『日本の民具』(園部澄写真、磯貝勇、桜田勝徳監修、慶友社、1975年)はモノクロームの写真集です。4巻セットで、第1巻は町、2巻は農村、3巻は山・漁村、4巻は周囲民族となっています。
50年前の本づくりにはまだ手仕事が随所に生きていて、『日本の民具』の装丁は当時コーヒー袋として使われていたジュートの布、いわゆるドンゴロスが貼られています。
『日本の民具』の写真はどれもアチックミューゼアムの収蔵品ですが、『屋根裏部屋の博物館』の内容に比べると、鉈、銛(もり)など金属の道具が充実しています。山仕事や漁業には金属の道具が必需品だからでしょう。
第3巻の写真は、「やましごと」「りょう」「しんこう」の3部に分かれています。
集めた民具を分類していくなか、町(商い)や農村(稲作)からはみ出しての山・漁村だと思われますが、この巻に信仰が含まれているのが面白いところです。ただ、信仰にはけずりかけ、手形・足形、おしらさまなどが取り上げられていますが、『屋根裏部屋の博物館』に取り上げられている招き猫、福助、赤物などはありません。
山形笹野では、けずり花が今でもつくられています。
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埼玉県 |
けずりかけをつくる小刀です。
日本のけずりかけは東北から北海道にかけては広範囲でつくられていましたが、この本で、東京都八丈島、埼玉、群馬などでもつくられていたことがわかります。
けずりかけは、紙が普及されるまで御幣として使われていたもので、ヤナギ、ヌルデ、ニワトコなど、肌の白い木がつかわれました。各地で小正月の飾りものとして残りました。
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くつご、広島県 |
おそらく、今では消えてしまった民具に、牛の口につけるくつわがあります。竹ひごをねじっているのは、丈夫にするだけでなく、牛が痛くないようにした工夫ではないかしら? 牛への愛情を感じます。
くつわは消えましたが、木でつくられた、牛の鼻につける鼻輪は、プラスティック製のものとなって今でも残っています。
桶の浮き。
桶がありふれたものであったとき、桶は強力な浮きとして得難い存在だったと思われます。数年前、花巻歴史民俗資料館に行ったとき、明治のころまで、「桶屋か鍛冶屋になれば喰いっぱぐれがない」と言われていたと、桶を展示したところに説明書きされていました。隔世の感がありますが、桶はそれほど身近でありふれたものだったのでしょう。
漁網の錘、石でできています。
漁網を編む網針(あばり)とその針入れ。
確かに漁網はいつ破れるかわからない。網針を携帯する必要がありますが、針入れがあると探す手間が省けます。
おもしろいのはタイやラオスと同じ漁具で魚を獲っていた絵が残っていたことです。残念ながら絵の説明はありませんが、髷を結っているので、江戸時代かと思われます。これは明らかに海ではない、川か田んぼ、ということは漁民というより農民が使っていた漁具と思われます。
それぞれが桶の魚籠(びく、ではなく魚桶か)を腰につけているのも、とても興味深いことです。
2 件のコメント:
おはようございます。
ゴールデンカムイを読むと、「イナウ」と呼ばれる削り掛けが出てきますが、山形の削り花もアイヌの文化の名残なのかも知れません。米沢盆地の辺りは「おきたま」と言われますが、これもアイヌ語の「ウキタム」から来ていて、確か湿地帯とかの意味だったような。
桶の浮きは村松浜で打ち上げられているのを見た事があります。浜辺の小屋が波の侵食で中身ごと流されて昔の漁具が出てきた可能性もあります。
かねぽんさん
「つくば」という言葉も、アイヌ語から来ていると聞いたことがあります。何しろ先住民ですから、アイヌにしろサンカにしろ各地に名残はいろいろあり、けずりかけもその一つでしょうね。
樺太先住民ウィルタの守り神のセワポロロ(https://koharu2009.blogspot.com/2024/07/blog-post_15.html)がイナウに関連あるものであることは間違いないとして、福岡県太宰府の頭がけずりかけになっている鷽も関連しているのかしてないのか、想像すると楽しくなります。近海を航行して伝播させていく人の姿が浮かんだりして.....。
ガラス浮きが大好きですが、ガラスの前は桶が最強だったでしょうね。浜からは遠ざかっていますが、とくに日本海側の浜、行きたいなぁ。富山のあたりから秋田までゆっくり大遠征してみたいです(笑)。
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