2024年12月22日日曜日

アチックミューゼアムの収蔵品


渋沢敬三が主宰した「アチックミューゼアム(屋根裏部屋の博物館)」は私の憧れですが、国立民族学博物館の会員になって、月報や季刊誌を手にしていたのはもうずいぶん昔のこと、アンテナを張っていない私は、2013年にアチックミューゼアムの収蔵品を引き継いだ大阪の国立民族学博物館で、「屋根裏部屋の博物館特別展」が開かれたことを知りませんでした。
写真は、その特別展のときにつくられたカタログです。

私のもの集めは、ご縁があったときにご縁があったものに限られており、アチックミューゼアムの、お金も時間も掛けて研究の対象として網羅的に集めたものとは違いますが、おもちゃからはじまって民間信仰に関心を寄せ、美術品ではなく、生活の中で使われたものに関心を持つという意味では同じ思いを持っていた者と言えるかと思います。同好の士として、ここに集った方々のお話を聞いてみたかったと夢想します。


その昔、仲良くしていたするどい友人に、
「あんたの持っているものは、自分ではお宝だと思っているかもしれないけれど、はっきり言って、他人から見れば全部ガラクタだよ」
と、大笑いしながら言われたことがありました。それを最大の誉め言葉として、愛しいガラクタ集めに精を出してきた私にとって、アチックミューゼアムの収蔵品はどれも懐かしく、カタログを見ていて見飽きることがありません。
よく知っているもの、はじめてお目にかかるもの、どれもかけがえのないお宝に見えます。

茨城・北相馬郡

上の写真は絵馬です。本当のはさみを貼りつけています。大人がクソ真面目にこんなことをやっていたなんて、嬉しくなってしまいます。
ハサミを奉納する人としては、仕立て屋さん、植木屋さん、革職人など考えられますが、この人はどんな人だったのでしょう?
西洋ばさみは紀元前1000年ごろギリシャで羊の毛を切るためにつくられたのが起源とされています。正倉院御物の中にX形のはさみがあることから、奈良時代には日本に伝わってきていたものの、日本で使われていたのは握りばさみで、明治になって洋装のための生地と西洋ばさみが輸入されるまで、着物地は「裁ち包丁」で裁断されました。


稲さらでつくるわらじやわら草履は知っていましたが、足半草履(アシナカゾウリ)というかかとのないわら草履が、かつては広く普及していたことは全然知らず、足半草履は現代になって健康のために履く人のために考案された、くらいにしか思っていませんでした。
足半草履は、足指がスパイクの役割をして(痛そう!)、滑らない、泥跳ねをあげないで素早く歩けるので、合戦や飛脚には必須だったそうです。

便所用捨木、左から愛知、岩手・葛巻村、静岡・水窪町

火を熾すときの付木(つけぎ)は知っていましたが、用を足した後お尻の始末をする捨木(すてぎ)の存在は、聞いたことがあったような気もしますが、頭からは抜け落ちていました。お尻の始末をするなら、捨木より葉っぱの方が容易に想像できます。

新潟 小出村

稲わらの沓(くつ)は、かつて岩手県雫石の荒物屋で実用のために売っているのも見たことがありますが、手袋の存在は知りませんでした。
その荒物屋では、やはり稲わらでつくった馬の鞍なども売っていました。

鹿児島・喜界島

アチックミューゼアムの漁労の筌(うけ)の収集は見ごたえがあります。

滋賀・堅田町

筌はいろいろな形のものがありますが、世界的に形が似ているのが特徴です。
カタログの中に、今はプラスティックになってしまっている琵琶湖のエビ用筌がありました。これは、カンボジアの川海老の筌とそっくりなのも面白いところです。

さて、人々が生活で使う道具を「民具」という言葉で呼んだのは渋沢敬三さんです。それまで学会ではそのような道具は「土俗品」と呼ばれていました。





 

2024年12月21日土曜日


Kさんが栽培した「大野芋」を持って来てくれました。


一株がバスケットボールより大きい、たくさんの子芋がついていました。
大野芋とは福井県大野の名産の里芋のこと、ねっとりとしたとてもおいしい里芋です。10年ほど前か、大野出身のMさんにいただいたものをKさんにおすそ分けしたところ、Kさんが毎年じょうずに育てているのです。
そのKさんの目が、庭の、枝を払って転がしておいた桜の木に止まりました。


