2014年7月6日日曜日

東ティモールの絣・絣(二)

スンバ島のイカット(絣)をUPしたあと、手持ちのちょっと素敵なイカットや、ごくごくありきたりのイカットもUPしたいと思いました。
しかし、イカットの中で、東ティモールの布は確かずっと前にUPしたはずでした。そう思って、「布」と「織りもの」のカテゴリーを見返してみましたが、何故か見つかりません。
カテゴリー分けするのを忘れたのか、あるいは大きな布を写真に撮るのが面倒なのでUPしてなかったのか、そのあたりははっきりしません。もしかしたら前のものとダブるかもしれませんが、その東ティモールの布からUPしたいと思います。


かつて、仕事や会議で外国の大きい町や小さい町に行ったとき、空き時間をつくり出して、私は喜々として街をほっつき歩いたものでした。
市場があれば市場に行き、どんなものが売られているのか、端から端まで見ます。インドネシアの町では、店いっぱいに布を積み上げた布屋さんがあるのも嬉しいことでした。

スマトラ島のブキティンギで、ジャワ島のジョクジャカルタで、バリで、布屋さんの古い布の品そろえをながめていて、とく目につく織りものは、鮮やかな色の東ティモールの絣でした。
そのころ、東ティモールはまだインドネシアの一部で、長い独立運動を戦っていました。

東ティモールはその後、2002年に独立を果たしています。

イカットはインドネシア語で、「結ぶ」という意味です。
東ティモールでは絣のことをタイスと言いますが、これが東ティモール固有の言葉か、英語のtie(タイ=結ぶ)からきているのか、知りません。
だから、ここではイカットも、タイスも使わず、ただ「絣」とします。


東ティモールの絣の特徴は、鉤文の絣、絣と縞の組み合わせと、「赤」でしょうか。
 
この絣は55センチの幅の布を二枚つないで一枚の布とし、全体の幅は110センチ、長さは200センチあります。


赤は、この写真の具合で化学染料のように見えますが、天然染料(茜)で染めたものと思われます。
しかし、縞模様にしている糸の一部は、化学染料で染めたのか、あるいは市販の色糸も混ぜて使ったのかもしれません。とても色鮮やかです。


絣部分は東ティモールに固有の鉤文です。
細い縞の中にも、絣に染めた糸が見られます。


この絣は、上の絣よりもっと色鮮やかです。


絣は二色使っていますが、もちろんきまりの鉤文です。


細い縞にも絣に染めた糸を使う方法は、タイなどでも見ることがあります。縞に陰影ができて、奥行きのある布が織り上がります。
これも二枚はいであり、幅105センチ、長さ190センチです。


アイロンを当てる手間を惜しんだので皺が目立ちますが、真ん中の絣の部分、両端の縞の部分と、合計三枚の布をはいであります。


色がうまく出ていませんが藍染めの総模様です。


縞布の方にも、細い絣が入っています。
幅135センチ、長さ180センチです。


東ティモールでは、綿を栽培していませんが、伝統的には綿花を外から輸入して、それを各自が糸につむいで布を織ってきました。
でも、近年は工場でつくった糸を輸入しているようです。

上の三枚は、そんな機械で紡いだ糸(たぶん)を使っていますが、この絣は手紡ぎの糸でつくってあります。
縦(写真では横)が短く、横に四枚つないであるものを二つ折りにして撮っていますが、たぶん広げて、細くて長い「わ」にして、腰巻(サロン)にしていたものだと思います。


真ん中の二枚の布は総模様で、両端の二枚の布は藍染めの無地の端に細い縞と絣を入れて、アクセントにしています。
幅170センチ、長さ110センチです。





2014年7月5日土曜日

スンバ島のイカット・絣(一)


インドネシアのスンバ島のイカット(絣)です。
一番上の、横長の模様の真ん中あたりが布の真ん中で、二つ折りにして掛けています。 この布は「ヒンギー」と呼ばれ、男性の腰巻にしたり、肩掛けにして使われているものです。

