2025年4月4日金曜日

発想の転換

昨日、ふらっとSさんが遊びに来ました。
なんでそんな話になったのか、掃除機が壊れて電気屋さんに連絡した話をしていました。型番を伝えると、それは古すぎてもう部品もないし、直せませんと言われて、現物を見てもくれなかったとのことでした。
「電化製品って、本当にそんなに寿命が短いのかねぇ」
「確かに」
我が家でも昨年洗濯機が壊れて、電話したらもう寿命だと言われたことを話しました。ただ、新しい洗濯機にしたら、同じ型番なのに糸くずネットが型変わりしていて、使いやすくなったことをつけ加えると、
「うちではそのネットを使ってないから、別に掃除がどうのこうのもないし」
と、Sさん。
「えっ、糸くずネットを使ってないってどういうこと?」 


私は、予備として備えていたのに使わなかった、古い洗濯機の糸くずネットを持って来て、Sさんに見せ、いかに掃除が面倒だったか説明しました。
「うちは掃除はしたことがないよ。ネットをやってないから」
「えっ、使ってないの?」
「そう、捨てた。だからゴミもたまらないの」
「えぇぇっ、捨てた? 糸くずはどこへ行くんだろう.....」
「ネットがあるからたまるんだろう? なければ少しずつ流れていくよ」
「はぁぁ」
Sさんはおもしろい。自分にそういう発想がなかったこと、使い勝手がよくなったと喜んでいたこと、なんだか軽いショックを受けました。
「それで、掃除機は新しいのを買ったの?」
「いや、叩いたらなおったから使ってる」
「ははは、昔のテレビでもないのに、叩いたの?」


今朝は深い霧でしたが、陽が高くなって少しずつ晴れてきました。


私は相変わらず糸くずネットを使い、洗濯した後きれいに洗うのを結構楽しみにしています。
取って置いた、壊れた洗濯機の予備の糸くずネットは、捨てましたが。





2025年4月3日木曜日

ドラマ観賞

最近観て面白かったドラマのご紹介です。
と言ってもテレビは観ないし、ネットフリックスなどのドラマも観ない。NHKオンディマンドの範囲内なので、とっても限られていますが。


「東京サラダボウル」(全9回)は黒丸さん原作の漫画東京サラダボウル・国際捜査事件簿』をドラマ化したものです。主人公は東新宿署国際捜査係の女性警察官と警視庁通訳センターの中国語通訳人で、外国人が巻き込まれてしまった事件、起こしてしまった事件、一見、事件とも思えないような小さな事件(実は大きな事件につながっている)に、丁寧に向き合い、共生を考える物語です。
新大久保あたりに暮らす外国人たちの生活が丁寧に描かれ、むしろ主役は彼ら。喧噪と活気、哀愁や苦悩、そして、そんな外国人をカモにすることで生きている外国人たちもいて、見ごたえがありました。


東京在住の外国人は約70万人、それぞれに家族や友人がいて、日本にたどり着いた背景があり、悩みを抱え、喜びも悲しみもある人たちです。それなのに、差別されたり、利用されたり、尊厳のある人として扱われなかったりする、そんな人たちに女性警察官は真摯に向き合います。
伏線がいっぱいあって、何度か観るとやっと腑に落ちるおもしろさ、何度も観てしまいました。


もう一つ、「TRUE CLORS」(全9回)は、美しい画面に引き込まれてしまいます。
色彩に優れたファッション写真家として名を成し、前途洋々だった立花海咲(みさき)が、
視力が低下し、色覚機能も喪失する難病を発症し、治療法がないと診断され、仕事も失って絶望の淵に立たされたものの、故郷の天草に帰って、封印してきた過去に向き合い、懐かしい人たちと触れ合ううちに、生きる力を取り戻していくという再生の物語です。
とにかく天草の海がきれい、空がきれいで、観ている方もすっかり癒されていく、美しい作品です。


