2023年8月23日水曜日

美濃の町(美濃1)

岐阜県の美濃市に行ってきました。
車で行きたがった夫をなだめ、電車を乗り換え乗り換え行ったけど遠かった!7時間ほどかかりました。


かつて、美濃は手漉きの美濃紙で栄えました。
徳川家康が誰かに書状を書いたとき美濃紙を使ったとか、それが評判を呼び、以後、全国から注文が殺到して、美濃の町は江戸時代から近隣で漉いた紙の集積場として栄え、財を成しました。
町の近隣で上質な紙が漉かれ、長良川を利用して美濃に運び込まれたのです。


近代になり、洋紙が入ってきて、和紙の需要は落ちましたが、それでも書家や画家相手に商売が続いたのか、高度成長期にも美濃の町並みは消えてしまわず、美しく残りました。しかも、狭い区域だけでなく、町の広範囲に古い家が点在しています。


驚いたのは、江戸時代に確立された町にしては、道幅がとても広いことです。
夫を講師として招いてくれた岐阜森林アカデミーのまついさんによると、道が広いのはたびたび大火事に見舞われたので、思い切って道幅を広げてあるのだそうです。道が狭い時代、ひとたび火が出ると、火は簡単に道を通り超えて他に移りました。そのため、防火対策として道幅が広く取られ、屋根にはうだつがつくられたのです。


町の一角に、昔の火消しポンプが置いてありました。


また、町のそこここに、火防の神様が祀られていました。


道が広かったからか、町屋の間口の広さ制限がなかったからか、車時代になっても駐車場がうまくとれて、アクセスの悪い町となってないのも生き残れた理由かもしれません。


素敵だなと思ったのはこんな駐車場です。家の左の部分、3枚の扉の奥が駐車場になっています。


私たちが泊めていただいた旅館は岡専旅館、200年続く旅館でした。


本格的なリノベーションをしたわけでなく、網戸がないのでガラス戸は閉めっぱなし、


室内でエアコンを使い、風が感じられないという欠点はありましたが、休む部屋、寝る部屋、朝食を食べる部屋と3部屋を贅沢に使って、雪見障子越しに見える中庭の風情を堪能しました。


岡専旅館には蔵もあり二階もありました。
もしかしたら蔵や二階にも泊まれるのかもしれませんが、この日は日曜と月曜、客は私たちのみでした。


電線は地下に埋め、おそろいの常夜灯の光が温かい、夜の美濃も素敵でした。







 

2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

素敵な街並みですね!建物の中に駐車場が収まっているなんてびっくり。
ハワイの火事の焼け跡を見た後なので、いかに美濃の人たちが防火に腐心したか理解できます。
2階の高さが1階の半分ぐらいに見えるんですけど、実際天井が低いんでしょうかね?

さんのコメント...

hiyocoさん
伝統的な町屋がまとまって残っていることにびっくりしました。また、ある時代に「斬新だろう」と建てたビルが「残念なもの」として見える中、そっくりな外形で増築している家もあって好感が持てました。ただ、これから紙だけでは食べていけないのでどうやって生き生きとした町にするか、そのあたりが課題でしょうね。
大地主の娘さんや移住者にも会いましたが、町づくりにとても意欲的でした。
天井は、推測ですが道に面したところは高さ規制があったのではないですか?写真を見ても奥に行くほど天井は高くなっています。私の母の実家がやっぱり道に面した窓のところだけ天井に触れるほど低くなっていました。日照とか見た目とか、昔の人の知恵ではないかと思います。