江戸末期からつくられていた、大阪の張り子の相撲人形です。
このように組ませて、二人一緒に結んで、吊って遊んだり、台をトントンと叩いて遊んだもののようですが、かなり安定感があり、ちょっとやそっとでは倒れません。
お相撲さんたちは、なかなかいいお顔をしています。
和紙のまわしを締め、下がりもあったのかもしれませんが、取れてなくなっています。
お相撲さんの一人は福柳、あと一人は何というしこ名だったのか、和紙が剥がれてしまっっていて(?)、「初」しか読めません。
福柳は、1893年福岡生まれ、1910年に初土俵を踏み、1923年5月場所では自己最高の関脇にまでなっていますが、1926年に後援者が差し入れたフグを食べて亡くなっています。
ヤフオクで、たぶん同じ製作者ではないかと思われる相撲人形の写真を見つけました。こちらは笠置山と大和錦だそうです。
笠置山は1932年に初土俵、1937年に関脇になっています。また、大和錦は1923年に初土俵、いろいろあったけれど、1940年前後には幕内で活躍しています。
ということは、これらの相撲人形は、1920年ごろから40年ごろにつくられたものなのかもしれません。
「日本全国まめ郷土玩具標本、近畿の巻き」には、色白ですが相撲人形が入っています。
『日本郷土玩具事典』(西沢的保著、岩崎美術社、1964年)には、相撲人形について、
「(前略)大たぶさの髷を結い、肉色の彩色をし、和紙で作った紺色の褌には、大錦、柏山などとしこ名をつけている。体つきのいかにも力士らしく、たくましく、なかなか凝っていて可愛らしい張り子人形である。大阪角力のはなやかなころの土産玩具でもあった。すでに廃絶した大阪張り子中の傑作に数えられている。(後略)」
と書かれています。
終戦のころ廃絶されたようです。
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