2023年12月1日金曜日

福助さん


『福助さん』(荒俣宏編著、筑摩書房、1993年)は、荒俣宏さんが日本の古い商標を研究していた荒俣さんが、古い福助さんを一挙に譲ってもらったこと、本を書くなら社のコレクションを参考にしてよいと、福助株式会社から申し出でがあったことなどから、実現した本です。


目次の下に勢ぞろいしているのが、荒俣さんの福助さんたちです。


その荒俣さんの福助さんを、あちこちに連れ出して写真を撮ったのは林丈二さん。


装本は南伸坊さんというトマソンの面々が、たぶん、とっても面白がりながらつくった本です。

福助さんの誕生は江戸時代で、諸説ありますが、伊吹山のふもとの柏原で伊吹もぐさを扱う亀屋由来もその一つ、亀屋には天明年間に生まれた番頭福助がいました。福助は家訓を守り、裃をつけて手には扇を持ち、街道を行く人を手招きしてもぐさを勧めました。

絵葉書になった亀屋の二代目の福助。現存

この話が京都にまで伝わり。伏見の人形屋さんが福助の姿を人形にうつして縁起物として広めたとされています。
亀屋には150年前から巨大な福助さんが店頭に飾られ、今も座っています。


歌川広重の木曾街道六十九次にも、亀屋の福助さんが描かれています。


福助株式会社の前身「丸福辻本商店」は、大阪の堺で明治15年に創業しました。和歌山県に販路を伸ばした時、和歌山の「丸福足袋坂口茂兵衛」から商標法違反とのクレームがつき、訴訟まで起こしたものの敗訴、「丸福」は使えなくなりました。
落胆した辻本家を勇気づけたのは、1個の土人形でした。


福松の息子の豊三郎が、正月吉例の伊勢神宮に初詣したあと、山田の町で道端の土産屋を覗きながら歩いたところ、古道具屋で高さ30センチほどの福助の土人形を見つけました。
出逢った瞬間、これを新しい商標にしたいとこれを抱えて(おつきの人が運んだとしても徒歩だと大変!)急ぎ帰宅、父の福松に見せると目を輝かせ、さっそく得意の絵筆をとって自ら絵を描き、特許局に持って行きました。明治33年に登録認可書が下り、足袋の名称も、「福助印堺足袋」に変えました。
写真は、その土人形の福助さんです。


江戸時代の福助さんは、開いたり閉じたりした扇を持つものでしたが、福助足袋の浸透以後、お辞儀福助が主流となり、扇福助は駆逐されました。


さて、林丈二さんが撮った荒俣宏さん所蔵の福助さんの中のこの福助さん。我が家の福助さんと同じ人の手になるものと思われます。


着物や袴の色は違いますが、型も同じような気がします。

子どものころ、定期的に荷を担いでやってきた呉服屋さん、いつも福助のラベルのついた足袋を持っていて、えんじ色のビロードの足袋をときおり買ってもらったものでした。下駄には足袋でしたが、小学生になって運動靴を履くようになってからは、防寒用の足袋はあまり履かなくなりました。

そういえば、朝の連続テレビ小説「ブギウギ」で、銭湯花の湯には、福助が男湯に、おかめが女湯に使われていました。






 

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