インドネシアの島々に住む人々は、それぞれの島で、それぞれに豊かな布文化をつくり上げ、伝承してきました。織りのイカットと染めのバティクです。
とくにスンバ島のイカットは豪華な総模様で、そのモチーフの一つ一つが信仰する精霊であったり、身の回りのものであったり、動物や海の生き物であったり、インドや中国など外から取り入れたもの(象や龍)であったりと、バラエティーに富んでいます。

絣はインドで生まれて、東南アジア各地に広がり、日本へは江戸時代に沖縄経由でもたらされました。日本にはもっと古く、西方よりもたらされ、正倉院の御物として残されている絣もありますが、技術として定着したのは、ずっと後のことです。

絣には、経糸(たていと)を染めわけてから布に織る経糸絣、緯糸(よこいと)を絣に染める緯糸絣、経糸も緯糸も絣に染める経緯絣(たてよこがすり)などがあります。
インドや日本では経緯絣が多く織られ、タイ、カンボジアでは緯糸絣(よこいとがすり)が、インドネシアやマレーシアでは経糸絣(たていとがすり)が多く織られています。


ち なみに、スンバ島のイカットにもモチーフが取り入れられているインドの「パトラ」は、絹の経緯絣(ダブル・イカット)で、これ以上の絣はどこにもないという、世界最高のものです。
(写真は、19世紀のパトラ。『Traditional Indian Textiles』、JOHN GILLOW著、T & H社発行、1991年より)
パトラはインド各地で織られていましたが、今ではグジャラート州のパタンに残るだけです。


インドネシアのイカットは、経糸と横糸を一本ずつ交互にくぐらせる平織りですが、絣に染める経糸に緯糸よりも太い糸を使い、しかも経糸を密に織り機に張るので、緯糸がほとんど目立たず、したがって経糸に染めた模様がくっきりと浮かび上がってきます。


この写真はスンバ島ではなく、ロンボック島のもの、絣の模様をつくっているところです。
経糸を並べて、何本かまとめて模様にくくると、くくったところが染まらないで残され、糸の染めわけができます。

スンバ島のイカットとは模様が異なりますが、くくり方は同じです。
上にぶら下げてあるのは、くくり終えて、染めるばかりになっている糸です。


インドネシアでは、かつては糸をくくるのに、ヤシの若い芽などを使いましたが、今ではビニールテープの荷紐を細く裂いて使っています。タイでやカンボジアでも同じです。
ビニールテープは安価でどこでも手に入り、使いたい太さに裂くことができ、防水性があるので染料がしみ込むのを防げる、とても便利な素材です。

ビニールテープの色を変えてくくっているのは、三色か四色染める予定で、一色染める毎に、違う色のビニールテープをほどくためでしょうか。
ある色を染めたら、くくった箇所の一部をほどくことによって、たとえば三色染めるだけでも、色の重なり具合が違うところができ、複雑な色が得られます。
スンバ島の染料は、


アカネ科植物の根、


マメ科のインド藍、


 ウコン(ターメリック)などです。


これはスンバ島の写真です。
くくった糸をアカネ科植物の根で赤褐色に染め上げ、干しています。自分の思う濃さになるまで、同じ色でも何度でも染めます。


地機を織っているのは、スラウェシ島のトラジャ人の女性です。
これは絣ではなくて縞模様ですが、スンバ島でもほぼ同じような織り機で、同じように織ります。ただ、絣は模様を合わせて微調整しながら整経(せいけい)するので、織り機に掛けるまでに長い時間がかかります。

布は出来上がり寸法の二倍の長さに織り、織り上がったら半分に切って幅をつなげて一枚の広い布にして、二枚一緒に端の始末をします。

制作風景の写真はどれも、『TRADITIONAL INDONESIAN TEXTILES』(JOHN GILLOW著、BARRY DAWSON写真、T & H社発行、1992年)から拝借しました。


