2021年1月19日火曜日

縄を綯う

かつて、稲作農家にはたくさんの冬仕事がありました。
まず、稲わらで縄を綯わなくてはなりません。縄は、直径50センチ、高さ20センチほどのドーナツ型の束にしておいて、あらゆる場面で使いました。猫車(一輪車)でものを運ぶときの綱として使い、柴を刈ったものや割った薪を束ねるのに使い、収穫した米を入れた叺(かます)を結わき、子どもたちはそれを切ってもらって縄跳びをして遊びました。
筵(むしろ)は繰り返して使うので、毎冬つくる必要はありませんが、俵、叺なども消耗品なので、次の年の分を冬の間につくっておかなくてはなりませんでした。天秤棒に下げて使う丸い大きなわら籠(もっこ)もつくり、俵やもっこにはわら縄が必需品でした。
戦後のにわか百姓だった祖母は、いつもその稲わら仕事を、近所の男性の「もりさん」に頼んでいました。もりさん一家は田んぼを持っていなかったので貧しく、もりさんの連れ合いの「はあさん」はどんな力仕事でもする働き者でしたが、もりさんは身体が弱いのか、いつもぶらぶらしていました。
そのもりさんが祖母に頼まれてやってきて、納屋の前にむしろを敷いて座り、稲わらを継ぎ足し継ぎ足し縄を綯いはじめると、見る見るうちに魔法のように縄が伸びて、あっという間に何束もの縄ができました。しかも実用に耐えるだけの縄ではなく、美しい均質な縄ができるので、いつまで見ていても見飽きませんでした。近所には、もりさんほど美しい縄を綯える人はいませんでした。縄を綯い終わると、もりさんは俵も叺もどんどんつくりました。
祖母も、稲わらの縄こそ綯いませんでしたが、「綯う」ことはできました。巾着袋の紐をつくったりするとき、糸を足の指に引っかけて、だんだん太い紐をつくったりしていました。
私はと言えば、織物をしていたころ、経糸(たていと)の始末で端を縄状にしなくてはならなかったのでやりましたが、綯えるとはとても言えない腕前です。


そんな綯う仕事を、とっても素敵にされているのが、山本あまよかしむさんです。
このほど、『くさ縄を綯う』と『くさ縄標本』という2冊の本を出されました。


『くさ縄標本』の目次に載っているだけで70種類の草木ですが、これは教科書ではなくデータ、それぞれの人がそれぞれ出逢った草木を楽しんで欲しいと、「はじめに」に書かれています。


『くさ縄標本』には、植物の紹介と縄にするための使用部位、採取時期、下準備の方法が書かれています。



上の写真はキクイモとその縄、小さな本で縄は実物大に表わされています。
キクイモだけでなく、毎年あちこちに生えてくるアカメガシワやイバラの皮からも縄が綯えるなんて、思ってもみませんでした。
かつて、縄文人は持っていただろうけれど長く忘れ去られていた感覚を、山本あまよかしむさんはお持ちなのでしょう。


そして『くさ縄を綯う』には、採取の仕方、下準備などが詳しく載っています。
ちなみに文鎮は本を開いて写真を撮るために置いたもの、何の関係もありません。


実際に、山本あまよかしむさんが縄を綯うのを見たことがありますが、ただの草があっという間にきれいな縄になって手から出てきました。
飽くなき縄への思いは素晴らしい、いつだったか、集めていたお父上の愛犬の抜け毛を糸にしたものでマフラーを編んで差し上げた写真を見て、限られた一生ですが、人は濃くも薄くも生きられるものだと感じたことでした。

縄は世界中にあります。人間の道具として最も古いものの一つですが、中でも私の好きなのは、カンボジアのパルメラヤシの縄です。
化学繊維ができ、縄綯い機ができ、自然素材で縄を綯うことは世界中で廃れていっていますが、山本あまよかしむさんの生き方は、縄と人間の関係や縄の大切さを、改めて思い出させてくれます。




 

6 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

まず「綯う」が読めませんでした(苦笑)。縄をなうのですね。
いろんな植物でできるんですね。知っておけばいつか役に立つかも。

さんのコメント...

hiyocoさん
仮名表記しておけばよかったですね(笑)。
あまよかしむさんは、縄を綯い始めたとき、地球自体が大きな材料製造工場のようなものだから、一生材料に困ることはない。これからは遊んで暮らせる、と思ったと「はじめに」に書いてあります。壮大ですよね。
ずっと前から私も試してみたいと思いながら、スズメノヤリとか、見ているだけです。

hatto さんのコメント...

私も注文しました。次版を待ち中です♪ 私も身近な草で編んだり、友人は草で紙漉きをして100種類程つくりました。草って魅力的。

さんのコメント...

hattoさん
人はなぜ、衣類を身につけるようになったか?
ほかの動物を見ていると、寒さをしのぐとか、恥じらいからという理由は後づけで、考えられないようです。たぶん、木の実などを拾って運ぼうとする、しかも手と足は空けておきたいとなると腰に紐を結んでそこにぶら下げた。最初は長めの紐になるようなものを使っていたけれど、ない場合、つないだり綯ったりしたんではなかろうか?その腰ひもから服ができていった。そんなことを考察している本を読みました。縄は自然に帰るものだから残ってはいませんが、本当に古い道具だったのでしょう。
最初にナマコやきのこを食べた人もすごいけれど、縄をつくった人もすごい!昔の人は誰でも手あたり次第何からでも縄をつくろうとしたのではないでしょうか?そんなことを思い出させてくれる、ちょっとすごい本ですね。カラムシやアカソは自然に生えていたとして、大麻や稲は栽培種ですものね。
そうか、草で紙もつくれるのですね。面白いなぁ!

山本あまよかしむ さんのコメント...

素晴らしいご紹介文ありがとうございます!著者の一番言いたかったことを的確にくみとっていただき、感激です。
差し支えなければsnsでシェアさせて下さい。

さんのコメント...

山本あまよかしむさん
こちらこそ、素適なご本ありがとうございました。楽しく拝見させていただいています。
たいした紹介文ではありませんが、snsでも何でも自由にお使いください。
昨夜、ご本をじっくりと読みながら、ブログで言い足りないことがいっぱいあったなと感じていたところです。植物の効用のところで、「お尻ふき」などというのが面白い。その昔、きのこ写真家で糞土師の井沢さんが我が家にいらしたとき、「これは尻ふきにいい」といって、数枚の葉っぱを集めていらしたのを思い出しました(笑)。