2022年2月8日火曜日
最後の壁張り?
窓のついた壁ができたので、やっとのことで、洗面所の壁を張ることができます。
ここに張る板は長いので、木取りするときにまず切っておくと無駄が出ないので、早くから長さに切って積み上げてありました。
足場を掛け、透湿防水シートを貼って、いざ壁の内法を計ってみると、何ということ、切ってあった板の長さが数センチ足りません。
壁板の突き当たるところを、全面をガラス窓にするつもりだったのですが、夫が、
「ここの眺めはたいしたことないな。窓をちょっと小さくしようか」
と言って、サッシを注文するときに設計変更し、袖壁をつけることになったからでした。
壁板は床板と同じなので、切って置いた板は床に利用できます。まったくの無駄にはなりませんが、それでも端材が出るのは避けられません。何とかこのまま利用したいので、私も設計変更です。壁板を窓のある壁にぶつけるつもりだったのを、ぶつけないで額縁をつくることにしました。その方が収まりもきれいです。
というわけで、袖壁からちょっとスペースを開けて額縁をつくり、内法を計ってみたらばっちり、切っておいた木を使うことができました。
1枚目を張ったのを室内から見たところです。
3か月借りるつもりだったのにそろそろ1年になる足場、邪魔なこともありますが、まだまだ役に立っています。
2022年2月7日月曜日
原爆のこと
お正月に来ていた長男と、どんな漫画家が好きかという話をしていたとき、
「『この世界の片隅に』がすぐ出る?」と訊かれました。
前に彼が買ってくれて、その後、映画も見に行きました。
「あぁ、出るよ」
と探したのですが、見当たりません。誰かに貸してしまっているようでした。
「こうの史代の『夕凪の街 桜の国』は持ってる?」
「持ってない」
息子がすぐに注文してくれました。
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)には、夕凪の街、桜の国(一)、桜の国(二)の3つの物語が描かれています。
夕凪の街は、原爆投下の10年後の、皆実ちゃんの物語、桜の国(一)は原爆投下から約40年後の七波ちゃんの家族の物語、そして桜の国(二)は、原爆投下から60年後の七波ちゃんの家族の物語で、七波ちゃんのお父さんの旭さんは、皆実ちゃんの弟です。
桜の国(二)には、旭さんの回想といった感じで、原爆投下から約15年後も描かれています。
シリアスな内容にもかかわらず、絵がほのぼのしていて、くすっと笑えるところもたくさんあります。
上は、会社を休んだ皆実ちゃんを心配してきてくれた同僚の打越さんを家の外でもてなしているシーンですが、
上は疎開先の叔父叔母の養子となって広島を離れていた旭さんが、広島の大学に通うことになって実の母の暮らす、京橋川のほとりのバラックに帰って来たころの絵で、この辺りには原爆投下で家を失った人たちが、集まって住んでいました。
そして、皆実ちゃん没後50年、広島を訪ねた旭さんが、家のあったあたりにたたずんでいるところです。
お父さんがボケてしまったのではないかと後をつけてきた、28歳になった七波ちゃんの姿も見えます。
さて、これは私の母の弟(私の叔父)が、1998年に一久会(昭和19年岡山一中入学、昭和25年岡山朝日高校卒業の同期会)で話したことをテープおこしした冊子です。
14歳だった叔父は、学校命令で教師1人と生徒5人とともに広島に出かけ、到着した次の朝、路面電車のシートに座ったところで原爆に遭いました。帽子の下の頭から首にかけて割れた電車の窓ガラスが突き刺さり、骨まで見えるほどの怪我をしました。電車を降りると、怪我をしなかった友人たち3人が待っていてくれて、のちに先生とも合流、友人が拾ってきた担架に乗せて運んでくれて野戦病院で傷口を消毒してもらったものの、そこではそれ以上の治療ができず、列車が開通すると、担架に乗せられたまま岡山まで運んでもらいました。
担架は、道端で友人が見つけたもの、乗せられていた人が死んでいたので降ろして拾ってきたとか、広島から岡山までの列車の中では、叔父は見世物状態であったとか、親切な女性がなけなしのやかんをくれたとか、痛さでうなりながら叔父はいろいろ観察しています。
帰宅してからも、叔父はその担架に乗せられて、入院できるまで毎日2キロの道を通院しました。やっと入院することができましたが、傷口はなかなかふさがらず、死線をさまよい、叔父の母(祖母)は何度も、お医者さんから「もうだめだろう」と通告されました。
そんな叔父でしたが、1年ほどの闘病で奇跡的に助かり、私が知っているころは、白血球の数は半分ほどだったらしいのですが、元気でした。
私や私の家族は、叔父の口から原爆の話を聞いたことは、一度もありませんでした。それは叔父の友人たちも同じでしたが、1998年になってから、友人たちは叔父にぜひ同期会の集まりで原爆のことを話してくれと食い下がり、とうとう叔父は話す気になったようでした。
しかし、そのときの一度きりで、その後も、叔父は原爆について話すことなく、明るい生涯を送り、85歳で食道がんで亡くなりました。
| 母のきょうだい。真ん中が被爆した叔父 |
叔父の話も、読みなおしてみると悲惨ではありますが、あちこちにユーモアがあります。
何故、数人が選ばれて広島に行ったかということは、行く前も後でも秘密にされていたようですが、叔父は、戦局が終わりに近づき、優秀な兵隊がいなくなったので、教練の検定に合格した生徒の中でも優秀だった者を前線に送ろうとしていたのではないかと推測しています。
検定の合格者名簿は、6月29日の岡山の空襲で焼けて焼失していました。そのころ、岡山は広島軍管区司令部の管轄下にあったので、広島に合格者名簿の原本はあるものの、それを直ちにコピーして岡山に送るなどといった時代ではありません。
叔父は、教師からしつこく勧誘された理由を、成績優秀、眉目秀麗、字が上手な者を選んで候補にしたのではないかと話しています。長年の友人たちの前で、笑いを取ったのに違いありません。
さて、『夕凪の街 桜の国』の夕凪の街の章で、原爆投下から10年目に皆実ちゃんが急に体調を崩してどんどん悪くなったとき、
十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?
