2024年5月29日水曜日

『赤毛のアン』再読


2023年12月、カナダの作家モンゴメリの『赤毛のアン』の、松本侑子さんによる全文訳の最後の巻『アンの娘リラ』が発刊され、シリーズが完結しました。
『アンの娘リラ』は、発売と同時に買ったのですが、内容を知っているので数カ月手に取ることもせず、今頃になってやっと読みました。
『アンの娘リラ』では、第一次世界大戦が勃発、7巻までののどかさが消え、豊かな自然に包まれておおらかに育った子どもたちの生活は一変し、男の子たちは志願して戦場に赴き、残された家族たちがはるか離れたヨーロッパでの戦況に一喜一憂する、苦しい4年半が描かれています。モンゴメリ自身が克明につけていた日記に基づいて書かれたものと思われ、戦場と銃後の様子が、手に取るように詳しく描かれています。私はゴラン高原で見た塹壕を思い浮かべながら読みました。

以下、余談です。
『赤毛のアン』全訳版では、本の題名などは村岡花子訳を踏襲していますが、第6巻の『炉辺荘のアン』の「炉辺」が、私にはなかなか馴染みませんでした。というのも、村岡訳では、「炉辺荘」には「イングルサイド(INGLESIDE)」とだけルビがふってあり、私はこれまで勝手に「炉辺」を「ろばた」と読んでいました。
ところが、松本訳では「ろへん」とルビがふってあります。私の人生で「ろばた」という言葉は使っても「ろへん」という言葉は一回も使ったことがなかったので、戸惑ってしまいました。
でも、『新明解国語辞典』(手元にあった)にも「炉辺(ろへん)」は載っていますから、私が知らないだけかもしれません。それにしても、囲炉裏端などを「ろへん」と呼ぶ地域が、実際にあったのでしょうか?






 

2 件のコメント:

rei さんのコメント...

好きな作家の一人である梨木香歩の随筆「炉辺の風おと」を読んだ時、最初は「ろばた」かと思っていましたが、どうも「ろへん」と読むらしいと気づきました。
確かに、「ろばたのかざおと」よりも「ろへんのかざおと」の方がこの本のタイトルに合っているかもしれません。

さんのコメント...

reiさん
「ろばたのかざおと」と「ろへんのかざおと」何度か比べてみたけれど、確かにろへんがしっくりきますね。でも、私は実生活の中でろへんを使うことはなさそうです(笑)。言葉は生きているので、変わっていきますが、だいたい炉辺が現代生活にはあまりないですね。
「書きにくい」とか、「生きにくい」は、この頃では「書きづらい」、「生きづらい」の方が多く使われるようになって、あまり耳障りではなくなりました。でも「来れる」「出れる」などはまだ、いちいち気になります。『アンの娘リラ』にも、「戻ってこれなかった」というのがあって、どきっとしました(笑)。NHKではまだきちんと「来られる」「出られる」と言っていますが、そのうち変わってしまうかもしれません。
いつだったかラジオで、アナウンサーの話として、「若いアナウンサーが、鉛筆を数えるとき、「さんほん」と言ったので聞き違えたかとびっくりした」というのがありました。どうも若いアナウンサーが「いちほん、にほん、さんほん、よんほん、ごほん、ろくほん」と数えるらしいのです。外国人が日本語を学ぶとき躓く、「いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん、ごほん、ろっぽん」は。遠からずなくなってしまうかもしれませんね(笑)。