2023年8月26日土曜日

鵜籠づくり(美濃4)

岐阜県の森林文化アカデミーでは、昔NGOで一緒に仕事をしていた久津輪さんが教師をしていますが、数年前から松井郁夫さんの長男さんが、教師に加わりました。それだけでも「世間は狭い」のですが、昨年から、夫が教師をしていたころの教え子のSさんの息子のいってつくんが学んでいて、なんと、教師陣18人、学生数80人と小規模の学校なのに、3人もの友人知人がそこで教えたり学んだりしていることになりました。しかも、3人とも我が家に来たことがありますが、3人の間では、森林文化アカデミーに行く前はお互いに面識がありませんでした。

さて、久津輪さんは、これまで数百年にわたって伝えられてきた、しかし今は風前のともしびである、市井の技術を絶やさないことに力を注いでいます。


それは、鵜飼いに使われる鵜籠の制作からはじまり、鵜飼いの舟和傘のろくろ、そして竹細工にも木工にも欠かせない刃物づくり(野鍛冶)の技術の継承まで、学生たちを巻き込んで活動を拡げています。
夫の講演の次の日、鵜籠づくりを継承された、森林文化アカデミーの卒業生の鬼頭伸一さんを、昔は銀行だった建物を利用した工房に訪ねたとき、新潟から来た鍛冶屋さんたちも一緒でした。


長良川の鵜飼いは、鵜籠をつくる竹細工職人さんや、舟をつくる船大工さんに支えられて、1300年も続いてきました。
ところが鵜籠をつくるただ一人の籠師さん(石原文雄さん)に後継者がいないという状態で、2010年から森林文化アカデミーの教師や学生、卒業生らが籠師さんから技術を学ぶ活動をはじめました。その活動の中心になったのが、56歳で早期退職をして森林文化アカデミーに学生としてやってきた鬼頭さんでした。
教師や学生が技術を学び始めて1年後に、籠師さんが体調を崩されて引退するという、鵜籠存続の危機が訪れました。その後は鬼頭さんが中心になり、若いメンバーの指導もしながら自主練習を続け、2014年には師匠や鵜匠さんたちが満足できる鵜籠が制作できるようになりました。

長良川鵜飼の鵜籠(写真提供:石野律子さん)

そして今では、鬼頭さんと安藤千寿香さんという森林文化アカデミー出身の2人が鵜籠を制作、長良川の鵜匠に鵜籠を提供していて、なくてはならない人になっています。
鵜籠には真竹ではなく破竹が使われています。


この日は安藤さんは留守でしたが、鬼頭さんがミニチュアの鵜籠を使って解説してくれたり、質問に答えてくれたりしました。


鵜籠は、底を2本どりの竹ひごで籠目編み(六つ目編み)にして、底から胴に移るところには、補強のための材を入れています。補強の材は太く見えますが、よく見ると、竹は太い幅の方には曲がらないので、細い竹ひごを立てて、何重にも回していることがわかります。
その補強材のところから、底で2本どりだった経材(たてざい)が1本どりに分かれて籠目編みで編み上がり、縁を絞って仕上げています。
最後の籠師さんから、鬼頭さんなどとともに鵜籠づくりの講習を受けた久津輪さんの話では、籠はとても固く編み上がるので、縁を狭めるのはとても難しい、力を入れても狭まってくれず、苦労したとのことでした。
鵜籠は円筒形ではなく丸みを帯びています。そのため太い緯材(よこざい)を入れると、直径が上下で微妙に違うので経材に沿いません。そのため緯材を1本どりではなく2本どりで入れて、球形に沿わせると同時に、胴の真ん中あたりの緯材は太く、上下の緯材は細くして、強度を持たせながらも軽く、そして自然な丸みを出せるよう、細かく工夫されています。


鉋やノミを打つ鍛冶屋さんも見学されていたので、竹細工の刃物も見せていただきました。


きつく編みあがった籠にひごを通すとき隙間を開けるための道具の数々です。
孟宗竹で手作りした道具もあります。


これも竹を通すための道具、鬼頭さんが鍛冶屋さんに注文してつくってもらったものです。


変わり種は刺身包丁を改造したという道具でした。
幅が違うギザギザが刻まれていますが、ここで竹ひごをしごき、幅を等しく削るのだそうです。
木工も竹細工も、よい刃物がよい仕事を約束します。そのため、久津輪さんが、鍛冶屋さんが少なくなっていることに気づき、危機感を抱いたのは当然の帰結とはいえ、全国的な鍛冶のネットワークを立ち上げ、後継者を育成することは、並大抵にできることではありません。


岐阜の鍛冶屋さんがつくったセン(銑)で、破竹の表皮を削ってみている、新潟の若い鍛冶屋さんです。
竹の表皮を薄く剥ぐと、艶が出て、年月を経ると飴色になりますが、何でもかでも表皮を削るのではなく、手のついた籠の持ち手などを削るそうです。









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