元はどんな色だったかわからないほど色褪せている、やはりスンバ島のイカットです。こうして掛けてみると、なんとか模様が浮かび上がってきます。


模様はなかなか複雑で、さまざまな人や動物が描かれていて、躍動感もあります。


猿、蛇はわかりますが、猿の上や下の動物は何でしょうか?人の脇には鳥もいます。


これは、『TRADITIONAL INDONESIAN TEXTILES』に載っていた、スンバ島のイカットです。
私のイカットは、やむなく半分に折って写していますが、本に載っているのは、広げて写してあるので全体がわかります。長さは二メートルほど、模様は真ん中を境にして、反転させているのが一般的です。
織りあげた布を半分に切って、幅をつなぐので、一枚織りあげるのに、織り手の方を向いている模様、反対を向いている模様というふうに交互に、同じ模様を四つ織ることになります。

模様のつくり方です。
糸をくくって模様をつくるとき、上のイカットを例にとると、ワニの間に立っている人は左右対称ですから、小さいワニ、大きいワニと「縦半分の人」で一つのユニットになっていることがわかります。そこで、八ユニット分の糸を一緒にくくると、イカット一枚分の糸が用意できます。
織っているときには、織り機の上にはワニが四匹並んであらわれ、あとで長さを切って幅をつなぐと、横並びに八匹になるというわけです。

今は下絵を描くのが一般的になっていますが、かつては下絵もなしに、思いつくままに糸をくくったそうです。
模様を考えるだけでなく、色が重なった部分も想像しながらくくらなくてはならないので、複雑なものだと仕上がるまでに、一年もかかります。もっとも綿を育て、糸を紡いでからですから、もっと時間がかかります。


スンバ島には象はいませんが、インドのパトラを見て、それを参考にくくり、自分たちの模様である「スンバの人」と組み合わせてあるイカットです。
こんな布をまとって、人前に出るとき、男性がどんなに誇らしかったか、想像がつくというものです。


めったにないものですが、中には一枚の絵のように模様がつくられいるものもあります。
くくる手間としては二倍、ちょうどヒンギー二枚分の手間がかかっていますが、見事です。

人間はどうして手間暇かけて美しいものをつくろうとするのか?
たぶん、生きていることの証としてつくっているのではないかと思います。





2014年7月4日金曜日

キティちゃんのトイレットペーパー


「お母さん。キティちゃんのトイレットペーパー買ったから、一つどうぞ」
「わっ、ありがとう。大切に取っておくわ」
「そんなこと言わないで使ってください」
息子の連れ合いのアッチョから、キティちゃんのトイレットペーパーをもらいました。
夏バージョンらしく、花火や朝顔がちりばめられています。


キティちゃんも浴衣姿です。
 

豪勢なことに、息子の家では本当に使っていました。
「使える?使えないよなぁ」
私は招き猫の部屋に飾りました。




2014年7月3日木曜日

クマのプーさん

しばらく前に、karatさんが、『クマのプーさん』をご自身のブログにUPしていらっしゃいました。それを見て、我が家にあるはずの本、『クマのプーさん』が、本棚の見えるところには並んでないことに気がつきました。
私もプーさん好きですが、とてもkaratさんのプーさん好きにはかないません。
 
それからしばらく経って、facebookで、topcatさんが、お友だちからもらったという、ディズニーランド土産の、プーさんのお菓子をUPしていました。
 

黄色くて赤いベストを着たプーさん(と呼ぶもの)を、私は一度も「プーさん」と認めたこともなければ、関心を寄せたこともありませんでした。
でも、巷には本物の「クマのプーさん」よりこちらの「くまのプーさん(とひらがなで表記するらしい)」の方が出回っていて、ユーフォーキャッチャーの中に縫いぐるみがあったり、駐車中の車の中に縫いぐるみが飾られたりしているのを見ることがあります。

これがtopcatさんでなければ、
「ふんっ」
と、あっさり見過ごすところですが、若いとはいえ、「本物」に造詣の深いtopcatさんと、ディズニーのプーさんの組み合わせには、たかがお友だちからのお土産のお菓子の話ではありますが、なんだか違和感を覚えました。
そこで、老婆心を発揮して、本物の『クマのプーさん』を知っているかどうか、たずねてみました。
なんと、topcatさんは知らなかったのです!!!!!