という心の声が書かれています。
ひどいなあ
てっきりわたしは
死なずにすんだ人
かと思ったのに
と思いながら、皆実ちゃんは死んでいきます。
叔父は被爆者でしたが、85歳まで生きました。
晩婚ではありましたが明るい家庭を持ち、ピアノを弾きギターを弾き、楽しい人生を送りました。
そんな叔父が、人並みに長生きしたのに原爆犠牲者として慰霊碑に刻まれることには、なぜか引っかかってしまう私です。原爆投下から10年後に亡くなった皆実ちゃんは明らかに原爆犠牲者だった。では、何歳で死んだ人までを原爆犠牲者というのかと言われれば、私には何の答えもないのですが。
2022年2月6日日曜日
首振りおもちゃ
瓢箪のアルマジロです。
メキシコのものでしょうか。頭と尻尾それに脚は木でできています。
首がゆらゆら動きますが、身体に首をどうやって留めているのか、見ることはできません。
日本の首振りおもちゃは、開口部近くで糸で結びつける方法と、身体の方に鉤形の針金をつけ、頭の方にはU字形の針金をつけて引っかけてぶら下げる方法とが取られています。
ぶら下げているのは、取り外してしまうことを考えているからなのでしょう。わが家にも、弟の節句飾りの、猫と同じくらいの大きさの張り子の虎がいて、5月の節句の時だけ飾っていました。
瓢箪の上部、開口部からは奥まったところに穴を4つ開け、木で栓をしてあるので、これが首をぶら下げるために開けた穴だとわかります。
ただ、4つの穴の中がどうなっているのかは、考えてみてもわかりませんでした。
尻尾は動きません。
2022年2月5日土曜日
窓、第1号
昨日もうっかり写真を撮り忘れるところでしたが、午後になって思いついて、根太を敷き終わった室内の写真を撮りました。
廊下の大引が入っていないところには、新たに大引を入れたりしながらの根太設置でしたが、歩きやすいように、一面に敷いた仮床の下に隠れています。
納戸は、アクアレイヤーを敷かないので、ほかの場所に先駆けていち早く本床を張りました。
水回りのあたり、洗面所とお手洗いの根太はまだですが、それは洗面所の壁を張ってからということで、後回しにしています。
その洗面所の壁は、この開口部の壁を張ったあとでないと張れません。そして、開口部の壁は窓を設置してからでないと張れません。
窓は計算して頼んだので寸法はわかっていたのですが、でも設置する前に壁は張れない、順番があるのです。
窓サッシは、1月29日に届いています。
それに、外から窓をぱかっとはめて四周を釘で留めました。
手ごろな材がヒノキしかなかったので白っぽい。経年で杉と馴染むといいのですが、室内は時間がかかるかもしれません。
これでやっと外壁を張ることができます。
昨日は窓下まで壁を張りましたが、窓下で苦労しました。
細いところに壁材がなかなかはまらず、何度も削ってやっと収めることができました。
壁を下から張らないで、窓下から張りはじめて、上下へと進むべきでした。
2022年2月4日金曜日
スピン
1996年に発行された『本を書く』(アニー・ディラード著、柳沢由美子訳)が、今年早々に文庫本(ポケットスタンダード)化されたと、訳者の柳沢さんがくださいました。
文庫でハードカバーは珍しく、美しい本だなと読んでいて、しばらくしてスピンがついているのを見つけました。スピンとは、本についている紐状の栞です。
本についている栞をスピンと呼ぶと知ったのは、『ビブリア古書堂の事件手帖(3)』(三上延著、メディアワークス文庫2012年)でした。
『ビブリア古書堂の事件手帖』の中の一話で、当時、スピンがついていた文庫本は新潮文庫だけだったので、スピンが事件解決の糸口になるのです。そして、そのメディアワークスの文庫本そのものには、スピンはついていません。
あとがきには、2011年に創設された星海社文庫にもスピンがつけられているので、今ではスピンのついた文庫本は新潮文庫だけでないと書かれています。そして、このたび創刊された田畑書店のポケットスタンダードシリーズにもスピンがついているというわけです。
かつては、ちょっとした本ならたいていスピンがついていました。しかし、だんだん本づくりが簡素化され、コスト削減のためか、スピンが見られなくなりました。
『ゲド戦記』を例にとると、ハードカバーとソフトカバーが同時に売られていた時代もありましたが、今でも残っているのはスピンのついていないソフトカバーだけです。
