2023年12月5日火曜日

何もできないけれど

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザへの無化別殺戮、また先日、日米など有志20ヵ国で原発の発電力を2050年までに今の3倍にする宣言をしたなどなど、世の中はめちゃくちゃですが、世の中ってもともとこんなものなのでしょうか?

イスラエルの犯罪は、1948年に現在の地に武力で建国して以来75年間黙認され、むしろアメリカやイギリス、フランスから後押しされてきました。
いきなり武力で侵略され、先住のパレスチナ人が、やっとの思いで逃げ込んだヨルダン川西岸とガザのパレスチナ自治区も、武力によってじわじわと侵食され、


いたるところにイスラエル人の入植地が建設され、パレスチナ人の自治区内での移動はさらに厳しくなっています。


イスラエルとパレスチナ自治区の境ではなく、パレスチナ自治区内に分離壁が建てられ、オリーブやアーモンドなど経済の自立につながる畑や果樹園は破壊するなど、イスラエルはやりたい放題の嫌がらせをしてきました。
そして、武器を持たないパレスチナ人が石を投げただけで逮捕、拷問、はては懲役20年の判決を下して強制労働させるという暴挙を、これまで誰も止められないできました。
私は、パレスチナの穏やかな田舎の道端で、談笑しているといきなり武器を構えたイスラエル兵を乗せた車が猛スピードでやってきたとき、子どもたちの顔色が変わって、近くの小石を集め始めたのを見たことがあります。イスラエル兵は突然やってきて、気まぐれに銃を撃ったりするので、子どもの心にも憎い敵として刻まれている存在なのでした。

2006年、1人のイスラエル兵がハマスに拉致されると、イスラエル社会は解放を求めてデモを繰り返すなど、大きく揺れたことがありました。5年後、その兵士と交換に、イスラエルは拘束していたパレスチナ人1,027人を解放しました。イスラエルはそんなにたくさんのパレスチナ人を、日常的に拘束しているのですが、そのことはほとんど報道もされません。

今回の衝突のきっかけはハマスが仕掛けたのですが、イスラエルの暴挙に誰も耳を傾けない中で、パレスチナ人にほかに何ができたでしょう? ヨルダン川西岸の道路を、ただ車で走っていただけで、すれ違いざまに銃で撃たれて亡くなった人も知っています。優しくて若い、洋装店を営むお父さんでした。
パレスチナ問題をよく知る人たちは一様に、「根本的な解決なくして、このようなことは起こるべくして起こる」ととらえています。ガザは、天井のない牢獄と例えられるほど、自由を制限されてきました。

ハマスはもともと、善行を行う喜捨組織でした。
ろうあ学校を経営したり、1948年以来の難民を支援したりと、長年、苦しい人々を支え続け、人望も厚い人たちでした。ところが、イスラエルのあまりの嫌がらせに、とうとうインティファーダの時代に一部が武装したという歴史があります。


パレスチナ人の拘束者の開放

今回の衝突の一時停戦中に、ハマスによる人質とイスラエルによる拘束者の交換が行われましたが、数ではパレスチナ人の拘束者の方が2倍以上にのぼっています。その大半は石を投げた人、牢獄ではひどい拷問もあったと思われますが、ハマスの人質への対応は、攻撃され、物資も不足する中、礼を失しないものでした。

当初、北部を爆撃するからと、ガザの住民を北部から南部に移動させてガザ北部を占領したイスラエルは、一時停戦後、今度は南部の攻撃をはじめました。残りの人質も含めて、皆殺しをもくろんでいるのではないかとの見方もあります。
今日も北部からの避難者が逃げ込んでいる学校が空爆されて、たくさんの人が亡くなりました。イスラエルはパレスチナ人に、さらに避難しろと警告していますが、周りを包囲して、北部は占拠して、監獄化した狭い場所に閉じ込められている200万人もの人に、どこへ避難しろというのでしょうか。
もちろん、イスラエル人の中にも心を痛めている人がいることでしょう。
何もできず、ただ見ていることに、無力感に襲われるばかりです。








2 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

おはようございます。
よくぞ書いてくれました。
今回の記事、大勢の人に読んでもらいたいです。

さんのコメント...

かねぽんさん
毎日、うつうつと考えても何もできないのだけれど、何もできないことでも書いておこうと思いました。
その昔、南米などで「人間の盾」という戦い方がありました。みんなで丸腰で武器の前に立ちはだかり、人間の盾をつくれば、武力を使う気持ちも鈍るというものですが、イスラエルの兵士たちが「パレスチナ人を人と思うな」と言われて心を閉ざして攻撃していることを思えば、それも無理かもしれません。
彼らも深く傷つかないわけはないと思うのですが、ドローンなどで相手の苦しむ姿を目にしなくて済むこんにちでは、何も感じないかもしれません。
何とかならないものかと、おろおろするだけです。