 
我が家では、スペースのわりに本の数が多いので、本棚は奥行きを持たせて二重に入れられるようになっています。しかも、高いところの本棚もあり、大きい脚立を持って来ないと見ることもできません。
ただ、高いところにあっても一部は、二階に行き、手前の本を引き出して奥の本をの前後逆さにしてみれば、何の本か知ることができます。
ちょっとさがしてみたら、思っていたより簡単に『クマのプーさん』と『プー横町にたった家』(A.A.ミルン作、石井桃子訳、ともに岩波少年文庫)が見つかりました。


まだどこかに、この二冊分が一冊に収められている古い単行本の『クマのプーさん』と、バンコクに住んでいた頃に手に入れた、ペンギンブックスの『Winnie-the-Pooh』があるはずですが、それをさがすには、もっと時間が必要です。



A.A.ミルン(1882-1956)作の『クマのプーさん』 は、イギリスで1926年に発表されました。
ミルンの息子のクリストファー・ロビン・ミルン(1920-1996)と、彼の縫いぐるみたちのものがたりで、発表当初から挿絵はE.H.シェパードが描いたものでした。


クマのプーさんの物語とE.H.シェパードの挿絵は不可分のものと思われますが、1960年代からディズニーによって一連のアニメーション作品がつくられ、似ても似つかぬプーさんが世間に定着しました。


例えば『赤毛のアン』なら、もともと挿絵がないので、挿絵が入った版やアニメーションを見たとき、それを自分が受け入れるか受け入れないか、人それぞれに判断できます。
アン風に言えば、どのアンを受け入れるか、受け入れないか、「想像の余地」が残されています。


ところが、『クマのプーさん』や『ドリトル先生』シリーズ、『大きな森の小さな家』シリーズなど、挿絵が最初からある場合はどうでしょう?
しかもその挿絵がまたとないほどぴったりしたものだったらどうでしょう?
到底、他のものは受け入れることができません。


私にとっては、『クマのプーさん』と『くまのプーさん』(ディズニー版)、『Winnie-the-Pooh』とWinnie the Pooh』(ディズニー版)は、後者は見たこともありませんがまったく別物です。
全くの別物ですから、これまでなんとも思わなかったのですが、原作を知らない人が増えているなら、とても寂しい気持ちがします。
 

プー、 コプタ、カンガとルー、イーヨーなどは、全部クリストファー・ロビンの縫いぐるみたちでした。


A.A.ミルンが、息子の実名で物語を書いたため、クリストファー・ロビンはその後の生涯において、人々が求めるクリストファー・ロビン像と、現実の自分とのギャップに苦しみました。

しかし、晩年はその問題を乗り越えたのか、実名で、『クマのプーさんとぼく』(晶文社、日本語版は1979年)という自伝的な本を著わしています。
この本も持っているのですが、すぐには出てきません。


久しぶりに読み返してみましょうか。
見つかった本は、子どもたちのために買った本で、私の本は古い単行本ですから、まず見つけるのが先決なような気がします。
やれやれ。
きっと、手の届かない棚の、しかも奥にあるのでしょう。



2014年7月2日水曜日

バナナ(芭蕉)の繊維

かつて、身近な植物から繊維を取り出し、つなげて糸をつくり、織って布にする生活が日本全国にありました。
今でも、クズ布、シナ布、カラムシ布などが、各地で細々とつくられていますが、最も確かに伝承されているのが、沖縄の芭蕉布です。
芭蕉布づくりは、戦前は沖縄のどの地方でも見られ、祖母から母へ、母から娘へと受け継がれてきましたが、戦後はそのほとんどが消えてしまいました。
そんな中、喜如嘉では平良敏子さんの努力によって芭蕉布を残すことができたのです。

平良さんは二十代で勤労隊として岡山県の倉敷に赴きましたが、戦争が終わって、どうしようかと考えていたとき、倉敷紡績の社長の大原総一郎さんと、民藝運動のリーダーの一人であった外村吉之助さんから、
「沖縄の織り物を守り、育てて欲しい」
と、励まされました。
平良さんはその言葉を真摯に受け止め、沖縄に帰ると芭蕉布づくりを知っている人たちに声をかけて協力を求め、技術を磨き、そして後継者育成に励んできました。