海咲の生まれ育った、そして断ち切った崎津の教会。


かつて、高校を卒業したばかりの海咲が家出した理由を知っている、幼馴染の松崎晶太郎とその両親は、海咲を優しく迎えます。



「TRUE CLORS」は全編美しいのですが、とくに最後の漁船団の場面は圧倒的な美しさでした。









2025年4月2日水曜日

出て来た絵葉書から


一昨日、topcatさんからのはがきを探そうと、絵葉書などを入れてある箱を開けたら、1枚も残っていないと思っていたエジプトの子どもが織った綴れ織りの絵葉書が出てきました。アメリカに住んでいたころ、実家に送った絵葉書を母が取って置いてくれたのです。
綴れ織りは、緯糸(よこいと)だけを見せる織り方ですが、スウェーデンのフレミッシュのように横向きで織ってあります。
それにしても細かい! 気が遠くなるほどの時間がかかりそうです。エジプトの子どもの絵心と忍耐力に乾杯です。

さて、箱や葛籠のなかには、懐かしい展覧会の案内状などに交じって、使ってない絵葉書も入っていました。


その中に、バンコクのサイアム・ソサエティーの博物館であるKamthieng House Ethnological Museumの収蔵されている魚籠(びく)の写真がありました。タイの魚籠はどれも素敵ですが、とくに前列真ん中の魚籠の蓋の開け方、素晴らしい工夫です。
1980年ごろは、タイでは魚籠などの民具には関心を持っている人は多くなく、わずかにサイアム・ソサエティーが頑張っていました。
王宮前広場で、週末に開かれていた骨董屋さんでも、見かけるのは仏像や銀細工、山岳民族の衣装や発掘品という時代で、竹細工など民具はほとんど見かけませんでした。







 

2025年4月1日火曜日

ヨーグルト容器


長年楽しませてくれた自家製ヨーグルトは、家を長く空けたりしたときに菌が弱り、その都度何とか回復させたものの、数年前に回復不能になってしまい、つくれなくなりました。しばらくはヨーグルトなしの生活をしましたが、きちんとカルシウムを摂りたいと、今では市販のヨーグルトを買っています。
400グラム入りのプレーンヨーグルトの値段は上がったり下がったりするので、数銘柄を決めておいて、そのとき一番安いのを買っています。そして九州に住む息子が来たときにしていたようにきちっと3等分し、毎朝約130グラムのヨーグルトを食べています。
紙の容器はつぶして捨てますが、プラスティックの容器は、ごみ量を小さくするために分解します。


まず真ん中あたりにはさみを入れ、2つに分けます。


次に、縁のきわと底のきわにはさみを入れます。


そして、側面をぶつぶつと切り刻みます。


蓋に縁と底を入れ、切り刻んだ側面を入れます。


2パックを2人で3日かけて食べるので、1日おきに中蓋が出ます。中蓋があるときはそれも重ねて輪ゴムで留めて捨てます。

私の住んでいるところでは、以前はプラスチックは捨てるときには分別していましたが、焼却炉が新しくなってからプラスチックも燃えるゴミになってしまいました。






 

2025年3月31日月曜日

素人のつくった招き猫


友人・知人で、しかも素人のつくった招き猫たちです。


裏方志向さんの招き猫
裏方志向さんは陶芸をなさっていて、招き猫も何体か、しかも大作をつくられているので、素人さんと言っては叱られるかもしれません。


父の友だちがつくってくれた招き猫。
小さいのは香立て、一番大きいのは蚊取り線香が入れられるようになっています。


30年くらい前だったか、実家に行くと招き猫がいて、父が得意そうに言いました。
「友だちがつくってくれたんだ。欲しかったら頼んでやるよ」
「わぁ、欲しいよ」
それから半年ほど経った頃、できたからと連絡があって、いただいてきたものです。


妹のつくった招き猫。
妹は四国の砥部焼きの窯元で職人として7年働き、その後作家として10年ほど焼きものをつくっていたので、やはり素人とは言えないかもしれませんが、あくまで日常使いの食器にこだわって、鉢や皿以外のものはつくらなかったので、招き猫というか用途のないものはこれしかありません。
両親が、誕生祝いか何かでもらったものですが、欲しい欲しいと、さらってきたものです。


