2021年12月7日火曜日

矢じりと箱


骨董市で、ドングリのはかま人形などが、がさっと入ったまことさんの箱の中に、つぶれたのをセロファンテープで貼って、何とか形を保っている小さな箱がありました。
「何かしら?」


開けてみると、矢じりが入っていました。
えっ、矢じりって打製石器?縄文時代のもの?
レプリカということも考えられるし、日本のものではない可能性もありますが、黒曜石だけでなく、半透明な石の矢じりもあります。
まことさんに値段を訊くと、ドングリのはかま人形とこの箱とで1000円。本物だったらラッキーな値段でした。
つぶれた箱は捨てるつもりでしたが、内側に貼ってあるシールがかわいらしいので、修理してみることにしました。


セロファンテープをはがして、曲がっていた部分をできるだけ平らになるよう押してみました。


障子紙を小さく切って、少しずつ貼っていきました。


半分壊れかけていた箱が、しっかりしました。
森永乳業の古い箱が、ミルクキャラメルの箱に加えて2つになりました。
「ZOOチョコレート」っていったいどんなもの?と検索してみたのですが、「森永ミュージアム」に掲載されているいろいろな商品の中にも出てきませんでした。動物園チョコレートという名前なのに、絵が犬というのも、ちょっと気になります。


森永乳業のロゴマークの変遷を見ると、ZOOチョコレートは1951年から1986年の間に製造されたものでしょうか。
もし、森永を語る偽物でなければの話ですが。







2021年12月6日月曜日

ドングリのはかまのお雛さま


ドングリのはかまでできたお雛さま、女雛のはかまがちょっと割れています。
はかまは、ミズナラのはかまでしょうか。頭は豆でつくってあるとばかり思っていましたが、写真に写して拡大して見ると、わざわざ土(練りもの?)でつくっているようです。
男雛の持っている笏(しゃく)と女雛の持っている扇につけた、ただの絹糸がひらひらして、華やかでよい雰囲気を出しています。
骨董市のまことさんの店に置かれた小さな箱の中に、ごちゃごちゃと入っていたもので、最初女雛しか目に入りませんでしたが、底の方から男雛が見つかって、すっきりでした。


自然素材を利用した人形の中に、木の実や貝殻の人形とともに、ドングリのはかま(これも木の実とも言える)を使ったものもあるのですが、いったいどの地方で、誰の需要に応えるために、いつごろつくられたものなのでしょう?そして、ドングリのはかま人形の最盛期はいつだったのでしょう?
貝人形や木の実の人形は観光地のお土産ものでもありましたが、ドングリのはかま人形はお土産人形にしては小さすぎるような気もします。もっとも、京都の清水坂のあたりのように、小さいものばかり売っているところならぴったりとも思いますが。


まったく関係ない写真ですが、まことさんの店に置かれていた鳩つきのお皿です。
うちにはものがいっぱい、我が家の雰囲気でもありませんが、窯に入れて焼く手間を思って、見入ってしまいました。







 

2021年12月5日日曜日

証拠写真


半年ほど前だったか、端布の整理がてらつくったお手玉が、居間の棚の上に籠に入れたまま置いてありました。


お手玉は5個で1組、数えてみれば一応完結しています。それなのにしまってないのは、裁縫箱の中にまだ切った布が残っているからなのでしょう。どれも、母の長じゅばんや羽織の布です。
お手玉は、埃で汚れるのを恐れて、蓋のできるものに入れていますが、問題はどこに入れたかわからなくなることです。そして、
「こんなところにあったんだ!」
という発見があるにもかかわらず、またどこにしまったかわからなくなってしまいます。そんなお手玉、もう2組くらいあるはずです。


というわけで、どこに入れたかわかるよう証拠写真を撮っておくことにしました。
これなら、欲しいときに出てきてくれることでしょう。





 

2021年12月4日土曜日

壁の内側


壁は内側から見ると、周りに浅い溝ができています。
壁になる部分の周りには、外から見て枠になる、厚みが30ミリで奥行が120ミリの板を、柱と梁から55ミリ外に出るように取りつけています。
それに、壁板を張るための奥行90ミリの間柱を、外側は柱や土台と面(つら)になる位置に取りつけているので、枠材と間柱は65ミリ重なり、内側に25ミリの溝ができるというわけです。
断熱材の羊毛綿をちぎって入れるには、浅すぎてうまくいきそうにありません。


というわけで、残っていたスタイロフォームの端材を板厚より1ミリ太い31ミリほどに切って、溝に埋めることにしました。


あて木をして木槌で叩き込んでいますが、溝より断熱材が細いと断熱効果が落ちるので、つい太目、32ミリくらいに切ってしまい、叩き入れるのに意外と力を使っています。


スタイロフォームより断熱性が高いネオマフォームの端材もあるのですが、そちらは質感が違い、細く切って叩くと、粘りがないので粉々になってしまいます。それでも溝の中にかろうじてとどまるのですが、使うのは無理と判断しました。


壁を張る前に外から透湿防水シートを貼るのをすっかり忘れていたので、内側からですが透湿防水シートも貼っています。
ちなみに、母屋は板を落とし込みにしたので、透湿防水シートは使っていません。


透湿防水シートを貼ったコーナーの左側も大きな壁になるのですが、その壁の左の端から直角に曲がったところにある窓の枠との取り合いがあって、窓仕舞いの図面はできあがってはいるのですが、窓サッシの実物を見て、先に窓枠をつくってから壁をつくった方がよさそうなので、壁板はまだ張っていません。
というわけで、ここは外から透湿防水シートを貼ることができるのですが、
「どうしようかなぁ」
シートを切らないで広いままで貼れるという利点はありますが、足場が良くないので、手こずりそうでもあります。