そんな喜如嘉でも、近年は携わる人たちの高齢化が進み、とくに「苧績み(うーうみ)」と呼ばれる、糸をつなぐ作業のできる人が減り、また、材料を集めるのも困難になるなど、不安材料もいろいろあるようです。
  

糸を採る糸芭蕉は、あまり肥えていない潮風のあたる土地でいじめて育てます。
繊維を柔らかくするために、年に三、四回、芯を切り落とします。


二、三年経って芭蕉が成熟すると切り倒し、一枚ずつ皮をはぎ、固さによって繊維を四種類に分けます。
一番外側は、ほんのりと緑色が残る皮までで、繊維が固いのでクッションやテーブルクロスに使い、二番目はネクタイなどに使います。
そして、三番目を着物を織る糸にします。
四番目は芯に近い部分なので柔らかいのですが、三番目の糸と混ぜて織ると、茶色く変色してむらになります。そのため、染めて使う糸だけに用います。


いちいち書きませんが、切り倒したあと、気が遠くなるようないくつもの工程を経て、芭蕉の繊維は糸となり、やっと織り機に掛けられます。

織りものは、知らない人から見ると、織っているところに技術が集約しているように見えます。
ところが実際は、すでにできあがっている糸で機(はた)を織るときでさえも、整経(せいけい、織り機に経糸(たていと)をかけること)して、あとは織るだけという段階までできたら、全行程の半分から七分目の作業が終わったようなものなのです。

これが糸をつくるのがたいへんな芭蕉布であれば、織り機にかけた時点で、たぶん99%くらいは出来上がった気がするのではないかと、想像してしまいます。


『いとなみの自然布展』で、沖縄県喜如嘉の芭蕉布について書かれた、薄い冊子を手に入れてきました。冊子には芭蕉の」実物がおまけでついていました。
というか、芭蕉布のことは、『季刊銀花』(文化出版局、廃刊)などで知っていましたが、このおまけに釣られて冊子を求めたようなものでした。

写真の左から、皮、繊維にしたもの、そして糸です。


芭蕉糸の特徴は、苧績み(繊維を裂いたものをつなぐ)のとき、繊維と繊維に撚りをかけてつなぐのではなく、結んでつなぐことです。


ところで、しばらくまえからバナナ(芭蕉の仲間)の繊維でつくったバッグを使っています。
ケニア産です。


これまで、ずいぶん長い間、肩に掛ければ両手を空けられるショルダーバッグ一辺倒でした。
仕事をしていた頃はもう少し大きいバッグを使っていて、七つ道具を詰めていました。
「爪切りある?」
「はさみがある?」
などと乞われるたびに、さっと取り出して、友人から、
「まあ、このバッグだけで、しばらくはサバイバルできるね」
などと、言われていたものでした。

最近は、さすがに爪切りまでは入れていませんが、それでもいろいろ入っています。
財布、眼鏡二つ、鍵、カメラ、裁縫道具、小さなレジ袋、エコバッグ、はさみ、薬手帳、ノート、ペン、櫛、ティッシュ、ハンカチなどなど。急に出かけることになっても、これさえつかんで行けばなんとかなります。
ところが、小さめのバッグにいろいろ入れるものだからいつもぱんぱん。順序よく詰めないと、ファスナーを閉めるのも一仕事でした。


バナナバッグはその手間を解消してくれました。
無精に拍車をかけるようですが、ただ放り込めばいいのです。
小さいので、トートバッグのように、奥に何を入れたか見えなくなるほどではありません。持ち手を一つ離すとぱっと口が開いて、欲しいものが一目で見渡せます。

バナナの繊維はサイザルほど固くないので、着ているセーターが擦れて、けば立ったりすることもありません。
どんな素材だったか忘れましたが、以前使っていた籠バッグの中には、使っているうちに繊維がぼろぼろ崩れて、そこいらじゅうにゴミが落ちてくるものもありました。