息子がまだ小さかったころ、紙粘土で一緒につくった招き猫。
私のつくった猫(左)はありきたりですが、息子の猫はなかなかよくできています。ただ、息子の猫はずいぶん傷んでしまいました。


当時一緒に暮らしていた、濃い色が黒ではなくチョコレート色(珍しい!)だったメャオがモデルなので、背中の模様は二人とも同じです。


topcatさんのつくった招き猫。
これをつくった当時、topcatさんは人形づくりは素人でしたが、この後京都で御所人形づくりの修行をされていて、この張り子の招き猫も、素人裸足の出来栄えです。
2023年の春に、「きつねだるまをつくりはじめて、細々と売っています」というお便りをいただき、それを購入したのがtopcatさんと連絡を取った最後となりました。きつねだるまをブログにUPしたら欲しいという方がいらっしゃって、連絡を取ろうとしたら、Facebookも、したがってMessengerも閉じてしまっていて、連絡を取ることができなくなってしまっていました。e-メールも残ってないし、はがきはとひっくり返してみましたが、修行時代の京都の住所しかありませんでした。


今日、神棚にtopcatさんの狐の絵を上げてあることを思い出しました。
遠目にはただの紙にも見えたのですが、丸椅子を持って来て上ってみると、はがきでした。


きつねの版画の真ん中に刷ってあるのはアマビエ、ということは新型コロナの終息を祈願して彫ったもの、コロナ時代はtopcatさんはすでに京都から飯田に戻っていたはずです。
と、期待しながら裏返してみたら、やはり長野県飯田の住所がありました。はがきには、早くコロナが開けて遊びに行きたいと書いてありましたが、いったいどうして行方不明になってしまったのでしょう?
元気にしていることを願って、これから連絡を取って見ようと思っています。







 

2025年3月30日日曜日

八郷の三大変化

八郷に住んで早24年目、私の人生でもっとも長く住んだ場所となりました。
この20数年、八郷にもいろいろ変化がありました。

目に見える変化は、茅葺き屋根の家がいくつもなくなったことです。

国指定重要文化財佐久良東雄旧宅

今でも茅葺き屋根で頑張っている家もありますが、数えるほどになりました。
かつて、茅の屋根はどのくらいの期間で葺き替えたのか、囲炉裏で火を焚いて常に煙でいぶしていた時代には、茅は乾燥し、虫もつかず20年、あるいは30年も持ったかもしれませんが、家の気密性が上がり、囲炉裏もない今では、葺き替えて2年もすると北側の屋根には苔や草が生え始め、10年もすればあちこち傷んで、放っておけば雨漏りしたりするようになります。
そして、葺き替えようとすると、茅を探すのも刈るのも運ぶのも大仕事、葺き替えのときには、かつてはあった近隣の人たちの助けもありません。
茅葺き屋根保存会が活躍してはいますが、葺き替えは高いものについてしまうので、瓦葺きの家に建て替える人が多く、茅葺き屋根の家はめっきり減ってしまいました。


文化財登録をすると、残すことはできるのですが、住む人は部分的な改築ができず、子や孫に不自由な思いはさせたくないと、壊す方を選ぶのが通常です。
瓦葺きの家も、伝統的なつくりの家は豪壮で見ごたえのあるものですが、それもこの辺りの人たちが文化住宅と呼ぶ、ハウスメーカーの建てる家に建て替えられることが増えてきました。古い世代の人にとっては、りっぱな家を建てることが悲願でしたが、若い人たちは住みやすさを選びます。
最近も築地塀横丁の長屋門のある家で母屋を建て替えて、片流れのモダンな家が建ったのを見て、
「素敵な家ができましたね」
と声をかけたら、
「なに、息子が建てているのだから」
と、長老が恥ずかしそうにつぶやいていました。

