2023年6月14日水曜日

テゴの縁

石川県の本田さんから、テゴ(野良に持って行く籠)にコメントをいただき、藁やガマを俵のように編み台で編んでつくるテゴの、縁のつくり方について尋ねられました。私も実際につくったことがないので、見ただけの推察ですが、記してみました。


まず、ガマのテゴです。
今つくられているものです。


材料を縦に使うテゴは、このような方向に、下から上へと編んでいます。
これは、右から挿した緯材(よこざい)をおり返すときに、おり返し点に縄(たぶん)を通して、抜けないように太くしてあります。
おり返したら、単純に二重にして、経材(たてざい、この場合は細い縄)を編み台の前後に動かして交差させ、締めています。


材料が柔らかくはないハマカズラのテゴです。


写真の太い縄はぶら下げるための縄で、細いのが経材です。
縁にするところは、同じ段でおり返さず、次々と別の材を挿して、左にきた緯材は遅れており返しているので、縁は斜めになり、抜けることもないので縁に別材を通す必要はありません。


これはネットで見つけた、アンギンを編んでいる写真です。
この写真でわかりやすいのですが、新しく挿した緯材(よこざい)はまず左に置いたままにして、2段前の緯材をおり返したものと新しく挿した緯材と2本どりにして、経材で締めて編んでいます。


しかし、ハマカズラのテゴは、なかなか複雑にできています。
細い材のところは2本どりにしているので、おり返した材とで3本になっているところがあります。また、経材で緯材2本を単純に編むのではなく、1本おきに交互に編んで、束ねる緯材を互い違いにして密にするという工夫もされています。


スゲ、改めガマのテゴです。


これも縁はハマカズラのテゴ同様、新しく挿す緯材と引き返す緯材を一緒に編んでいますが、縁は傷みやすいところなので、そのままおり返すのではなく、ここだけ撚りを掛けているようです。

このテゴは下の方が膨らんでいます。


見ると、内側で途中から材を足していました。
編み台の上で、まっすぐに長方形にはならず、扇状にゆるくカーブしていたはずです。


さて、最後は稲わらのテゴです。


平面に編んだものをつなげて「わ」にするのですが、ハマカズラのテゴやガマのテゴと違って、脇でつないで「わ」にしてあります。


縁が斜め線になっていません。
やってみないとわかりませんが、新しく足した緯材と、引き返す緯材を上下させて組むようにしているのだと思います。

追記:



ハマカズラのテゴの編みはじめと編み終わり、上は外側から、下は内側からの写真です。








 

6 件のコメント:

本田 さんのコメント...

春さま
 ありがとうございました。
最初のガマテゴは蒜山のものですかね。こうやって素直に折り返してくれると理解できるのですが、
曲者は、底の端の処理です。これとおなじことを口のところでやるものが新潟津南町周辺にあります。
 2番目のカズラテゴは秋田や新潟にありますが、これは底を折りたたんで作っているように見えたのですが、
もしそうであるなら、同じようなつくりのものが村上市周辺の資料(新潟県歴史博物館収蔵)にありました。
3番目のガマテゴも先にお話ししたとおり新潟県歴史博物館収蔵資料にうり二つのものがありました。
4番目のワラテゴ、これも新潟県歴史博物館収蔵資料ににたものがありました。
 カズラテゴは折り返したものも1本として編まれるのでまだ理解しやすいのです。1本飛ばすのであれば
アンギンと同じなのですが、ところが2本、3本飛ばすものは最初の出だしをどうしているのでしょう。
4番目のワラテゴの口の編み方はグミ編みというらしい(中村俊亀智さんの論文)のですが、
立ち上がったタテ材を隣タテの後ろを通し、その隣の前を通り、その隣の後ろ側に沿わせて編まれているようです。こうなるとどのように編み台に乗せて編まれているのか想像がつきません。2本は飛ばすことになるのですが、最初の2本のタテ材は重ねて編まれることないので1本となってしまいます。
 たくさん写真を撮ってきたのですが、写真を見てもよくわかりませんでした。(この編み方も途中のところを観察して理解したつもりだったのですが、いざ写真で確認しようとするとわからなくなってしまいました)。
 私は、編む人ではありません。もとは考古学をやっていたのですが、あるとき、伊藤常次郎さん(春さまならご存じかと思うのですが、白山麓の民具を個人で収集してそれを重文指定にまで持って行った方です。常次郎の春夏秋冬 朝日新聞社刊)に出会い、「考古学者、見てきたような嘘をつく、わしら、実際にやっとるもんからみたら・・・」という言葉を受け、できるだけ実際にやってみたいとは思っています。が、PPバンドやクラフトテープ止まりです。本来は木の籠(イタヤ細工のようなものです、白山麓はこれが中心です)を調べていて新潟でこのテゴにぶつかってしまい右往左往しています。この3点は側面を先に編むものですが、津南町周辺には底から先に編むものがあって、これがどんな広がりを持つのか調べています。それと同時に、細かい縁の処理や編み方の細かい違いを見ていって、「実際にやっていたもん」に出会えたらと思っています。
今回は本当にありがとうございました。また、いろいろとかご載せてください。