バナナは木ではなく、草に分類され、一本の茎には一度しか実が生りません。
バッグをつくるには、糸芭蕉ほどデリケートに、細くてしなやかな繊維を取り出す必要はないので、実が生ったあと切り倒して繊維を採れば、一石二鳥です。もっとも、バナナは実だけでなく花や葉も利用できますから、一石二鳥どころか、一石三鳥にも四鳥にもなるのでしょう。
経(たて)糸には、目方がかかりますから撚りをかけた「紐」を使っていますが、緯(よこ)糸はただ繊維を足しながら編んでいるように見えます。


持ち手も持ちやすく、丈夫で、当分ショルダーバッグの出番がなさそうです。




2014年7月1日火曜日

うなぎとトラ

犬のうなぎが、居間で吠えていました。
なにごとかと台所の方からのぞいて見ると、座布団にくつろいでいる猫のトラに向かって吠えているのです。めったにない光景でしたが、そのままにしておきました。
しばらくしても、ときおり吠え、うなぎはトラのところから離れようとしません。
「なんだ、なんだ」
と腰を上げて見に行くと、トラが右耳の前から血を流していました。

さっそくK医院に電話して、診てもらうことになりました。
トラを入れるケージを引っ張り出すと、うなぎが心配そうに見ています。
「うなぎ、一緒に行く?」
うなぎは、喜んでついてきました。

「古い傷の、中が直りきってなくて膿んだんだな」
耳の前の小さい傷は、私が発見した時はもうすっかり乾いていたので、診てもらいもせずそのままにしておいたものです。
「治療しないと何度でも膿むから、中に薬を入れる治療をするよ」
最近は、飲み薬の代わりに、傷口に入れておくと二週間効き続ける抗生物質ができて、直りは以前より確実になったそうです。
でも、それを傷口に打ち込まれるときには一瞬痛いということで、トラは念のため猫袋に入れられました。


猫袋はファスナーを閉めるのもやっとの小ささです。
いろいろなサイズがあったので、
「これ、小さすぎません?」
と聞いてみました。
「小さいくらいがちょうどいいの。猫はね、この袋がけっこう好きなんだなぁ」
「そうかなぁ」
トラの屈辱を尻目に、やっと袋に収まったところを記念撮影です。

そのあと、私は外に出され、トラがぎゃっと言うのを待合室で今か今かと待っていました。
ところが、トラがたいして叫びもしないうちに、K先生とKちゃんが大騒ぎしているのが伝わってきました。
「わぁ、トラちゃんにやられちゃった」
「Kちゃん二日続きじゃないか。臭い!」
私は扉の外から声をかけます。
「終わりました?」
「終わったよ。トラちゃんが盛大にやっちゃったよ」
中に入ってみたら、トラがおしっこを漏らしていました。
「うえっ、申し訳ないです」
「いいの、いいの」

とらは、三年前に原発事故で避難したときのホテル暮しでも、粗相をしたことがありませんでした。今回の治療はよっぽど痛かったのでしょう。
「まあ、麻酔なしだったからねぇ」
人間だったら、盛大に文句を言うところでしょうか。


トラの右耳の下に白くて細い管が見えます。これが入れた薬の先端で、入れた二日後(明日)に抜かれることになっています。
 

管を入れたままで痛いのか痛くないのか、襟巻ですっかり元気をなくしたトラを、うなぎは気にしていて、つかず離れずです。
それにしても、うなぎはトラの異変をよく見つけたものです。

外で、余所の猫にトラが唸ったりした時には、うなぎは狂ったように吠えて駈けつけます。トラが大切な仲間だと思っているのでしょう。

ところが、トラときたらうなぎが廊下を駈けてくるときはいつも、さっと物陰に隠れておいて、いきなり飛びついて、うなぎの肝をつぶさせます。
まったく、うなぎの心トラ知らずです。


エリザベスカラーをつけたままでは、トラが犬猫出入り口を通り抜けることができないので、その日のうちに取り外しました。なんとか、傷口を手でひっかいたりしてはいないようです。

トラは今日も元気がありませんが、あと一日の辛抱、明日は管が取れます。