2021年12月3日金曜日

屋根仕事、完了

屋根の上の仕事が、一つだけ残っていました。


高い屋根の北側の壁です。透湿防水防風シートを貼り、その上から板を張った上に、瓦屋さんが1段だけガルバリウムの屋根材張ってくれましたが、ガルバリウムの上に下地が見えていました。
低い屋根の下には垂木があり、ここにガルバリウムを加工して張るには手間がかかりすぎます。雨も当たらないので、最初から板を張る計画でした。


垂木が芯々1尺間隔であるので、板には切り込みを入れなくてはなりませんが、斜め線が入ると、計測が途端に難しいものになります。


垂木と垂木の間は、厳密にいえば等間隔になってはいないので、計測しなくてはならないのですが、屋根にべったり座って、のぞき込むようにしても計測しにくく、幅が合わなくてはまらず、何度も屋根の上と地上を行ったり来たりして修正しながら、やっとやっつけました。


雑、雑。仕上げたというより、やっつけたという方がぴったりです。


1人ではなく、助手がいれば、もっときれいに仕上がったかもしれません。
寝っ転がるようにして作業しているのに、コンベックス・ルールの端を持ってくれる人がいない。首を曲げても、ちょっと横からではコンベックスの字が正確に読めない。長い木をやっとはめて左手で押さえて、ビスを打とうと右手でインパクトドライバーを持ち上げた途端、板を支えた手が動いて、板がお辞儀するように頭から落ちてくる。そんなことの繰り返しでした。


とにもかくにも、本屋根の作業は完了しました。
屋根の下、緑とベージュのまだらに見えているのは下屋(げや)のルーフィングです。ここにもガルバリウムを張りますが、ここも奥はちょっと面倒なことになっています。





 

2021年12月2日木曜日

雲のショー

今朝は快晴ですが、昨朝は起きてみると土砂降りでした。予報通りに雨があがるのか訝しく思うほどでしたが、9時ごろにはあがりました。


雨があがったあともしばらくはどこを見ても灰色で、遠望もきかないで山並みが隠れていましたが、水蒸気が雲の帯になって上へと動いていくにつれて山が現れ、山肌に陽が当たりました。


さて夕方、筑波山の上の雲がにぎやかです。
笠雲かなと思い、もっと筑波山がよく見える田んぼのところまで降りてみました。


笠雲ではなかったみたいですが、雲は集まっていました。


陽が沈んでいく間、雲のショーを見ているようでした。


陽が沈んだので、帰ろうと我が家の方を向くと、


我が家の丘や裏山が残照に染まっていました。


今朝は快晴。千切れ雲一つありません。



 

2021年12月1日水曜日

年月を経て不備だらけの織物道具たち


私の糸紡ぎ車は、かつて織物を教えてくださったF先生がノルウェーで織物を習われた関係で、ノルウェーから個人輸入していただいたものです。
今では、織物を習える場所はたくさんあるようですが、1960年代には、織物を教える場所は倉敷の民藝館くらいしかなく、そこは1年間住み込まなくてはならず、定員も3、4人でした。また、女子美術大学をはじめ、各大学にも学科として織物を教えるところはありませんでした。そのため、F先生はノルウェーに留学されていたのでした。
F先生のことを紹介してくれたのは、大学の同級生のくまちゃんでした。私は家族でタイに移住したことなどから織物は続けませんでしたが、くまちゃんはその後、大学で織物を教えながら立体的な織物をつくり、それがたくさんの公共施設やホテルのロビーなどを飾った、時代の売れっ子となりました。


さて、西欧の糸紡ぎ車の原理はどれも似ていて、写真の左の糸が大きな車(はずみ車)を回すもの、右の糸が、ボビン(糸巻き)を回して、撚りをかけた糸を巻き取っていくのですが、私の糸紡ぎ車は、ボビンが軽く回らなくなってしまっていました。


外して軸棒の錆を取ったり、ボビンの穴の中に棒やすりを突っ込んで磨いてみたり、双方に蝋を塗ってみたりして、少しだけスムーズになったのですが、まだ硬めです。


軸棒に差したまま放置していたボビンより、予備のボビンはもっと固く、力を入れなくては差し込めません。
年月が経って、木が乾いて縮んで、ついでに穴も小さくなったようです。穴の太さは5ミリなので、5.5ミリのドリルで穴を大きくしたらどうだろうと考えているところです。


カーダーにも問題がありました。
当時はステンレスはまだメジャーではなく(高かったのかな?加工技術が伴っていなかったのかな?)、私のカーダーの針(歯?)や筬(おさ)など鉄でできています。そのため、すっかり錆びてしまったのですが、問題はもっと深刻でした。


特殊な紙のようなものに針を植えつけて、それを上下は金属で、両脇は革で木の板に留めてあるのですが、下地が波打ったために針の先も波打って、これでは原毛を滑らかに整えることができません。
釘を抜いて、下地をお湯に浸すと真直ぐになるのではないかと考え、試してみましたが、錆びついた釘はどうやっても抜けません。そうこうしているうちに、下地が痛んでしまいました。無理のようです。
いつも用心して、先へ先へと買っておく私のこと、3組もカーダーを持っていたのですが、すべて使えません。どうやらカーダーは新しいものを買わなくてはならないようです。

手前は私の紡ぎ車。Eさんのは台が傾いている

ご一緒に習っているお仲間は2人です。
Eさんは、糸紡ぎ中、


Oさんは、長い布を織っていらっしゃいますが、ほぼ終わりが見えて来たとのことでした。原毛を染めて、それを紡いで糸にして織りあげた時間の長さ。
サトクリフなどの物語の中の女性たちが、いつもいつも錘(つむ)を回したり織り機の前に座って家族の服をつくったりしているのとは切迫度が違いますが、長い時間が必要です。