さんのコメント...

本田さん
コメントありがとうございました。
ハマカズラのテゴについては、編みはじめと編み終わりがわかるよう、つないである方の面を写真に撮ったのですが、これではわからないかと思い、接写を追加しておきました。おそらく、最初は何本か新しい緯材だけで編んだのかと思いましたが、それでは本数が合わないですね(笑)。
私は、籠は好きで集めただけ、しかも日本の籠については目を向けていなかった長い空白があり、ほとんど知らないと言ってもいいほどです。
伊藤常次郎さんも知りませんでした。早速本を購入します。
手仕事の道具がまだ全盛だった時代を知るものとして、ただただ手づくりの道具に出逢うと嬉しくなって、籠だけでなくいろいろ手に入れているうちに、すっかり集まってしまったというのが現状です。
世界が目まぐるしく変わっていく中で、「インドが古いものを棄てないのは希望だよね」と言っていた時代ははるか遠く、今ではインド人の友人が我が家のものたちを見て、「インドではもう何もかも消えてしまった」と言うのを聞くと愕然とします。人間が長い間かけて積み上げてきた知恵が失われてしまう、いったん消えたら再現できない小さな知恵たちを、懐古趣味ではなく、愛でたいと思っています。
テゴ、素敵ですよね。

本田 さんのコメント...

春さま

追記ありがとうございます。

春夏秋冬はもう絶版なので本屋さんでは手に入りません。
が、中古は割と出回っているので手に入るかと思われます。ヤフオクにも出てました。
ネットでもそこそこ記事があります。
以前は伊藤さんの炭焼きの弟子の方ブログが見れたのですが、見つかりませんでした。
昨年、生誕100年だったみたいで天声人語に記事があるみたいですが、有料で見れませんでした。
 なかなか厳しい方だったらしいのですが、私が出会った頃は少し丸くなり、優しく接していただきました。
発掘調査の作業員で来られていたのですが、自分の道具を自作するなどしておられました。
 かごとかも自分で作られていて、習いに行ったと聞いています。
自分は伊藤さんにモミジの材を一緒に採りにつれて行ってもらったのですが、その後が続かず、
今もその材を持っていて、いつかはと思っています。
 佐々木高明さん等、いろんな学者さんが訪問されていたみたいです。
樹皮の文化史を書かれた名久井文明さんが、ケヤキの樹皮製の雑穀の穂摘み具を調査に来られた時に、
伊藤さんの話にいたく感激して、カセットテープをたくさん送ってきて、
「なんでもいいからはなしをしてほしい、私が本にするから」と言われたそうですが、
「話す相手がおらんのに話はできん」といってお断りした、という話を聞いています。

 中村俊亀智さんの論文は下記からダウンロードできます。
編み袋の諸形態、用具論的にという題名です。
https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1148&item_no=1&page_id=13&block_id=21
このころまではまだ民具の個別の研究も盛んだったようで、割と書かれたものがみつかるのですが、
近年は市町村合併等で小さな博物館は廃止され、民具も廃校に追いやられ埃をかぶっていたり、廃棄されたり。
民俗学の方がどのような風に考えているのかわかりませんが、聞き取り等ができなくなった今、
民具資料が、考古学の遺物と同様になっていく(いる)ように感じています。

海外のかごはあまり知らないのですが、インドや東南アジアものは編み方や色が凝っていて見入ってしまいます日本のものは渋いものがほとんどですね。この違いは何なのでしょう。

さんのコメント...