「あれは桜?」
「そうよ」
「薪にするの?」
「そう」
「桜はなめこのいい原木になるんだよなぁ」
「いいよ持って行って。切ってあげましょうか?」


直径13~18センチくらいの太さのところを1メートル弱の長さに切ってあげました。


「あの太いのはどうするの?」
Kさんの視線の先には、幹の一番太いところがありました。割らないとストーブで燃やせないので、後回しになりそうなところです。
「あれも欲しかったら持ってっていいよ」
「あれくらい太いと、2、3年楽しめるんだ」
こちらは、Kさんに自分で切ってもらいました。直径は20センチ以上あり、重いので4つに切りました。


きのこ好きのKさん、ちょうど桜の木を探していたところだったそうです。
よかったね、桜の木。第二の人生が送れて。

夫に切られてしまった桜もナンキンハゼも、切り株からたくさんのひこばえを出しています。ナンキンハゼは太そうなのを2、3本残しておいたら、育ちそうですが、ソメイヨシノもひこばえから育つでしょうか?





 

2024年12月20日金曜日

たけちゃん


昨夜、九州から孫のたけちゃん父子がやってきました。
福岡空港と茨城空港を結ぶ航空便は1日に1往復あり、便利です。
半年ぶりに会うたけちゃんは、
「よっしゃぁ」
や、
「めんどくせぇ」
を連発し、
「腹がへったぜ」
はともかく、何をしゃべるときもこの調子を当てはめようとするので、言い回しがおかしくなったりしています。
お父さんもお母さんもそんなじゃべり方はしないので、何かアニメでも見たのでしょうか?


たけちゃんのお父さんが、我が家の食卓の照明器具に何度も頭をぶつけたと文句を言っていると、
「私は子どもだから、ぶつけないよ。子どもは最高!」
と言っていました。
たくましく育っています。




 

2024年12月19日木曜日

お手洗いのマット

お手洗いには、冬場だけ無印良品のトイレマットを敷いていました。


この冬も敷こうとマット類を入れた籠の中を見ると、2枚あったのに、1枚しか見あたりませんでした。洗い替えにもう1枚要ると、無印良品のネットショップを覗いてみましたが、トイレマットはもう扱っていませんでした。
冬、とりわけ夜中に素足でお手洗いを使うとき足が冷たいのが問題なだけなので、考えてみれば、便器に沿うようにつくられている必要はなくて、長方形のマットでかまいません。 
ところが無地となると質感が大事、探してもで気に入ったものが見つからず、模様入りのものにしました。


ぺらぺらしていないし、洗濯もできるしで気に入りましたが、模様が派手なせいか、ドアを開けるたびに、とくに黒い花が目に飛び込んできて、「わっ、何か落ちてる!」と、ギクッとしてしまいます。


半月も経ってやっと慣れてきましたが、今でも黒い花は目に飛び込んできます。そして、花の模様なのに、なぜか巨大な猫の足の裏に見えたりします。
でも、素足に暖かいので、満足しています。





2024年12月18日水曜日

招き猫のストラップ

「どこへしまったかなぁ、ずいぶん売れたんだけど、1つ残しておいたんだ」 
骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんが、わざわざ残してくれていたという招き猫を、あちこちひっくり返して探してくれました。
「ここに、達磨があるでしょう。これと同じだけど招き猫で手を挙げているの」
達磨のストラップは、全然かわいくありません。招き猫もどんなものか、と全然期待しないで見ていたら、とうとう見つかりました。


「あらっ、高崎張り子猫だ」


木の枝を半分に割ったところに焼きごてを当てて猫を描き、紐を回して大きな鈴をつけ、おそらく車のルームミラーに吊るすものとしてつくられたのでしょう。
曲面に焼きごてを当てるのは、技術が要りそうです。


裏には「招福厄除」の焼き印があり、顔は高崎張り子の顔をしているし、達磨もあったので、毎年お正月に開かれる高崎だるま市で売られていたものかもしれません。


だるま市は毎年、1月1日と2日、もうすぐです。
養蚕が盛んなころ、蚕の敵であるネズミ避けとして張り子の招き猫がつくられるようになったと言われていますが、養蚕が廃れて、招き猫は交通安全に駆り出されたのでしょうか?
そういえば、ルームミラーに何かをぶら下げている車を、あまり見かけなくなりました。







