2024年12月31日火曜日

蛇さん、こんにちは

さて、2024年も今日限りとなりました。
年末年始だけしか話題に上らない干支の動物たち。1年前の年末年始は辰年で、龍の人形は貰いものを1体だけしか持ってなかったのでスルーしてしまいましたが、今年は蛇の人形を紹介してみます。


顔と尻尾が練りもので胴体が稲わら(草?)でできた郷土玩具の蛇は、いったいどこでつくられたものか、忘れてしまいました。


口に指を突っ込むと抜けなくなるヤシの葉細工の蛇、上は沖縄のもの、下は自分でつくりました。


身体の下に、輪ゴムを通した土の車が仕込んであり、引いた糸を緩めると走る蛇、下はフィリピンで買ったもの、上はタイで、路上の物売りから買ったような記憶があります。


日本の観光地土産の竹の蛇は笛になっています。
定型化してしまったのか、あまり工夫は感じられず、部品数が少ないため動きは単調です。


それに比べると、フィリピンの蛇は文句なくすごい!これを超える竹の蛇があれば見てみたいものです。

今年も一年、ありがとうございました。




 

2024年12月30日月曜日

2025年のカレンダー


滝平二郎のカレンダー(岩崎書店)をいただきました。
滝平二郎に特別な思い入れがあるわけではないけれど、なんだか懐かしい切り絵、もうこんな風景を実体験した人はいなくなっているのだと思いながら眺めました。ただ、いつも違和感なく見ていたけれど、先生が洋服で男の子は坊主頭なのに、女の子の髪型は何時代? 本当にこんな時代があったの? と、ふと思ってしまいました。


滝平二郎さんは、お隣の市、茨城県小美玉市のご出身です。


中村哲さんのカレンダー(ペシャワール会)はお隣のM+MのMちゃんから、クリスマスプレゼントとしてもらいました。
去年ももらって、使わなかったからと固辞したのですが、
「まぁ、いいからいいから」
と押しつけられました。
来年も使わないだろうと思いながらぺらぺらめくると、各月に中村さん書いた文の一節、寄稿文、俳句などなど、言葉が記されていました。


写真だけでなく、言葉もあるのは新鮮、今年は使ってみようかなと思っています。
中村哲さんには、私が働いていた事務所で一度だけお会いしたことがありました。


さて今年、自分で買った2025年のカレンダーは子猫のカレンダー(風呂猫)でした。


子猫のカレンダーは毎年発売されていて、これまで買ったことがなかったのに、魔がさしたというか、表紙の子猫の可愛さに惹かれて、買ってしまいました。






 

2024年12月29日日曜日

象のじょうろ


たけちゃん父子が象のじょうろを買って来てから、お風呂にいる時間が長くなりました。


象の尻尾を持ち手にして、鼻から水が出るようにしたじょうろは、形と用途がとてもよく合っていますが、ブリキではできなかったのでしょうか? プラスティックが出回るようになってからこの形のじょうろができた気がします。


ブリキのじょうろの定番の金魚のじょうろは、上下2枚のブリキだけでおもな形をつくっていて、しかも凸凹は少ないので、そう難しくなさそうですが、象だとどうつくっていいのか、ちょっと難しそうです。


普通の象さんじょうろに加えて、右端は、「メカ象さんじょうろ」という名前のじょうろです。マンモスかと思った、ちょっと怖い(りりしい?)顔をしています。





2024年12月28日土曜日

気持ちよくお正月が迎えられます

先日、お地蔵さまの建物の前を通ったとき、車を停めてのぞき込んで見ると、お地蔵さまたちはすっかり色褪せた前垂れと頭巾をまとっていました。


新しい前垂れと頭巾でお正月を迎えたいに違いないと、昨日はしこしこと赤い布を裁ったり、縫ったり、アイロンを当てたりしました。


見本に1組余分につくって置けばいいのにと思いながら、相変わらず余裕はなく、1組つくっただけでした。


この前つくったのは2022年のお盆前、1年後に裏返せば色は残っているのですが、いろいろな虫が卵を産みつけたりしていて裏返す気にはなれません。
頭巾は小さすぎたのを覚えていましたが、前垂れの紐が短すぎたのはうろ覚えで、何とか足りたような気もしていたのですが、今年も十六夜尊の紐はぎりぎりでした。


右から順番に着せかえたのですが、最後の弘法大師の前垂れを取ると、その下でヤモリが越冬していました。
「ごめんね」
虫の卵は、「殺生をお許しください」と心の中で唱えながら追っ払ってしまうのに、ヤモリには申し訳ない気持ちがわきます。
我が家にはいないので、おそらく、八郷に来てヤモリを見たのは初めてでした。