上の写真はどちらも作品社の本ですが、時代の古い『パレスチナへ帰る』は、ページ数が少ないにもかかわらずスピンがついていて、450ページもある『見ることの塩』にはスピンがついていません。
そんな中、宇江佐真理の単行本は、文芸春秋社であろうと集英社であろうと2000年代になってもスピンがついていて、重宝しました。文芸春秋社でも、文春文庫にはもちろんスピンはついていません。
私は夜寝る前に本を読むので、スピンがあれば栞になるものを手当たり次第に探さないでいいので、とても助かります。
さて、出版社を知るために『本を書く』のオリジナルをAmazonでさがしてみたのですが、なんと絶版で中古しかなくて、14,991円+送料でした。
「どひゃー!」
2022年2月2日水曜日
素敵な建物
大工仕事に夢中で、写真を撮ることなどすっかり忘れて過ごしてしまい、今日は何のトピックもありません。
そこで、
最近目を奪われた他人さまの写真をお借りして、お茶を濁します。
1枚目はいまタイに遊びに出かけている、タイ好き好きのHさんの写真、マハナコンタワーです。
タイの現代建築は遊び心があって、日本のビルや集合住宅とは一味違うのですが、これはまさにタイならではのビルに見えます。この下に素敵なカフェがあってそこからの写真ですが、ビルの上の方にガラスのテラスがあるのが見えますか?
Hさんは先日、このガラスのテラスに立ったそうです。高いところがわりと平気な私ですが、写真を見ただけで脚がふるえてしまいました。
壁は木を張っているように見えます。構造はいったいどうなっていたのか、アメリカにも鉄骨づくりがあったのかどうか、それともコンクリートなのか?
機能だけを追求した建物には、得も言われぬ力強さがあります。
追記:
炭鉱の建物について、もっと詳しく知りたいと思って検索したにもかかわらず到達しなかったのですが、hiyocoさんが「アメリカの大規模木造建築」というサイトを見つけてくれて、完全に木造建造物だったことがわかりました。
ペンシルバニア州のSibley(会社名)の粉砕場は1866年とありました。
ほかにも、大規模な木造の粉砕場がたくさん載っていたので、転載させていただきました。すべて、ペンシルバニア州のものです。
Storrsの粉砕場、1905年。
Bast collieryの粉砕場、1920年。
これなら木造とすぐわかりますが、Sibleyの粉砕場は、木造と考えるには想像を超えていました。
Forty Fortに建つ粉砕場、1905年のものです。
Duryea Coal Minesの粉砕場。
そしてPlymouthの粉砕場、1901年です。
すごい木造の技術があったのですね。
hiyocoさん、ありがとうございました。
2022年2月1日火曜日
小天井
まだまだ日が短くて、目覚めても暗かったり、薄暗かったりします。
そんな日に、明かりをつけた枕元の出窓を、横になったまま見上げた写真です。
母屋をつくったとき、何か所か主天井ではない天井があり、そこの素材を何にするか、いちいち楽しく悩みました。
ここは、そんな天井の中でも一番最初につくったもので、竹を網代に編んだものを合板に張りつけたパネルを使っています。
竹を網代に編んだものがどこかにないかとさがし、材木屋さんに行って、訊いてみたら、数枚残っていたこれを見せてくれました。どれも古いものでささくれたり折れたりと傷んでいたのですが、中から一番状態のいいのを選んでくれて、もうつくられていないし、半端ものだからと、ただでいただきました。
今見ると、竹の薄さがちょっと気になりますが、自分で編んだりする余裕はなかったし、これでよかったと思います。
玄関は、主天井と同じ素材、ラタンの敷物を使っています。
このラタンの敷物は、夏になるとホームセンターにいろいろなサイズで積み上げられていたインドネシア製の敷物で、とてもありふれたものでしたが、出回っていたのは前後10年くらいか、今では見かけることがありません。
寝室の出窓の天井も、ラタンの敷物でよかったのではないかと、今頃になって思ったりします。
床の間の上、神棚の下の天井は手漉き紙を貼っています。
そして、私が一番気に入っているのは土間入り口の竹を並べた天井です。
もっとも、頭の上だからほとんど見ることもないのですが、そこに竹を並べてあると思うだけで楽しい気分になれます。
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