2024年1月17日水曜日

♬たぁあいりょうだえぇ♬


こんなにたくさんで1,000円、ダメもとで入札していたものが、競争相手ゼロで届きました。
中には欲しくないものもあったけれど、何せ全部で1,000円ですから、欲しいものだけを残しても惜しくありません。
いったい、何?


じゃーん!
ソビエト連邦時代のマトリョーシカでした。


セルギエフ・パサード産のマトリョーシカは、『マトリョーシカ ノート2 改訂版』(道上克著、2013年)を参照すると、2番目の娘のサラファンにボタンがついていることから、1940年代以降につくられたもののようです。底にはラベルもなく、それ以上のことはわかりません。

ソビエト連邦やロシアのマトリョーシカは、上部と下部では違う乾かし方をした別の木を使います。そのため、薄く挽いてあっても狂わず、開け閉めできるのですが、2番目の娘は上部が縮んだのか、はめることができません。でもはめたままで開かなくなっているよりまし、上部の内側を削ればはまりそうです。


これもセルギエフ・パサード産ですが、1番目(あるいは1番目と2番目)の娘が失われてしまっています。
これは、1950年代から60年代のもののようです。底まできっちり色を塗ってあるので、上のものより古いのではないかと思ったりしますが、わかりません。


メイデン産のものは欠けもなく、1番目の娘も色鮮やかです。


そして、後ろ姿もなかなかです。これも、花模様から1960年代のもののようです。


やはり1960年代でしょうか、最大の産地セミョーノフのマトリョーシカで、この時代の小さい娘たちは、たいてい怖い顔をしています。
生産工場ではすべてが分業でしたが、職人さんは熟練するにつれて大きい人形の顔を描かせてもらえるようになったのでしょうか? それとも、うまいへたがあり、いつまでも持ち場は変わらなかったのかもしれません。


私の大好きなヨシュカル・オラ産の、1970年代のマトリョーシカですが、2番目の娘に何があったのか、上部の縁が見た目にも不自然に縮んでいて、嚙み合わせることさえできないほどです。そして、6番目の娘が失われています。


上記のマトリョーシカたちは、1950年代(?)から70年代に、分業の生産工場でつくられたものですが、この黒地の娘たちは、全部を一人の人が絵つけしたように見えます。全然別の時代のものが紛れ込んでいたのか、あるいは生産工場時代にも、こんなマトリョーシカもつくられていたのか、わかりません。
また、ロシアやソビエト連邦でつくられたマトリョーシカの一番大きいものには、ほとんど台座がついていることを考えると、これに台座がないということは(一番目が失われたのかもしれないものの)、ソビエト連邦ではなく、ポーランドなど別の国でつくられたマトリョーシカだった可能性もあります。


さて、削らなくてはならないのは、結局2つだけでした。


セルギエフ・パサード産のは上部の内側を削っただけで、難なくはめることができました。


削っても、はまるかどうか危ぶまれたのは、ヨシュカル・オラです。上部も下部も薄くできていて、削る余地があまりありません。


それでも、彫刻刀とカッターを使って、できる限り削ってみました。
一番目と厚みを比べると、その薄さがわかります。


ぴしっとははまりませんでしたが、上部の縮みがあるのにはめることができたので、よしとしました。


さて最後に、背が高いものはマトリョーシカではなくて、モルドヴァでつくられたボトル・ホルダーです。中にウオッカなど入れました。


『マトリョーシカ アルバム』(道上克著、2019年)を参照すると、1970年代につくられたもののようです。


置き場所を探さなくてはなりませんが、とりわけ古いものでもありませんが、ちょっと楽しめたマトリョーシカでした。





 

3 件のコメント:

rei さんのコメント...

すごいすごい!来るべきところに来るものですねー。

「原発を止めた裁判長・・・」私も観ました。珠洲市の原発阻止をした方たちは日本を救ったとの記事も読みました。東北での経験が何も生かされていない現状はおかしいとしか言い様がありません。

さんのコメント...

reiさん
マトリョーシカたちの到来! すごいですね(^^♪
なんちゃって、どこに置くかまだ何の計画もないのですが(笑)。

近々に東海村村長の選挙があります。再稼働賛成の人が選ばれる可能性が大きかったりしますが、避難経路さえ確保できていません(人口が多くて確保できるはずがない)。
事故が起これば、一瞬にして広域が汚染され、何万年も回復できないのに、目先の利権にすがる人が多いこと、どう考えればいいのでしょうね。打つ手があればいいのですが、なかなか.....。

さんのコメント...

reiさん
東海村は村長選ではなくて村議選でした。
定数18人のところ20人立候補しています。うち10人が最大会派「新政とうかい」所属で、再稼働に賛成しています、廃炉と答えているのは5人、あとは「どちらともいえない」です。
ただ「村の広域避難計画に実行性があるか」という問いに、「実効性がある」と答えているのは2人だけです。