2023年4月12日水曜日

不易糊

ヤマト糊の会社概要を見ると、1899年(明治32年)、日本初の「保存できるでんぷん糊」を製造販売して、広く受け入れられたとあります。


そして、ヤマト糊と並ぶ老舗のフエキ糊の、フエキの歴史を見ると、1895年(明治28年)に「我が国初の腐らない糊を開発した、卓上糊の元祖」と書かれています。
どちらも日本初。真実のほどはわかりませんが、フエキ糊は創設当初はでんぷん糊ではなくて、他の原料を使っていたことも考えられます。

「フエキの歴史」より

会社の設立としては大阪のフエキ糊が4年ほど早いということになりますが、東京のヤマト糊が「ヤマト糊本舗」として出発したのに対して、フエキ糊の方は足立商店として設立され、設立当初は別のものをつくっていたようです。

以下4枚の写真は同上

フエキ糊は、明治34年(1901年)に、不易糊として商標登録しています。


新聞広告には桜のマークが描かれていて、桜の中には不易糊工業株式会社の前身である足立商店の「A」と、「不易糊」の文字が書かれていて、社名はADACHIになっています。


1925年(大正14年)から売り出された墨汁のビンのラベルのマークは、桜に「A」だけで「不易糊」の文字は消えています。もっとも、これは墨汁であって糊ではないのですから、桜に「A」と「不易糊」とはいかなかったことでしょう。


ところで、「フエキの歴史」に載っている糊ビンには、桜のマークが見えません。会社名がFUEKIになっているので、足立商店が改組して不易糊工業株式會社になった、1924年(大正13年)以降に発売されたものです。


この糊ビンの蓋には、墨汁のビンのラベルと同じ、桜に「A」のマークがついているので、「フエキの歴史」に掲載されている糊ビンより古いのではないかと推察されます。
印刷ではなくエンボスでは、最初から「不易糊」の文字を省いたのか、あるいは経営を多角化して以後、マークから「不易糊」を消したのか、そのあたりはわかりません。
また、この糊が足立商店の商品か、不易糊工業株式會社の商品かは、ラベルが残っていないので不明です。


蓋は、ブリキの絞り方が稚拙です。


小さいフエキ糊のビン底には「フエキ」のエンボスがありますが、大きいビンの底にはエンボスはありません。


ガラスの縁はなめらかですが、型のつなぎ目は盛り上がっています。そして、底はかなりぎざぎざしています。
縁はなめらか、底はぎざぎざ。どうやってつくったのか、想像がつきません。


とても大きな糊ビンで、直径、高さ共に6センチあります。






 

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