ヤモリのためにあまり前垂れを左にずらすわけにいかず、心持寄せただけなので、ヤモリにかぶせ切れず、顔がちょっと覗いていました。


ところが帰る時見ると、やもりはもう顔を前垂れの下に引っ込めていました。
もっと温かい前垂れだったらよかったけれど、これで冬を乗り切れるかな? ちょっと心配です。


今年は後ろにそれぞれの石像の名前を書いた布を、2024年2月22日に奉納された方がいらっしゃって、石像たちがどなたかがよくわかりました。左から、弘法大師、十六夜尊、子安神社(子安さまってこと?)、地蔵尊でした。
十六夜尊の前垂れは、紐が長いのをつくって着せかえた方がよさそうに見えますが、今年中にできるかどうか。一番簡単なのは、紐をつくって行って結び足すことでしょうか。


とにかく、これで安心してお正月を迎えられます。





 

2024年12月27日金曜日

平八糊


西瓜糖のビンを買ったらおまけで、「ひびが入っているけれど」と、「平八糊」のビンをいただきました。


「えっ、糊ビンでこんな形?」
とネットを見ていたら、


ブログ『川原の一本松』に、色違いの同じビンがありました。
記事を読むと、ハケ(昔のゴミ捨て場)で掘り出したものを洗っていたら赤く染まったので、「平八糊」という会社のつくったインクビンではなかったかとの記述がありました。
確かにインクビンと言われれば、形がしっくりきます。
『川原の一本松』さんの記事がなかったら、どんな糊だったか、いつまでも想像をめぐらしていたかもしれません。
そういえば、ビンの中に赤茶色のシミが2カ所くらい残っていたのですが、赤インクが入っていたらしいという記事を読む前にハイターも使い、竹串でごしごしと削り取ってしまいました。


左側、肩に近い方にちょっとだけ色が残っていますが、赤インクが入っていた可能性、大いにありです。




 

2024年12月26日木曜日

西瓜糖


西瓜糖のビンです。
西瓜糖の名前は知りませんでしたが、スイカを煮詰めた梅肉エキスのようなものなのでしょうか(?) 


反対側には「万惣」のエンボスがあります。
家庭染料のビンには背景が不明なものが多いのですが、西瓜糖には確かな情報がありました。


ブログ『土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)』によると、西瓜糖は1846年(弘化3年)に創業された青物・水菓子問屋の「万惣」が明治になってから売り出したヒット商品で、万惣は初代(青木彦兵衛(万彦))と二代目(青木惣太郎)の卓越したアイデア商法で幕末から明治へと開化の世を生き残り、大正時代にはフルーツパーラーを開店、昭和を生き抜きましたが、2011年に、本社ビルのあった中央通りと靖国通りが「東京における緊急輸送道路沿道建築物の耐震化を推進する条例」の指定道路となり、ビルは耐震構造の基準を満たしておらず、建て替え資金もないため廃業しました。
正岡子規の門人の岡麓が書いた『正岡子規』の中に神田の「万惣」が出てくるし、古典落語の『千両蜜柑』のモデルになったのも万惣でした

上の写真はブログ『拾うたんじゃけえ!』からお借りしました。
ビンの口が違っていて、スイカの絵のある方のエンボスには、横書きで「東京」、「西瓜糖」とあり、縦書きで「万惣」とあります。また、反対側には「薬品部」とあります。西瓜糖は今で言う、医薬部外品かサプリのような位置づけで売っていたのでしょうか。




また、ブログ『50s60s70s』では、やはりボトルディギングで拾われた、口が大きくなってからの西瓜糖のビンが紹介されています。
スイカの絵のある方のエンボスには、横書きで「元祖」、「万惣」とあり、縦書きで「西瓜糖」とあり、反対側には「果物問屋」とあります。
右からの横書き、戦前のビンと思われますが、「水菓子」が「果物」と呼ばれるようになったのは、江戸時代のことだそうです。


ブログ『紺珠記』には面白い写真が載っていました。
東京にある豊川稲荷東京別院の石塀の写真で、寄贈した人や会社の名前が刻まれていますが、その中に万惣の寄進した石もありました。
西瓜糖の元祖「万惣」はすでにありませんが、スイカの産地の熊本や山形で西瓜糖は今もつくられています。なめてみたい気もしますが、1ビンでスイカが2つほど買えるお値段、生のスイカの方がいいやと思ってしまいます。









