には「万惣」のエンボスがあります。
家庭染料のビンには背景が不明なものが多いのですが、西瓜糖には確かな情報がありました。


ブログ『土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)』によると、西瓜糖は1846年(弘化3年)に創業された青物・水菓子問屋の「万惣」が明治になってから売り出したヒット商品で、万惣は初代(青木彦兵衛(万彦))と二代目(青木惣太郎)の卓越したアイデア商法で幕末から明治へと開化の世を生き残り、大正時代にはフルーツパーラーを開店、昭和を生き抜きましたが、2011年に、本社ビルのあった中央通りと靖国通りが「東京における緊急輸送道路沿道建築物の耐震化を推進する条例」の指定道路となり、ビルは耐震構造の基準を満たしておらず、建て替え資金もないため廃業しました。
正岡子規の門人の岡麓が書いた『正岡子規』の中に神田の「万惣」が出てくるし、古典落語の『千両蜜柑』のモデルになったのも万惣でした

上の写真はブログ『拾うたんじゃけえ!』からお借りしました。
ビンの口が違っていて、スイカの絵のある方のエンボスには、横書きで「東京」、「西瓜糖」とあり、縦書きで「万惣」とあります。また、反対側には「薬品部」とあります。西瓜糖は今で言う、医薬部外品かサプリのような位置づけで売っていたのでしょうか。




また、ブログ『50s60s70s』では、やはりボトルディギングで拾われた、口が大きくなってからの西瓜糖のビンが紹介されています。
スイカの絵のある方のエンボスには、横書きで「元祖」、「万惣」とあり、縦書きで「西瓜糖」とあり、反対側には「果物問屋」とあります。
右からの横書き、戦前のビンと思われますが、「水菓子」が「果物」と呼ばれるようになったのは、江戸時代のことだそうです。


ブログ『紺珠記』には面白い写真が載っていました。
東京にある豊川稲荷東京別院の石塀の写真で、寄贈した人や会社の名前が刻まれていますが、その中に万惣の寄進した石もありました。
西瓜糖の元祖「万惣」はすでにありませんが、スイカの産地の熊本や山形で西瓜糖は今もつくられています。なめてみたい気もしますが、1ビンでスイカが2つほど買えるお値段、生のスイカの方がいいやと思ってしまいます。









 

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