我が家の近くでは、月に二度骨董市が開かれています。
1月は東京にコロナの緊急事態宣言が出たので中止、2月は再開されたのを私が知らなかったので行かず、3月はずっと週末のお天気が悪くて中止という具合で、4月第1週になって、今年初めて足を運びました。
でもその日は、東京の大きな骨董市と重なったため出店数が少なく、閑散としていたし、用もあったので早々においとま、今日が私にとっては初めての骨董市のようなものでした。
おもちゃ骨董さわださんの店をのぞくと、待ってましたとばかり犬の
ミルキーの話になりました。下半身不随のミルキーは、糖尿病の合併症で眼を病んで、どう治療するか、眼球を摘出するか、この2か月は病院通いの辛い日々が続いたのだそうです。辛抱強い犬が痛がって鳴いた、もっと早く気づいてやればよかったとさわださん、嘆くことしきりです。
ミルキーは、3歳で椎間板ヘルニアを患い、おしっこもうんちも自分でできなくなりました。以後10年、さわださんは日に何度も強制排泄を手伝ってきました。おしっこは絞り切れないので腎臓を悪くする犬が多い中、さわださんはお医者さんも感心するほどよくお世話していたのに、運動不足から糖尿病になり、目も悪くしてしまいました。
でも、こんなに世話をしてくれる人なんていないよ、ミルキー。犬みょうりに尽きます。うちの近所の自称動物好きのおじさんなんて、犬が交通事故にあって骨折したら、あっさり安楽死させてしまいました。
さて、そんなさわださんの話を聞きながら、目の端は2体のマトリョーシカを、ちらちらととらえていました。キーロフの
ライムギを貼ったマトリョーシカと、セルギエフパサードのマトリョーシカが並べて置いてありました。
キーロフのマトリョーシカの麦わら細工は、遠目にも相当手が込んでいます。ミルキーの話が一段落したのを見計らって、マトリョーシカを見せてもらいました。
サラファンの飾りだけでなく、プラトーク(スカーフ)の房飾り、袖の刺繍など、これでもかと麦わらが貼ってあります。
さわださんは、ちょっときつめのマトリョーシカを開けながら、
「たくさん入っていたよ。ほらこんなに」
「まだまだよ。切り込みがあるじゃない」
「えっ、もっと?」
全部開けてみると、最後の一番小さい娘が失われているだけでした。
後姿、とくに赤は退色していなくて、とてもきれいです。
世間の常だと、何ごともシンプルなものが、職人さんの手が上がるにつれてだんだん複雑化し、やがて効率化を求めて手抜きしていき、ものの持つ力が失われてきます。焼き物しかり、建物しかり。それに当てはめると、これは1970年代につくられたものではないかと思われます。
「小さいのは?」
「あぁ、こっちは、中が空っぽ。おまけにつけるよ。こっちの方が古そうだね」
というわけで、底のスタンプがUSSRだけ読める、セルギエフパサードのマトリョーシカはいただいてきました。
確かに、
『マトリョーシカ ノート3』を参照すると、1960年代に入るともっと垢抜けしてきます。1950年代のものかもしれません。
「そう言えば、千葉でマトリョーシカをいっぱい集めていた人がいたなぁ。なんていったかなぁ?」
「えぇぇ、さわださん千葉でもお店を出しているの?」
マトリョーシカを集めていた人といえば、
道上克さんが思い浮かびましたが、私もとっさで度忘れしてお名前が出てこない、
「年配の男の人でしょう?」
「そうそう、前はこけしを集めていたんだけど、マトリョーシカに替えて」
「間違いない。あの人だわ」
なんてお名前だったかなぁと考えながら、会場をグルっと一回りしたら、道上さんのお名前を思い出したのでさわださんの店に行き、確認しました。
それにしても、道上さんが骨董市を廻っていらっしゃったとき、さわださんとも馴染みだったなんて、世間は狭いものだと思いました。今はどうしていらっしゃるのでしょう?多分世界中のネットオークションで掘り出しものを探していて、骨董市には出かけてはいらっしゃらないのではないかと思います。
さて、まことさんともお話しました。
「今日はにぎやかでいいですねぇ」
「あぁ、お天気もいいしね。でも骨董屋さんたちの高齢化が進んでいるんで、誰彼故障するのよ。今日も3人お休みだよ」
とのことでした。
「若い人は朝早く起きて、重い荷物を運んで、並べたりしまったりしたがらないからね」
そうなんだ、骨董市界にも高齢化の波が押し寄せていたのです。
京都の東寺の「弘法さん」で、骨董市が開かれるようになったのは、1970年代だったでしょうか。やがて、ほかの場所でも行われるようになって、定着したものの、ネットの普及で衰退しそうになっているなんて、知りませんでした。
ネットオークションは、出品者と落札者はものだけのつき合いですが、骨董市は骨董屋さんと客のおつき合いの楽しみがあります。
似ているようで、まったく別ものの感じもします。