 

2024年12月25日水曜日

リトアニアの籠


バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアでは、盛んに籠がつくられています。
エストニアでは、幅広に薄くはいだ松やモミの木を素材にした籠が多くつくられており、ラトビアとリトアニアでは、柳の枝やシラカバの皮、そして松の根の籠などがつくられています。


このリトアニアの籠は松の根でつくられたもので、寸胴ではなく、下部がちょっと広がっています。


底は、太い経材(たてざい)を緯材(よこざい)で平編みにして割っていない丸材を丸く回し、そこからそれまでの緯材を経材としながら胴を編んで仕上げています。
底の太い経材は、丸材を回した後に短くするのだと思われますが、緯材がほどけないようにまとめるのが難しそう、見ていると落ち着かない気分になってしまいます。


持ち手の丸材は端を削り、底と胴の間に回した丸材に絡めて、すっぽ抜けないようにしてあります。


底の直径は21センチ、口の直径は17.5センチです。ミカンを入れたりするにもよさそうですが、籠バッグとしてもよさそうです。

日本では、竹をはじめ籠を編む材料が豊富だったためか、木の根の籠はつくられてきませんでした。それゆえか、植物の根を籠の素材として使うことに、なんだか信じられないような不思議感を覚えてしまいます。

セイリッシュ(カナダ西海岸の先住民)のトウヒの根の籠。『世界のかご文化図鑑』よ

松の根のほか、トウヒやスゲの根(どちらもおもにアメリカ先住民が使っていた)などが籠編みの素材として使われてきました。


そして、手前はスウェーデンの白樺の根の籠です。
白樺の根は、曲木の箱を綴るのによく使われますが、籠材としてはしなやかすぎるためか、芯に針金を入れて巻き上げています。

追記:

勘違いしていたことについて。

〔カゴアミドリ〕より。白樺の根の籠

これはノルウェーで一般的な白樺の根の籠です。スウェーデンにもあります。白樺の根が別にしなやかすぎるということはないようでした。
籠材としての根について、私はまだよく理解していないようです。





 

2024年12月24日火曜日

クリスマス


今年のクリスマス飾りはささやかなものです。というか、完全手抜きです。


これはセルロイドの降誕人形の絵葉書です。


フィリピンのエルマーからクリスマスメールが届きました。
降誕人形は木彫りでしょうか?もしこれがフィリピンでつくられたものなら、フィリピン製の降誕人形は初めて見ました。


絵画だと宗教色が強くなりますが、降誕人形は土、磁器、木彫り、ブリキ、セルロイドなどでつくられると、つくった人や飾る人のわくわく感が伝わってくきます。


メリークリスマス・イブ!





 

2024年12月23日月曜日

鶏のPull Toy


フィンランドのPull Toyの鶏です。


後輪に仕掛けがあって、紐(失われていますが)を引っ張って歩くと、車軸から鶏のお尻につながった針金が上がったり下がったりして、鶏が餌をついばんだり背を伸ばしたりします。


もっとも、一番前かがみになってもここまでしか身体を傾けることができず、これでは一生、地表の餌はついばめません。


この鶏は、1930-40年ごろつくられたものですが、無垢ではなく合板が使われています。合板製とはいえ、トサカのつくり方などに手づくり感が出ています。

合板の歴史は浅そうに思えますが、実は古代エジプトまでさかのぼり、日本では正倉院の御物の中に合わせ板のものがあります。木は木表の方向に反る性質がありますが、縦横90度にずらして張り合わせると、これを回避することができます。
もちろん、合板が昔から大量に生産されたわけではなく、大量に製造され消費されるようになったのは機械を使って薄くはいだり、よい接着剤ができて堅牢に貼り合わせることができるようになった近代以降で、1797年に、イギリスの技師によって合板製造装置の特許が申請されています。


これが、一番背を伸ばした姿です。


西欧のPull Toyとしては、我が家には頑丈な鉄板でできた山羊(?)がいます。


重くて危険なので、できるだけ子どもの目につかないところに置いていますが、どんな子どもが遊んだのでしょう?
アメリカではよちよち歩きの幼児がよくPull Toyを引っ張りながら歩いていましたが、このおもちゃの上にでも転んだら、大怪我をしそうです。

追記:

昔、息子に買ってやったフィッシャープライスのPull Toyを、ネットで調べたら、ビンテージとして売られていました。


ネット時代って、検索に労力を要しませんね。
黄色いところを持って引っ張り、黄色いところを押すと、煙突の先が動いて、汽笛が鳴りました。