2024年12月17日火曜日

生ゴミよ、キエーロ

以前、庭に堆肥を積んでいましたが、カブトムシが卵を産み、たくさんの幼虫が育っているところをイノシシにひっくり返されて食べられてしまうので忍びなく、やめてしまって生ごみを燃えるごみとして捨てていました。
でも、何とかしたいと思い、生ごみ処理器を庭に置いているM+MのMちゃんに、使い勝手はどうかと尋ねたことがありました。
「うちのはあまり使い勝手がよくないの。Yちゃんが勧めていたのはどうかしら? 訊いてみるね」
と、Mちゃん。
しばらくして、それが「キエーロ」という名前であることがわかり、一緒に手に入れることにしました。那珂市の大工さんの家でワークショップをすると言われ、それぞれの日程を調整して、12月16日と決まったのは、もう2カ月も前のことでした。
私もMちゃんも、なぜ八郷ではなく那珂まで行くのか、そしてワークショップとはどんなものか知らないまま、昨日、軽トラックを運転するYさんの後ろについて、Mちゃんと一緒に那珂市の大工さんのNさんの家に行きました。


行ってびっくり、何かお話を聞いたりしてキエーロを受け取って帰るのではなく、その場で自分で組み立てるのでした。参加者が2人以上いればワークショップを開くとのこと、参加者はMちゃんと私だけで、Yさん、那珂市で環境運動をしている女性の方、そして大工のNさんがサポートしてくださいました。


材料が揃えられていて、枠がつくってあって、それにしたがってつくればいいとはいえ、インパクトドライバーに触ったこともない人は大変ですが、私は親しんでいたし、Mちゃんも我が家を手伝ってくれて経験ずみ、なんとかつくり進みます。
間伐材を丸棒にした材料はヒノキと杉の2種類あり、箱の下になる部分にヒノキを使います。


まず短い面に丸棒を半分に割った材を張り終えたら、長い面を張って立体にしていきます。


床はちゃんと丸く穴を開けてくれています。


床はビス止めせず、置いただけの仕上げでした。


各自手づくりと言いながら、最後は大工のNさんが仕上げてくれました。
そして、Yさんが軽トラックで、家までできたキエーロを運んでくれました。

土を八分目ほど入れ、穴を掘って生ごみを入れると、ゴミが消えてしまうので「キエーロ」という名前がついているそうです。土だけで、EM菌のような菌を入れる必要もなく、弱っているなと思ったら、糠など入れてやればいいのです。できれば陽当たりのいいところに置いて、分解を促さなくてはなりません。

今日はどこに設置するか決めて、よい土を探そうと思っています。






2024年12月16日月曜日

ウサギは跳ねる!


骨董市でおもちゃ骨董のさわださんが、ジャンピングバニーのデッドストックを持っていました。


上半身がブリキ、下半身はハードプラスティック、耳は柔らかいプラスティック、台湾製です。
戦後、安いおもちゃでアメリカ市場を席巻したのはMADE IN JAPANでしたが、1960年代になると、アメリカのスーパーマーケットやホームセンターで買える安い袋入りのおもちゃはたいてい香港製でした。
そのあとを台湾製が追ったのでしょうか?


我が家にいるジャンピングトイは、プラスティックの日本製です。1991年に、茨城県荒川沖に日本トイザらスの1号店ができて、子どもたちと行って、そこで買ったのではなかったかと記憶しています。


日本製は、ジャンプするものだけでなくひょこひょこ歩いたり、スノーボードで回りながら走り抜けたりするものもあります。傑作は猫で、しっぽがゼンマイのネジになっていて、ネジを巻くとそのネジが戻るとき、尻尾の形状から猫がひっくり返って一回転してまた走り出します。


ジャンピングトイでいえば、左の中国製は、ジャンプするだけでなく手に持ったニンジンを口に運んもだりする、優れものです。
でも、かわいくない。見るたびに自分で買ったのに、「処分しちゃおうかなぁ」と思ってしまいます。


プラスティックでさえ、古いものは風格が感じられるのは何故でしょう?


ブリキではジャンピングトイをつくるのは難しかったのか、それ以前のゼンマイの小さなおもちゃは、前に走るだけでした。
とここまで書いてUPして検索してみたら、中国製のブリキのジャンピングトイがありました。日本製の汽車と消防自動車のコピーもつくられていました。