本田さん
『常次郎さんの春夏秋冬』はアマゾンにありました(^^♪
楽しみにしています。
伊藤常次郎さんが生誕100年といえば、私の母と同じ年生まれです。

中村俊亀智さんの論文は、残念ながら見つからなくて、題名の『編み袋の諸形態、用具論的に』で検索したらヒットはしたのですが、内容を読むことはできませんでした。
民具の本は、図鑑のようなものでないものを何冊か持っていますが、結構(分野が)偏っていて、日本の民具の本であまり面白いものにぶつかったことがありません。むしろ、『仕事着』のように分野を決めているものの方が面白いです。広範にわたっているのだから、当たり前ですよね。

東南アジアの籠たちは、その土地で採れる材料の種類によって違ってきます。もっとも日本でもそうですよね。茨城以南の「真竹」に限ってみても、産地による質の違いがあって、必然的に形も変わってくるみたいです。

本田 さんのコメント...

春さま

中村さんの論文ですが、あのアドレスをコピーして、検索窓に貼り付け検索すると、
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館学術情報リポジトリの
編み袋の諸形態、用具論的のダウンロードページに飛びます。
そこのアクロバットマークのところをクリックするとダウンロードできます。

中村さんは中村たかをの名前で籠の論文書かれていて、民博の研究紀要に全国の竹籠の報告をしています。
ちなみに民博のデータベースでいろんなかごを見ることができます。
中村さんの調べたものはどうもここに収蔵されているみたいです。

下記のアドレスは秋田県立博物館が数年前に行ったかごの展示のもととなる調査の報告です。
https://www.akihaku.jp/cms/wp-content/uploads/2022/11/aktpmrep44_33-52.pdf
https://www.akihaku.jp/cms/wp-content/uploads/2022/11/aktpmrep42_056-065.pdf
展示は見ていないのですが、近年のかごの展示はおおきなものでした。
問い合わせたら担当された斎藤洋子さんという方が金沢美大出身で写真を送っていただきました。

民具の本、確かに面白いものないかもしれません。世界のかご図鑑くらいですかね。
おすすめと言っては何ですが、先の名久井文明さんと脇田雅彦さんの著作は面白いです。
 名久井先生は伊藤さんつながりで、知ったのですが、岩手県博時代の図録や、
名久井先生がやられている一芦舎から出されている報告は面白いです。
 脇田先生は繊維もやられる春さまならご存じかもしれませんが、ご夫婦でイラクサのことを書かれた
衣生活の民具?所収の論文が割と知られています。
脇田先生は岐阜の徳山ダム建設にかかる民具をまとめられたかたです。
重文指定後も残った民具の整理をずっとやられていて、それが打ち切りになった時に出されたのが
『揖斐川町の生活用具. ―手作り民具が語るもの』(2010 年 揖斐川町教育委員会編)で
怒りと悲しみに満ちたお手紙とともにこの冊子をいただきました。
お二人とは少ないながらお付き合いのあった方です。
名久井先生は研究者らしくきっちりとした研究の元に書かれた確かな文章書かれています。
脇田先生はものすごく優しい文章を書かれるを書かれる方で、聞き取りで地元の方のお話された部分を
カタカナで書かれるので読みづらいところもありますが、読んでいて感動します。
お二人とも「見てきたような嘘」をつくような方ではなく自分で試してみたりいろいろやられていました。
脇田先生には栃のコザワシという栃の実の食べ方や
野カラムシの採集、苧引き、糸績みを教えていただきました。
揖斐川町の生活用具は一般に売られている本ではないのですが、最近、知り合いの方が問い合わせしたら
まだ残部があるということなので、興味がありましたら問い合わせてみてください。
お二人とも民具マンスリーを含めいろいろ書かれていますので、ネットで検索すると読めるものが
あると思います。
考古学もそうですが、壊されることがなければ発掘調査されることがなく、資料がまとめられることは
あまりないのですが、民俗もダム建設で集落が消えることがなければ、まとめられることがないというのは
笑えない話です。


さんのコメント...

本田さん
中村さんの論文は、前回は「一致する情報は見つかりませんでした」という画面が出てきたのですが、もう一度やってみたらアクセスできました。
また今回いただいた斎藤洋子さんの論文も読むことができます。これから、ゆっくり読んでみます。ありがとうございました。

民博も何年か会員をやっていましたがすっかり遠のいていました。マメにいろいろ行ければいいのですが、なかなか民俗資料館のようなところにも足を運べません。すっかり出不精です(笑)。