さて、すっかり消滅してしまったのは、自宅で執り行うお葬式です。20数年前は、どの家も自宅でお葬式をしていました。


八郷のお葬式の写真がないので、似た写真を、「キヌブログ!」からお借りしました。
家の周りに造花の花輪が10本も20本も立ち並び、同じ集落の人は、1軒から1人以上、必ず3日間は亡くなった人の家に出向いて手伝わなくてはなりません。面識がない人が亡くなったからと手伝いに行かないことは許されず、男性の仕事と女性の仕事両方があり、勤めている人は勤務を休んで手伝わなくてはなりませんでした。
私たちが引っ越ししてきたとき、集落とどうつき合うかお隣のひろいちさんに相談した時、互助組織である「組」に参加するなら、つき合いはすべて参加すること、決してお葬式の義務を怠ってはならないし、それができないくらいなら組に入らない方がいいとの助言を受け、結果「組」には入りませんでした。近所に「組」に入った先輩移住者のYさんが住んでいて、お葬式の手伝いに現れないことがあり、村の人たちはいらいらして、しかしYさんに直接文句を言うことはせず、いつもひろいちさんに伝言を頼み、それが度重なり、ひろいちさんはほとほと弱っていたのです。
お葬式は15年くらい前からか、町のセレモニーホールで行われるようになり、それにしたがって、集落の人々の3日間手伝いも消滅してしまいました。


このところ、路上で軽トラックとすれ違う時「おやっ」っと思うのは、女性(おばちゃん)ドライバーが急増していることです。以前は軽トラックを運転しているのはほとんど男性でした。それに冷房がないので、夏にはみんな窓を開けて走っていました。
おそらく、2021年にスズキキャリーがオートマ車を発売したことで、女性ドライバーが一気に増えたものと思われます。窓を開けて走っている軽トラックもあまり見なくなりました。かつて白一色だった軽トラック、今ではシルバーカラーも普及、そのうちカラフルになるかもしれません。





2025年3月29日土曜日

ビルマの地震


昨日はビルマのマンダレーあたりを震源地とする、マグニチュード7.7の大きな地震があり、バンコクでも建設中のビルが崩壊するなど、両国の死者を合わせると29日の午後に判明しただけで694人、被害が明らかになるにつれ、死者は増え、1000人を超えるだろうと言われています。
私はタイに3年住み、タイとはそのあとの15年ほど、行ったり来たりする深いつき合いをしましたが、地震にあったことは1度もないし、当時はタイで地震があるなんて考えたこともありませんでした。
建物が高層化している今はしっかり耐震対策をしていると思いますが、1990年代くらいまでは、バンコクでは信じられないほど細い鉄筋や鉄骨を使ってビルを建てるのが当たり前で、4階ほどの高いところの壁をつくるのに、鉄筋を入れないでブロックを積み上げているのを見たこともありました。
「あの壁は体当たりしたら壊れるじゃないの!」
と想像してぞっとしましたが、まさか地震があるとは思いもしませんでした。

タイの人々のあいだには、テレビが普及したころから、日本に地震が多いことが知れ渡っていました。田舎で出会った初対面の人から、
「あぁ日本人か。それで、地震てどんな感じ?」
と、いきなり訊かれたこともありました。地面が動くなんて想像もつかなかったのです。

ところが、2014年に、タイ北部でマグニチュード6.0の地震が起こったことがありました。そして今度の地震では、たくさんの死者まで出ました。地球は動いているというか、どこでも地震が起こりうる、地球はじっとはしていないことに驚かされます。
富士山が噴火するという話でさえ、あながち非現実的なことと切り捨てることができないのかもしれません。

まだ明らかになっていないマンダレーの被害が、最小限であることを祈るばかりです。

以下は、1981年にマンダレーに行ったとき、お寺で買い求めた張り子の人形や動物たちです。





張り子の動物たちをぶら下げてお寺を出たところで、地元の男の子から、それをくれないかと声をかけられました。
お寺には1種類ずつくらいしかなかったし、ケチな私はあげられないと断りました。私はもう一生この張り子に出逢うことはないだろうけれど、近くに住んでいる男の子には、また手に入れるチャンスが巡ってくるかもしれません。
あのとき、1つでもあげればよかったかどうか、張り子を見ると思い出したりしますが、年を取った今でもきっと断ってしまうだろうと思われます。
せめて、張り子の代わりにはならないだろうけれど、あげられる飴とかクッキーとかでも持っていればよかったのですが。